5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

結局、直江兼続って何した人なの?Pert2

1 :日曜8時の名無しさん:2009/04/22(水) 23:32:04 ID:fOlkRfsp
2009年大河ドラマ主人公直江兼続について語るスレッドです。

2 :日曜8時の名無しさん:2009/04/22(水) 23:42:53 ID:Zn/N0pOe
つい先日読んだ3、40年前に書かれた評論に兼続の名前があったのには驚いた
知ってる人は知ってたんだね
自分は大河になるまで、ぜーんぜん知らなかったんだけどさ

3 :日曜8時の名無しさん:2009/04/23(木) 00:07:32 ID:iy8WuhoF
My goodness!

4 :日曜8時の名無しさん:2009/04/23(木) 00:29:49 ID:+2XTUNuk
@直江執政体制をしいて、豪族の独立性が強い上杉家で主君景勝の権力集中を図った
A秀吉死後、上杉家の勢力拡大(謙信以来の宿願である関東奪還)を試みる大博打を打った
B夢破れ、上杉家を徳川政権下での大名へ転換させた

政治的な動きはこんなものかな。内政とか文化事業はほかにもあるけど。

5 :日曜8時の名無しさん:2009/04/23(木) 23:41:33 ID:70Q6eU/H
漢籍に詳しい知識人のようだね。
平和な時代に生まれて学者やってたらぴったりな人かな。
和歌より漢詩なイメージというか。そういや辞世の句は知らないな…。
ふつう残ってそうだけど

6 :日曜8時の名無しさん:2009/04/24(金) 21:37:40 ID:FDBJ+gaB
>>4
でもさ、それらの事象は景勝の業績なんじゃないの?
何か直江ファンは良いことは直江の業績にして、悪いことは景勝のせいにしてる気がするな?
あとAの根拠は何?

7 :日曜8時の名無しさん:2009/04/25(土) 12:30:08 ID:RKm2/trj
直江の功績であって景勝の功績じゃないという話ではない。二人を分離
して考えるべきではない。ただ、景勝が「万事すきなく差配する」
と信頼した直江がいなければ、または狩野が生きていて独裁制にな
らなかったら家中が一本化してたかはわからない。


Aについては、最上と伊達を屈服させて関東へ侵攻する計画があった
ことが直江や景勝の書状からわかる。もともと単独で戦う気だった上
杉家が、西軍敗退でいきなり降伏に転じたことも「滅亡したら意味
がない。生き残ることも義だ」といきなり悟るより、なにか大きな
野心が潰えたと考えたほうが納得できる。この説はtruth of Histo
ryの直江本でも主張しててなかなか興味深かった。

8 :日曜8時の名無しさん:2009/04/25(土) 23:58:39 ID:Zvv6dQEo
まあ野心を抱くのは自由だからな
伊達にも最上にもボコられてるのが現状だが

9 :日曜8時の名無しさん:2009/04/26(日) 11:29:28 ID:hiuLmHMl
小説「関ヶ原」の影響で、景勝と兼続は二人でワンセットのイメージが
ありますねぇ、そういえば。
前スレでいろいろ挙げられていた業績も、あくまで個人レベルのことだったし。

当時の上杉家がどういう行動をとって、その中で兼続がどんな役割を果たしたのか
ってことになると、あまり記録が残ってないのかな。
重臣としてどこそこで指揮をとってた、ぐらいで。

10 :日曜8時の名無しさん:2009/04/26(日) 14:06:04 ID:jBBJYcgQ
あくまで兼続の存在は景勝の補佐だからな。
他家の家老より上杉家中において有力な立場の執政だったが
それでもやはり兼続は景勝の権力内の存在であって
兼続の事績は景勝の事績と切り離せるものではない。
独自裁量など行っていたら越権行為。
兼続の事績は古書の収集編纂といった個人的趣味の範疇以外の政治的動向は
景勝の意を受けたものと見るべき。

11 :日曜8時の名無しさん:2009/04/26(日) 22:47:02 ID:zKuGFIEJ
>>7
>最上と伊達を屈服させて関東へ

権力者の後ろ盾がないと勝ったこと無いホモ主従が
百戦錬磨の最上や伊達を屈服させるって言われても…ww

12 :日曜8時の名無しさん:2009/04/26(日) 23:29:38 ID:FHmOGcJn
>>11
最上は上方の情勢が定まるまで時間稼ぎしようとしてたけど、
秋田との共謀がばれて直江に攻められた感じ。でも結局は序盤
の時間稼ぎが功を奏して、関ヶ原の決着付くまで持ちこたえた。

伊達は小山会議の後は上杉と徳川両方に従属の意向を示していて、
直江は「関東に侵攻する際は政宗本人か家老数人に兵を率いさせ
て従わせる」と書いてるので、話はだいぶ進んでいた様子。 でも
政宗を信じてはおらず、「向こうが破っても何度も停戦の使者を
送るよう」命じてる。そのとおり、政宗も東国の情勢を家康に伝
える役目も果たしてる。

13 :日曜8時の名無しさん:2009/04/27(月) 19:44:11 ID:M35Sy9R3
直江の辞世の句を教えてください

14 :日曜8時の名無しさん:2009/04/28(火) 12:10:27 ID:SS2JhWgL
>>9
史料は多いよ。『藩制成立史の綜合研究 米沢藩』(吉川弘文館)などの研究書もある。
家中のことに関しては↓の文章がまとまってる。
「従来の研究において、兼続が『執政』と呼ばれる大きな理由には、自分の家臣である与板衆を次々
 と抜擢登用して、検地の奉行、上杉の直轄領の代官、知行宛行状の発給、および佐渡・出羽庄内
 の支配などを担当させていたことにあり、上杉氏の分国支配の根幹をなしていたとされる」
                              片桐昭彦「直江兼続と一族・家中」
                                        (2009)
>>6の言うような景勝の業績を奪うとかいう話ではないけど、実際に細かな差配をしていたのは兼続で
あることは先行研究からも残ってる史料からも疑いのないこと。直江が家中で圧倒的な勢力を誇れば、
彼が主君と一体である以上は景勝の権力上昇につながる。そして実際に同化したような存在になった。
最近では、直江家断絶もお船の上杉家への同化によって、養子をとる必要がなかったという指摘もさ
れてる(浅倉有子 2009)

>>13辞世の句は伝わってないですよ。

15 :日曜8時の名無しさん:2009/04/28(火) 13:29:11 ID:MDti11k/
景勝=小泉
兼続=竹中
謙信が死んでから衰退→衰退→衰退→衰退

16 :日曜8時の名無しさん:2009/04/28(火) 23:46:48 ID:XQZZT2Aj
なんか、直江山城守兼続のドラマなのに、今一兼続の影が薄いね。

今一度、彼(及び景勝)の功績?を思いつくまま列記します。


@ 日本で最初の図書館(誰でも書物を見れる寺)禅林文庫を造った
(米沢藩校興譲館が出来る実に200年前)。
A 直江版と呼ばれる日本で最初の銅活字本を造った
(全61巻、国宝)。
B キリシタン禁教令後も景勝とキリシタン(信教の自由)を保護し続けた
 (「米沢藩領に切支丹これなく候」、との幕府宛書状あり)。
C 最上川上流の松川に石堤を作り洪水を回避し開墾を奨励。
 米沢30万石を約15年で実石高51万石まで引き上げることに成功(米沢は四方を山に囲まれ、開墾には不向きだが)。
  米による経済だけでなく、紅花、青祖、楮、ウコギ等栽培を奨励し、家臣リストラせず逼迫する藩財政を潤した
(兼続死後兼続の政策は無視されていたが、後に上杉鷹山が兼続の政策を自ら実践)。
 半米半金税(半分が米半分は紅花等商品作物で納める:日本初の税制)を敷き民衆の商品作物を重視。
D朝鮮出兵で、貴重な論語や漢詩等を持ち帰り禅林文庫に収めた。
E直江家の婿になり、いとこのお船と結婚(生まれた子供は近親相姦のためか、早く死亡)
側室も持たず、春日山林泉寺には、戦国武将の墓として珍しく、夫婦全く同じ大きさの墓が並ぶ。
F武田から菊姫を景勝の妻を迎えることに成功、武田家血筋も残すことに尽力。
G伊達家存続に尽力(伊達政宗に小田原早期参陣を促し、佐竹対策で上杉領を通らせた)。
H直江状(転封まもなく、内政忙しい。謀反など全くないことを説明(上杉家として一戦も辞せずとの考えはあり)
 家康方は、経済発展のための道路建設事業等まで「戦いの準備」ととらえた。 まあ、兼続ならずとも反論したくなりますわな。
I大将兼続自ら約500の兵で殿を務めた最上領からの撤退作戦
(相懸引作戦)は旧日本陸軍「日本戦史」でも取り上げられ撤退戦の手本となった。
 敵将最上義光曰く「直江は古今無双の兵(つわもの)なり」と。家康も「聞き及びし、よりいや増しの武功の者」と賞賛。
J東北の地で初めて鉄砲製造を行った。
K鉄砲の撃ち方指南書(1604年 鉄砲稽古定)を書いた
 今福・鴫野の戦い大野治長・後藤又兵衛(負傷)軍2万数千を打ち破り、大阪城に閉じ込めることに成功。
L数々の漢詩を残した(例えば、1599年の「春雁、花に背いて帰る」の詩には豊臣からの誘いを断って会津に帰る決心が読み取れ、
 また亀岡文殊堂にて1602年初詣詩会で奉納した「元日」の短冊には、つつがなく新年を迎えた人々を見て安堵する兼続の姿が浮かぶ)
M1604年、四季農戒書(養子の本多政重が加賀藩へ行ったため、加賀藩に残っている)
N米沢と庄内を繋ぐ「朝日軍道」を引いた(個人的にはNHK天地人のオープニングに流れる雪山の行軍は「朝日軍道」だと思う。
O神指城建設事業←若松城では城下が手狭。また小田山からの攻撃に弱い面(270年後の戊辰戦争で兼続が懸念した弱さが露呈)。平地に城下を大規模(若松の約2倍)にし道路も整備。経済が発展しやすいよう工夫。完成した神指城、是非見てみたかったです。
P上杉の人質となった真田信繁を客人として丁重に扱い、「義」の精神を伝授。
Q第一次上田合戦で上田城防衛のため上杉軍の援軍を入れ、また「軒猿」と呼ばれる忍者を使い、徳川軍を翻弄した。

17 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 06:04:54 ID:5kC3Trqn
ここまで突っ込みどころが多いとアンチではないかと疑ってしまうな。

18 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 06:48:19 ID:gs0PDp6o
>>16
@日本最初の図書館というのはどうも...
A直江版は現在の研究では銅版ではなく、木活字であることがわかっている。
 それでも画期的なことだけど。
Bこれはイエスズ会に史料がのこってるらしい。
 ただし史料には、「景勝」とある。
 実際、米沢藩のキリシタン政策は、兼続死後ではなく景勝死後に大転換している。
C51万石の実高は、定勝時代の寛永検地のもの。
 定勝時代には、福島の西根堰が完成している。
 青祖の栽培は定勝時代以降に軌道にのった。西村家が青祖の専売を始めたのも定勝時代。
 綱憲時代には全国最大のシェアを誇ることになる。
 兼続時代に基礎があたことは否定しないが、兼続死後その政策が無視されたなんて...
 Dこれは完全に否定するつもりはないが、以前朝鮮から持ち帰ったとされた
  「史記」等の書物は、現在では日本で収集したものとされている。
 F武田との同盟に兼続がどうかかわったのか、歴史上は不明。
  長安事件で配慮したことは事実か。なお武田信清の息子の嫁はお船の養女(本庄長房の娘)
 Gこれも実際、兼続がどうかかわったか不明。
 M四季農戒書は元禄時代の作との説もあり。
 Pこらはもう火坂氏の妄想.....
 Q「軒猿」って...史料あるんすか?
 
 

19 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 10:25:26 ID:XuW05IVv
いとこ同士は近親相姦じゃねーよ。現在でもいとこ同士の夫婦はいるわ…。

単純に子供らは運無く死んだんだろ。

20 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 12:44:11 ID:3AZqPhMN
会社に例えると
景勝 ブランドイメージの高い老舗企業の跡取り。地元の国立大卒
兼次 企画など管理部門担当の専務執行役員
こんな感じですか?

21 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 20:33:42 ID:E/uADCkE
>>16
>>18
あえて言っちゃうけど、公務以外はほとんど個人レベルの業績ですよね。
歴史に影響を与えるようなものがない。
公務にしても、当然ではあるけど景勝のもとで、という範囲内のもの。

もちろん知性に恵まれていたことは疑いようがないし、宰相としての能力が
優秀だったことも確かで、機会さえあれば、という想像をさせてくれる人だとは思うけど。

日本史にはあまりいないけど、主君の地位をその器量以上に押し上げて見せたり、
秀吉亡きあと、景勝と共に家康と天下を争った、とかしてればともかく、
歴史上のポジション自体は、どうしても石田三成より下に感じてしまいますねぇ。
景勝とワンセットのイメージで、なおかつ、あくまで謙信の跡取りでしかない。
勝頼みたいに、信玄の跡取りというより、信長のやられ役のイメージがついちゃってるよりは
ましでしょうけど。


22 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 21:58:34 ID:PUL0JaKr
歴史への影響というなら、関ケ原の発端を開いたということで
十分影響を与えてると思うが(穿った見方かもしれないが)。
史実から掛け離れた美化には合点できないが、
米沢時代の史料からみても、濃やかな差配のできる第一級の行政官だったと思っている。

23 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 22:16:52 ID:XuW05IVv
第一級といえば増田長盛とかすげーよな。

24 :日曜8時の名無しさん:2009/04/29(水) 23:30:13 ID:E/uADCkE
>>22

>歴史への影響というなら、関ケ原の発端を開いたということで
十分影響を与えてると思うが(穿った見方かもしれないが)。

いや、自分から積極的に動いて、の話のつもりです。
どちらかというと、そんなつもりはなかったのに、家康に利用されたくさいし。
まーその点に関しては、結果からの思い込みかもしれませんけど。

25 :日曜8時の名無しさん:2009/04/30(木) 00:21:25 ID:FSKPs05f
直江状に関しても景勝の意見と一致しているからな。
だからこその直江の立ち位置なんだろ。
あくまで主君景勝に従い景勝を支える名宰相って扱いなんだから。
景勝がただのボンクラ跡取りで兼続の大活躍で大老になった訳でもないし
兼続が主君の意志を無視した独自行動を取った馬鹿でもない。
景勝は上杉家を運営する上で兼続がいないとあちこちで支障がでると評価してるが
結局のところそこなんだろ。
他の誰より仕事ができるからいないと凄く不便な宰相。

異常な兼続賛美も貶めもうんざりするな。

26 :日曜8時の名無しさん:2009/04/30(木) 00:52:03 ID:bgDg1DjM
>>18
すいません。16さんにつられて間違った字書いちゃいました。
青祖→青苧です。

27 :日曜8時の名無しさん:2009/04/30(木) 01:49:01 ID:CCwlqlWO
会津に代わる拠点として築城していた神指城の建設は直江状書いたあとも
上杉征伐が決まるまで続けてるから、もともとは反逆の意志はなかったん
だろうな。もっとも、直江状では前田の一件についても触れてるから、家
康の狙いには気づいた上で、簡単には屈しない意地を見せたかったんだろう。
家康も利用したつもりが、三成方に大老や奉行が味方して一転ピンチに陥ったけど。

28 :日曜8時の名無しさん:2009/04/30(木) 21:27:38 ID:pL/fmTRi
>>27

>家康も利用したつもりが、三成方に大老や奉行が味方して一転ピンチに陥ったけど。

でも、最終的には家康は、ピンチを乗り切って最大の成果をあげましたよね。
もちろん結果論ですけど。
ただ、事前に打つべき手は全部打った上での話で、ギリギリの勝負だったってわけでもない気がする。
もちろん最大の賭けではあったでしょうけど。

最近の小説とかで、兼続を主人公にしたもので違和感があるのはこの点で、
現実には家康みたいな真似は、兼続には絶対出来なかった気がします、武将として。

天下を目指すには相応の器量が必要で、景勝の家臣という立場を抜きにしても、
兼続にはその器量があったとは思えない。色々挙げられてる業績を見ると、
なぜか余計にそう思えちゃう。
例え石田三成と立場が入れ替わったとしても、やっぱり家康には勝てなかっただろうし
三成以上の事は出来なかった気がします。



29 :日曜8時の名無しさん:2009/05/01(金) 00:13:22 ID:pOjPx6FU
>>27
あくまで上杉征伐時〜三成挙兵時の話です。その後ピンチを乗り切ったのは
事実ですが、家康の読みとは大きくかけ離れてしまったのは確かです。

家康は謀反を起こすのが石田や大谷ぐらいだと過小評価していたので、誓紙
を交わした毛利や家中がゴタゴタ、上杉征伐にも参加予定だった宇喜多など
が敵になって相当ショックを受けたはず。鳥居元忠も上方がみな敵になった
ことで小早川や島津を疑い、伏見に入城させず。毛利や宇喜多なども敵にな
るのを想定してたとしたら、自ら大軍を率いて上方を空けたのは相当軽率な
行動です。小早川は最初から東軍に加わるつもりだったのが、西軍の調略に
より、当日もぎりぎりまで寝返りませんでした。前日に松尾山を占拠した時
点で東軍であることを宣言したようなものだったのに、開戦後動けなかった
のは西軍が優勢に戦っていたから。打つべき手は全部打ったのでしょうが、
余裕の勝利というわけでもなかったと思います。


直江の器量云々はIFの世界なのでなんともいえませんが、絶対にと断定するのもどうかと思います。

30 :日曜8時の名無しさん:2009/05/01(金) 21:58:10 ID:p6b0FTYH
>>29

おれとしては、家康の読みが外れたというよりいろんな予測のうち、
より悪い側へ事態が動いたというイメージです。
上方を留守にしたのも、そうでもしないと三成一党を釣り上げられなかったんでは。
秀頼を担ぎ出される危険さえなければ、敵がある程度増えることは覚悟してたような気がします。
しつこく結果論ですけどね。

関ヶ原の決着まで、思いもよらなかったトラブルが、次々と起きてバタバタしてるうちに、
いつの間にか収まってた、なんてはずはないですよね。
問題は起きても、全部想定の範囲内というか、最終的には何とかできる自信と読みがあったんじゃないでしょうか。
もちろん余裕なんかは、なかったでしょうけど。

兼続の、というか景勝も含めての器量が、家康に敵わなかったと思う理由は、
関ヶ原合戦後、何で家康に謝っちゃったんだろう、という疑問がわいたからです。

上杉家内部の諸事情とか当時の情勢とか、詳しく知らずに書いちゃいますけど、
程度はともかく、最初に家康に対して突っ張って見せたのなら、何で最後までそれを
通さなかったのかな、と。

おれの勝手な想像ですけど、景勝と兼続にとっては、天下人が誰になろうとおれらには関係ない
とか思ってたような気がするんですよね。
財産が減って、かなり厳しくなるけどしょうがないよね、もう決まっちゃたんだし、みたいな、
前向きな意味での官僚的な、切り替えの早さを感じてしまうのです。
そういう潔いのとは違う、あきらめの早さは天下をねらうには不向きというか
家康とは格が違うと思うのです。

31 :日曜8時の名無しさん:2009/05/01(金) 23:30:41 ID:2+0YUEmy
>>30
スレ違いなので詳しく説明はしませんが、家康がすべてを見通し
ていたとするのは徳川史観のなごりです。毛利や宇喜多、大坂城
の奉行衆まで敵になったことは秀頼が担ぎ出される危険性も非常
に高く、それを想定していたなら、三成の釣り上げにしては博打
が過ぎます。家康の命を受けていた小早川や島津の入城を鳥居が
拒否した一件も、当初の想定からはかけ離れてしまったことを示
しているのではないでしょうか。

天下を狙う狙わないというのは器量とか格を測るのとはまた違う
ものさしだと思います。負け組の上杉主従が江戸時代以降も悪く
言われたかったのも、むしろそうした姿勢(そういうイメージ)
が要因でしょう。

関ヶ原で勝敗がついた後も、実は上杉家では佐竹口からの関東侵攻
を選択肢に入れています。降伏したのには、結果的に与した西軍の
敗北のほか、結城秀康をはじめ、家康周辺に上杉家への同情論、上
杉征伐前にはなかった態度の軟化に原因があると思われます。

32 :日曜8時の名無しさん:2009/05/02(土) 00:07:00 ID:lYFZZFJF
これで勝っちまうから家康はすげーよ。「家康の計算通り」って
言いたくなるのもわかるわ

33 :日曜8時の名無しさん:2009/05/02(土) 00:49:17 ID:ZayZnFaM
>>31
いやいや、おれも家康がすべてを見通していたとまでは思いませんけどね。
秀頼に関しても、担ぎ出される心配がなかったからこその、行動だと思ってます。
三成は当然秀頼を大将にしたかったけど、淀殿が戦いそのものに乗り気じゃなかったので
断念せざるを得なかったという記事を見たことがあります。

これ以上は、スレ違いですかね。おれとしては、最近の兼続の取り上げられ方を
踏まえた上で、比較の意味で家康を持ち出したんですけど。
兼続自身の業績は前スレで出尽くしちゃった気がするし。
もっとも、家康以外に同時代で比較対象を上げるにも、他はあまり知らないんですが。

>関ヶ原で勝敗がついた後も、実は上杉家では佐竹口からの関東侵攻を選択肢に入れています。

そういう手があるんなら、なぜこっちを選択しなかったのよ、と思うんですよ。
それこそ、博打を打つには、失うものが大きすぎるとは思いますが。
上杉家からすれば、家康が上杉討伐の軍を出した時に相当な覚悟をしたと思うのです。
なのに、関ヶ原戦後とのギャップがあまりに大きくて、どうしても理解できない。
それとも、強硬派と和睦派で二つに割れてたんだろうか。
戦前と戦後で、主導権を握った勢力が入れ替わったとか。むしろそのほうが普通かな。

>負け組の上杉主従が江戸時代以降も悪く
言われたかったのも、むしろそうした姿勢(そういうイメージ)
が要因でしょう。

すみません。この部分だけ意味が通じなかった。
上杉主従が、悪く言われるのを望んだってことですか?
兼続が、直江家断絶を望んだとかいう説は見たことあるけど。


34 :日曜8時の名無しさん:2009/05/02(土) 01:12:35 ID:ewgzQtB1
>>34
秀頼が出陣しなかったのは結果論です。総大将の毛利も大坂城に入っており、
秀頼が担ぎ出される心配がないと、遠くにいる家康が思えるだけの材料はな
いと思います。ちなみに小説などで家康派にされている北政所も実は中立、
または三成寄りだったと言われ、西軍の必勝祈願にも出席しています。

上杉征伐前は「上洛しろ」の一点張り。家康は事前に城の普請を認めながら、
後になってこれも謀反の動きとみなしています。関ヶ原後、結城秀康は上杉
家の謀反がはっきりしたことでないことなどを家康に言上し、寛大な処遇を
するよう訴えています。上杉家の奉行の安田は「毛利みたいに二カ国だけに
なっていいから許してくれというのはいやだ」と言いながら、「和平の件は
私も強く推したので大丈夫」と書状に残しています。おそらく家康の側から
は謀反に関してはもう糾明しないーなど、上杉家の面目が立つような形で和
平を持ちかけたのだと思います。

「江戸時代以降も悪く言われなかった」のミスでした。

35 :日曜8時の名無しさん:2009/05/02(土) 01:13:45 ID:ewgzQtB1
>>34>>33のミス

36 :日曜8時の名無しさん:2009/05/02(土) 23:37:19 ID:RanvtAHz
結局、景勝も兼続もわずか15万石の大名に落ちたわけだから、謙信の遺産を食いつぶしただけってこと?

37 :日曜8時の名無しさん:2009/05/02(土) 23:51:59 ID:BzWDiILl
謙信の遺産って全方位敵の状況ですか古志と上田の対立を放置してたことですか
敵国の人間を後継権持ったまま放置していたことですか。


38 :日曜8時の名無しさん:2009/05/03(日) 00:34:25 ID:NWqJ33NZ
>>36
謙信の遺産といってもなあ。
むしろ上杉研究者たちは、景勝、兼続たちは有力国人の集合体にすぎなかった越後を
より強力な権力のもとに再統一したととってるんじゃない?

39 :日曜8時の名無しさん:2009/05/05(火) 13:45:38 ID:ANT/3iEl
関ヶ原は、結局、毛利輝元が徹頭徹尾腰抜けだったことに尽きる。

大阪城西の丸退去により上杉が取るべき道は一つになった。

40 :日曜8時の名無しさん:2009/05/05(火) 13:47:33 ID:ANT/3iEl
>>36

15万石になったのは、景勝・直江が死んだ40年後です。

嗣子無しで通常取り潰しの所、会津の保科正之が上杉家存続に奔走したのだそうです。

41 :日曜8時の名無しさん:2009/05/05(火) 14:46:46 ID:hmvEN3RI
閻魔状書いて領民虐殺したステキな人

42 :日曜8時の名無しさん:2009/05/05(火) 14:51:19 ID:ANT/3iEl
>>41

直江は立派な方です。亀岡文殊堂に奉納されている「元日(直筆)」の詩でも読んでみたら領民に対する「愛」が伝わりますよ。

43 :日曜8時の名無しさん:2009/05/05(火) 16:05:43 ID:vxwAUSf6
>>36
わずか魚沼一郡10万石から
置賜プラス福島・伊達51万石なら
大躍進と思われ

44 :日曜8時の名無しさん:2009/05/09(土) 13:27:55 ID:MJ9i7YK2
>>40
その後は、実質「吉良家」だろw
ま、もともと「上杉」ったって長尾家なんだから、むしろ吉良に戻ったほうが正統なんだが

45 :日曜8時の名無しさん:2009/05/10(日) 18:02:56 ID:/Hjyiy2k
だてに着こなして…甲冑パンツ販売 仙台

 三越仙台店が、戦国武将をイメージした男性用下着「甲冑(かっちゅう)パンツ」の販売を始めた。
ご当地の仙台藩主伊達政宗のほか、直江兼続、上杉謙信の3モデルをそろえた。
 包帯と同じ素材で作られ、甲冑模様の斬新なデザインとは裏腹に、はき心地は抜群。購入者は歴史好きな50代男性が中心だという。
 常在戦場。男の人生とは、常に戦いの連続だ。「心を奮い立たせる気合の一着。
だてに着こなし、男ぶりを上げてほしい」と、販売員も一押し。

2009年05月10日 日曜日
河北新報 宮城
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/05/20090510t15035.htm


46 :日曜8時の名無しさん:2009/05/18(月) 11:41:07 ID:c05wDiGk
「愛」のバカ兜のパンツを
これから女とやろうって時に曝したら、引かれるだろ

47 :日曜8時の名無しさん:2009/05/26(火) 21:21:07 ID:1wqqZfzB
デアゴスティーニの「歴史のミステリー」、6/2発売号は
直江兼続の実像特集。どんな内容になるだろうか。

48 :日曜8時の名無しさん:2009/06/18(木) 08:50:10 ID:m4WQnac1
結局何した人なのさ?
何も出て来ないじゃん

49 :日曜8時の名無しさん:2009/06/18(木) 18:40:54 ID:NAqZYJ/g
大河が悪いんですぅっ

50 :日曜8時の名無しさん:2009/06/18(木) 21:20:11 ID:TYuv87md
>>44
当主が女系相続しただけで「実質」は上杉家のままじゃん。
家臣団構成も何も変わってないし政治的に吉良の影響も受けてない。
金出してただけで口出しはさせてないぞ。
長尾景虎→上杉政虎の時は完全に上杉家は長尾家に食われた形になってるが。

51 :日曜8時の名無しさん:2009/06/18(木) 23:44:16 ID:1vBoh22s
女系相続はムチャ家格ダウン
吉良の影響受けないどころか吉良に植民地化されて搾取されまくり
→長尾→吉良で実質上杉は消滅。乗っ取った長尾も消滅

52 :日曜8時の名無しさん:2009/06/19(金) 10:55:20 ID:lVZqLOTt
植民地化?
上杉家を動かす層のどこが吉良に乗っ取られたんだ?
家臣団の動きや藩政ちゃんと調べたほうが良いぞ。
憲政→謙信や謙信→景勝は家臣団体制が完全に変化し
重臣衆もそれぞれ府中長尾・上田長尾の家臣に入れ替わってしまい
政治的にも上杉家は飲み込まれてしまっているが吉良家にはその傾向はない。

53 :日曜8時の名無しさん:2009/06/20(土) 22:29:14 ID:C05/+8aB
米沢から絞り出した富を吉良家の本領の方に回していたみたいよ
そっちでは吉良ってありがたい殿様だったらしい

54 :日曜8時の名無しさん:2009/06/21(日) 16:47:31 ID:ogAj2TD6
で、政治介入させていた根拠は?
吉良が上杉から金を出してもらってた事くらいは最初から書いてるだろ。

55 :日曜8時の名無しさん:2009/07/06(月) 21:01:36 ID:T6dJ2fhl
介入なんて誰が書いてんの?
介入でなく、吉良による乗っ取りでしょ

56 :日曜8時の名無しさん:2009/07/06(月) 22:29:35 ID:2zZT5f4F
だから全く乗っ取られてないが。

57 :日曜8時の名無しさん:2009/07/09(木) 23:42:56 ID:95/nfvb6
つうか長尾が乗っ取った時点で上杉なんてのが実体無くなって
形骸化したから

58 :日曜8時の名無しさん:2009/07/10(金) 08:27:37 ID:fe+0tjmf
つーか上杉が倒されたのは明らかに北条ではなく長尾のせいだしな。
謙信ばかりに目が向けられるが謙信以前の時代の長尾一族は
越後でも関東でも上杉家ボコりすぎ。
長尾一族の戦闘能力は異常。

59 :日曜8時の名無しさん:2009/07/19(日) 17:51:47 ID:0ZW5oVZi
結局、景勝が凄いってこと。

直江が幾ら優秀だって、男気があったって、戦が強くたって、景勝(社長)が直江に一任しない限り、歴史の表舞台へは出て来なかった人。

現在、企業の社長でもなかなかここまで専務にここまで任せられるオーナー社長はいない。

60 :日曜8時の名無しさん:2009/07/20(月) 07:15:40 ID:uTZclXSN
>>59
実態なく傀儡だったかもよ
又は、やる気ない番頭任せの2代目社長

61 :日曜8時の名無しさん:2009/07/20(月) 22:12:57 ID:L9djk4ex
結局、直江兼続って何人殺した人なの?

62 :日曜8時の名無しさん:2009/07/20(月) 23:22:04 ID:qAVBWvKI
畑谷城では500人以上ぶっ殺したらしいけどな

63 :日曜8時の名無しさん:2009/07/21(火) 01:16:34 ID:SqATHL4e
最上義光 「暗殺なら民は幸福に暮らせるよw」

64 :日曜8時の名無しさん:2009/07/21(火) 09:38:20 ID:sU3dKIHt
藤島・仙北一揆で撫で斬りした分があるから、かなりイイ数字が出るはず

65 :日曜8時の名無しさん:2009/07/22(水) 11:15:57 ID:jsKKLcYR
直江兼続が存在したことの一番大きな歴史的意義は上杉家の近世大名化

直江家は長尾家(上杉家)の家宰で、主家と非常に近い位置にある。
取次を務めるなど頭角を現した兼続はその直江家に養子入りし、景勝
の下、上杉家の近世大名化を図った。直江に権力が集中するのは、彼
が背かない限り景勝への権力集中にもなる。国人を排除するだけでは
なく、色部、須田といった有力豪族は婚姻関係を結んで手なずけた。
すごいのは直江でなく景勝という指摘もあるが、能力がなければ史学
界で「直江執政」と呼ばれるような特殊な体制は維持できない。
勘違いしてる人も多いが、生存中(死後しばらくたっても)は直江執
政に対する反発はほとんど表面化していない。

66 :日曜8時の名無しさん:2009/07/22(水) 19:51:27 ID:FWgSRHHd
反発はありまくりだし、死後直江は否定されてお家断絶してるよ
藤田、上条と対立して追い出しているし
杉原や安田も直江を嫌っていたみたい

67 :日曜8時の名無しさん:2009/07/22(水) 20:41:31 ID:8D5shqWJ
直江の反発からお家断絶になったのなら、
直江の与力中の与力ともいうべき志駄は、なぜ死ぬまで藩政を牛耳ることができたんだろ?
菩提寺の破却に関しても、そのことを伝える史料(藤林年表)の信憑性を研究者は疑ってる。
最初から兼続は林泉寺に埋葬されたんじゃないかという説もあるよ。
直江死後、与板衆独占への反発があったのは事実かもしれないが。
定勝は志駄の息子の奉行就任を認めなかったからね。
最上家の例をみても、あの困難な時代を直江執政という強力なリ−ダ−シップで乗り切ったのは
結果としてよかったんじゃないか。

68 :日曜8時の名無しさん:2009/07/22(水) 23:34:37 ID:57By4pAv
>>66
・上条は遠ざけられて勝手な行動ばかり。川中島統治がうまくいかず、春日山に戻されて
 隠居状態でふてくされて出奔。豊臣奉行衆にあきれられる。直江執政への反発云々以前の問題。
・藤田は対徳川問題で直江というより上杉家中で孤立。
・水原と仲が悪いソースは親戚が関わった軍記物。直江の行軍に嘆息する水原の場面について、
 『関ヶ原軍記大成』の編者は直江の行軍進路は適切で「ありえない逸話」と断じている。
・安田は書状で直江を「旦那」と呼んでいる。直江のせいで安田の大坂の陣での武功がもみ消され
 たという逸話があるが、同じ大坂の陣の逸話では直江が安田を先鋒に推したが、景勝が退け、須
 田にしている。須田は将軍から感状をもらった。

直江死後は平林正恒、その死後は志駄義秀が「執事役」として藩政を取り仕切る。
志駄、清野長範、広居忠佳が中心だが、藩主御成の回数などから志駄がその中でも
特異な地位にあったとみられている。志駄の息子義繁も「執事役」を継いだが、一
年ほど、直江の死からは十数年経ってから解任されてる。
志駄義秀の母は直江景綱の娘(お船の姉か?)で、父を早くに亡くしたので義秀も
直江家で養育された。

69 :日曜8時の名無しさん:2009/07/24(金) 09:43:49 ID:0ogdmax5
上杉家の場合、「何を成したかではなく、どう生きたかが問題」なんだよな、謙信公以来の伝統
そういう所は、戦国時代や平成の世では理解されない
むしろ、「儒教的な"人道"」を重んじた、江戸期や昭和期に評価される人だと思う

70 :日曜8時の名無しさん:2009/07/26(日) 19:47:45 ID:qlNo0XS7
>>69
朝鮮は儒教の国だからああいうのか?
パクリ、責任転嫁、中傷、負け犬根性、売春上等

71 :日曜8時の名無しさん:2009/07/27(月) 22:37:15 ID:lbozBwcJ
なんだ結局直江一派の志田の息子は遠ざけられているじゃないか
上杉の義なんてのは、江戸期になってから後付された無能への言い訳だからな

ところで、このスレの「何した人なの?」に全然答えが無いじゃないかよ?
業績ない人、で決定でOk?

72 :日曜8時の名無しさん:2009/07/27(月) 23:13:43 ID:932anzM+
大河ドラマの主人公になったことがそんなに悔しいのか?

73 :日曜8時の名無しさん:2009/07/28(火) 00:58:45 ID:/1P7Ilnb
ていうか自分らが払っている視聴料を
変な武将に使われたのが皆くやしいというか
皆迷惑してる

74 :日曜8時の名無しさん:2009/07/28(火) 07:23:09 ID:5/Udxvz8
武将が変なんじゃなくドラマが変なんだろ。

75 :日曜8時の名無しさん:2009/07/28(火) 09:11:50 ID:ordcsNc+
>ていうか自分らが払っている視聴料を
>変な武将に使われたのが皆くやしいというか
>皆迷惑してる

良く聞く「精神的苦痛を受けた」ってやつですね
ところで、どちらの団体・組織の方々ですか?

76 :日曜8時の名無しさん:2009/07/29(水) 14:17:01 ID:9v3AanLj
いやいやお金取られてるんだから
精神的どころか実質的な苦痛だよ
謝罪と補償を求めたいくらいだ
おおっと、どっかの国みたいになっちまうがな

77 :日曜8時の名無しさん:2009/07/31(金) 07:33:49 ID:OslVgfKg
ぼろ糞言われるのは想定済み
子孫がすぐ断絶してしまった人だから、跡腐れなく一年たったら次の番組へ
NHKは確信犯だと思うな

78 :日曜8時の名無しさん:2009/07/31(金) 08:16:12 ID:mwHhQBFK
冤罪で殺した遺族にぎゃーすか騒がれてムカついてまとめて殺しちゃった僕ちゃんでしょ(゚Д゚)

違ったっけ?

79 :日曜8時の名無しさん:2009/08/02(日) 20:36:49 ID:NRxOH/iJ
愛の1字のみか

80 :日曜8時の名無しさん:2009/08/02(日) 20:41:26 ID:SrmuyflI
 

81 :日曜8時の名無しさん:2009/08/02(日) 20:42:12 ID:6q6Mxcp7
>結局、直江兼続って何した人なの?

それよそれ、歴史オタではない俺が見てると、
今回の主人公は何やってるか、どっちに向かってるのかさっぱりわかんね。

82 :日曜8時の名無しさん:2009/08/02(日) 21:04:41 ID:8EtT0Rjb
脚本協力も意味ねえな。

83 :日曜8時の名無しさん:2009/08/02(日) 21:43:30 ID:hIxrXHRO
まあ>>4あたりで満足できない人はどう答えたって満足しないんだろうけどね

84 :日曜8時の名無しさん:2009/08/03(月) 09:40:23 ID:aRBEFjH9
努力したぁー?頑張りましたぁー?
結果、結果。要はいくら儲けたが問題なんだよ(怒)
by 営業部長<平取まであと一歩>

85 :日曜8時の名無しさん:2009/08/03(月) 10:17:00 ID:87lGb3R2
豊臣奉行や幕閣に食い込んでるんだから営業部長とし
てもたいしたもんだろ

86 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 01:41:19 ID:JIgIeJGC
直江状[豊光寺充直江兼続書状(慶長5年4月14日)]

直江状は、原本が所在せず、写(うつし)が江戸時代に流布しました。
日付や言い回しに不自然な部分があることや、部分的に内容の異なる写が
複数あることなどから、偽文書であるという説があります。
承兌の書状も原本が実在しないのですが、相国寺の「鹿苑日録」には、
承兌が3月29日から4月1日にかけて大坂・伏見に滞留したことが記されて
います。4月22日には、徳川家康からの進物が承兌に届けられたと記録されて
いることから、家康の意を受け、伏見にて承兌が書状をしたためたとする
見解が有力視されています。
また、承兌に対して兼続が書状を送ったことは、「鹿苑日録」の5月11日条に
「自直江来状之返礼調之」という記載があるので確実と言えますが、
これが「直江状」なのかどうかは不明です。また、5月7日付け
「豊臣氏奉行衆連署條書」写(「歴代古案」1813号)における
「今度直江所行不届之儀、御腹立御尤ニ存候」の一文も、兼続の返書が
家康を怒らせたとする通説の傍証とされています。



87 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 02:01:35 ID:GjeD/I8+
何年か前、フジの「トリビアの泉」で、「愛の兜」が紹介されて
へぇそんな奴がいたんだぁ、ってことで爆笑の渦で「満へぇ」が出た。
つまり、そういうこと。
直江兼続なんて。

88 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 02:14:53 ID:3k2CKgwm
石田三成の上杉家版

89 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 02:43:10 ID:Vak3v7nG
今回で言えば、この頃に
越後に新田開発などを行い、
現在の越後の農業の基礎を築いたそうです
(『新潟県史』などより)
+金銀山の開発を進める
(佐渡をはじめ主要な金山のほとんど
上杉家財政の支柱ともいえる金山開発は兼続が把握していた)

90 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 09:07:28 ID:GsMGJ4yx
新田や鉱山の開発はやって当たり前で
やってない藩が無いというほど普通のもの

米沢の新田開発は伊達家の業績
伊達家が去って上杉家が入った時点で、置賜・伊達・信夫郡で30万石もあった
国持ち大名でも30万石無いところもあるから、いかに伊達家が増産したかが分かる

その後上杉になってからの最高石高は50万石ぐらいだった
これは30万石の藩の豊作の時の石高だから
直江が入ってからあまり増産できなかったということを示している

これらから推測すると
直江って普通の事業を責任者として乗っかって
業績を独り占めする名人だったんじゃないかと

91 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 09:08:57 ID:36n9AAet
家康が小山から西へ引き返して関ヶ原合戦に
景勝:直江!追うのだ!!!
兼続:追いとうございますが、背後の伊達が会津に雪崩れ込んできます
景勝:伊達かぁ!!!
兼続:三成殿にはアイスマン箏をスタ

一時的に会津失っても上杉軍も西下して関ヶ原で東軍を背後からつく形で参戦する策はなかったか?
東海道街道筋が鬼門か?中山道(小諸経由)はどうか

92 :日曜8時の名無しさん:2009/08/10(月) 11:51:08 ID:e/WE/91o
越後の話にわざわざ伊達の名前を出してきてアンチとは

93 :日曜8時の名無しさん:2009/08/11(火) 15:04:06 ID:iaFQPl6/
>91

家康が小山から西へ引き返して関ヶ原合戦に
兼続:景勝様!追撃しましょう!!!
景勝:いかん!後から追撃する卑怯は、上杉の義に反する!
兼続:兼続、生涯の願いにございます!!!
景勝:内府(家康)のやりようがどうであれ、我らは勝って誇れんような戦いなどすべきでない!

こっちが本当

94 :日曜8時の名無しさん:2009/08/11(火) 16:09:42 ID:qG0iDDVG
賭けに出なかったといえばその通りだが、実際に徳川軍を追
撃して、最上・伊達に会津を蹂躙されてたら今頃大河にもな
ってないし、アホ武将呼ばわりだったろうな。

95 :日曜8時の名無しさん:2009/08/11(火) 19:16:43 ID:7EY6UavK
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/kin/1248884968/l50

96 :日曜8時の名無しさん:2009/08/12(水) 07:39:22 ID:2uqq8p+N
大河用に後世創作された全く架空の人物

そう言われたら俺は信じてしまう

歴史の中に埋もれてる有象無象の無名のひとり

どうせならさらに嘘をつらねてSF的超人でも俺は一向に構わんよ

声を出しても構わんよ

97 :日曜8時の名無しさん:2009/08/12(水) 09:58:38 ID:3637KHSF
泣き落としで全て解決した人

98 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 00:26:33 ID:sV3T/G34
Pert2????

99 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 02:42:42 ID:t8qvzvh3
地元新聞より

Q「天地人」の直江兼続ってどんな人?

A 主君・景勝とともに兼続は神仏を信じ、人として正しい行いをした謙信の「義」という心を学んだ。
当時は戦国時代で、人を信じられない時代だったが、みんなの幸せを願って「愛」という言葉にたどりついたのでは、と言われる。(愛の兜は、戦いの神である愛宕権化や愛染明王が由来ともいわれる)
 6〜8歳の頃に仙桃院(景勝の母)に認められて景勝の小姓になった。
5歳年上の景勝とは兄弟のように仲が良く、共に雲洞庵ウントウアン(寺院)で学問に励んだ。
その頃の武士はひらがなが書ける程度の者も多かったが、兼続は漢語はもとより他の知識も幅広く優秀だった。(後に、謙信にも目を掛けられる)
しかも、常に人の為になる事を考えて実行した。
「少年時代に、田畑に水を引く為に、湖から川まで水路を作る計画を立て、地元の子供を2千人も集めて成功させた」という言い伝えも残っている。
 「天地人」のタイトルは、上杉謙信が言った「天の時、地の利、人の和の3つが整った時、物事は上手く行く」という言葉から。
兼続は自分の城を持っても、田畑の仕事をして、人の和を大切にしながら町造りをしたと言われている。
そういう全てのものを愛した人という意味も込められているかもしれない。
 豊臣秀吉が「陪臣ながら天下の仕置きが出来る人物の一人」と言うほど信頼され、徳川家康に謀反を疑われた時も、堂々と立ち向かった。
敵と話し合う時は「信じて貰うことが大切」として、武器を持って行かなかったとも言われている。
それ位に、人を愛した武将だった。

※「天地人」実行委員会企画宣伝部参照より。

100 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 12:40:42 ID:ZHuIg8O+
age

101 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 13:07:41 ID:NbyfZP4g
どじょっこホイ踊りの企画、原案、振り付けを成し遂げた人

102 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 18:31:07 ID:pmj05oU4
暗愚な小才子

江戸期初頭のプロ市民を退治た事で有名

でも同僚後輩からはめちゃめちゃ嫌われていたようで
本人の死後すぐに家は取り潰し

結局何した人かワカラン

103 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 18:51:25 ID:qq9S4zLf
>>102
えらそうに評価してるけど、お前だってなにもしてねぇだろうがw。
わざわざこんなとこまできて、チンポコカキながら書き込んでんじゃねぇよ。

104 :虚無僧:2009/08/13(木) 18:54:18 ID:nRi7umHw
さっきテレビで血液型の話やっておったぞ。

それによると、石田三成はO型と言っておった。
司馬の小説とかだと、A型やAB型ぽく見えるが意外よのう。
直江は、Aかな?

105 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 19:08:19 ID:y2yWYONY
同輩から嫌われたとかとりつぶされたとかいまだに書くやつがいるんだな

106 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 22:29:41 ID:Q+k8CzVv
テレビ東京は面白かった

107 :日曜8時の名無しさん:2009/08/13(木) 23:49:34 ID:Nyqfxc0X
ああいう中途半端なの流されると困るよなぁ
歴史バラエティとはいえ・・

108 :虚無僧:2009/08/14(金) 06:03:34 ID:i1h7JzsG
歴女はしかし、色んなこと知っているな。
ニュースの中で、高田まゆことクイズ対決したら、
勝ったわ。
政宗の血液型は全員正解。
問題に出なかったところで、三成の血液型も言っておった。
だいたい、低い身分から上に気に入られ出世する香具師は、
秀吉もそうだがO型が多い。
じゃが、三成は小説だと姑息な面が強調され、Aぽく見える。
吉継は、熱くなって意外と目が見えなくなる三成諭せるタイプ、
友情に応えるのでAかB型だったのかな。

109 :虚無僧:2009/08/14(金) 06:13:41 ID:i1h7JzsG
恐らく、関が原の時、家康が好きな面々は三成とライバル意識が
強かったО型大名が多く、三成についたのはB型大名が多かったの
ではなかろうかなぁ?
じゃが、兼続の血液型は良く分からぬ。話だけでは分かりにくい。
意外とこれもОもありかのう?

110 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 09:40:25 ID:5XlyjSKF
天地人を見る限り、何した人かよく分からんな。
ただのマイホームパパじゃないか。
勘助みたいに晴信に忠節を尽くしてないし、太原みたいに知謀を巡らせてない。
景勝や越後の為とかいいつつ、ひたすら保身に走り美味しいとこ取りをする駄々っ子にしか見えない。もちろん実際は違うだろうけど、粗末脚本のせいでご愁傷様。

111 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 09:41:48 ID:iKHlAusJ
たとえば野球部で、主将が「ウチのチームは代々、義がモットー。今年も全国制覇目指して義でがんばるぞ!」と
練習してるときに、2年のエースから「私は、さらにすすめて愛の一字を掲げたい」なんていわれると、
「めんどくせえ奴だな」ってなったろうな。

112 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 10:46:45 ID:oLLVmXor
「愛」「義」と二つも掲げるから、
人物がくどい感じがするんだよな

113 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 11:05:46 ID:4PpmFM1E
>>112
五七五の俳句のなかに季語は一つだけってのと同じだね。

「愛」と「義」、どちらか一つだけでも充分に話展開できるのに
両方欲張って盛り込んじゃったから、話が無駄に面倒くさくなる。

114 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 16:07:34 ID:Aa/RYOgH
っていうか、
普通に史実に忠実に描くだけで、義と愛のテーマが出て来るのに、今回の天地人では、片っ端から大事なエビをスッ飛ばすから、分からなくなる。
 地元民、無念…

115 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 16:47:51 ID:WA4kSVzQ
史実に忠実に描いたら嫌味な高級官僚にしか見えんだろ

116 :日曜8時の名無しさん:2009/08/14(金) 19:49:16 ID:XmbUFTnC
三成殿とは三日三晩語りたい仲

117 :日曜8時の名無しさん:2009/08/15(土) 09:46:18 ID:XCxUw7az
三成殿とは相通じる所も
ありそうだね

118 :日曜8時の名無しさん:2009/08/15(土) 14:59:18 ID:JrnL/kHI
 上杉家は謙信公以来、天下の平定を目指したんだけれど、謙信公は仏教の教えに縛られて、あくまで尊皇穣夷でしか出来なかった。
 しかし兼続は、謙信公ほど極端な信仰の無かった分、同じ平定を目指すも、象徴天皇は別として、実質の政治の長は、実力さえあれば"武将"でも構わないと思っていた節がある。
だからこそ中央集権を目指した秀吉や、関ヶ原以降は家康に従ったのだと思う。

原作の火坂氏も、最初の原作本では そのあたりを描いていたように思えるのに、
もう少し実際にあったエピソードを描いてくれると説得力も出るし、時々その主題の説明を怠らないようにして欲しい。
他の大名との違いを際立たせないと、上杉家の主題が分からなくなる時があるから。
(主君の景勝は潔く男気のある武将だと思うけど、そこまでのビジョンは持って無かったと思う。だからこそ、そこまでのビジョンのある兼続に、執政のほとんどを任せたのだと思う)

119 :日曜8時の名無しさん:2009/08/15(土) 15:31:46 ID:D0ns/L9G
直江はさ、伊達ファンから(つまりは東北人のほとんど)嫌われてるから、
なんつーか、損してる面はある。
残ってるエピソードが伊達正宗を挑発するようなエピソードが異常に多いからだけどね。

まぁ想像で悪いが>>8とか>>11とかの典型的な伊達ひいきの人でしょ?

けども、まぁ、一風変わった(義、義うるさい)頭の切れる田舎の家老というポジションであり、
歴史上何をしたという程の功績のある人ではない。

けどそれをいったら、歴史上に残る人なんか、戦国期には三傑以外ほとんどいないわけで、
仙台を残した伊達はともかく(それでも田舎の領主でしかない。)、最上は、跡形もないし。
信玄や謙信も何も残していない。
歴史にのこることでいえば、本多正信(江戸城とか江戸の町割りきめた)とか、そのほうが遥かに現代に
深く残るし、
結局毛利や島津氏のほうが、のちを考えたら歴史に貢献?してるよ。

俺みたいに地元の戦国大名別所とか本願寺だと、好きにみれるけど。
けど、あれだな。サンドの伊達さん。あれはかなり面白いな。
関西人だけど、アンタッチャブルとサンドは本気で面白い。









120 :日曜8時の名無しさん:2009/08/16(日) 07:21:56 ID:foVdeiM4
お笑い???

121 :日曜8時の名無しさん:2009/08/16(日) 11:35:18 ID:HgMcv+S2
>119

つうかさ、伊達氏に関してはしょうがないんだよね
・エピ@
北の関ヶ原の時、伊達は上杉へ和睦の申し入れをしておきながら、長谷堂との最上との戦いになると、上杉との和義を破って最上に援軍を送り、撤退戦の時に、後ろから最上軍と一緒に攻めて来たり、
・エピA
長谷堂城を巡る戦いで、東軍(家康)の勝利を知ると、伊達は上杉領内の福島城を襲撃。
しかし上杉軍の反撃にあい、居城の岩出城(宮崎県大崎市)に逃げ帰った、ていう通説があるから。
(だから後に、兼続が江戸城で伊達とすれちがった時、挨拶もせずに無視した、なんて逸話が出て来る)

だから、どっちかというと伊達の方が上杉に対して悪いんだけど、大河「独眼竜…」で良く描かれているから、伊達ファンは兼続を逆恨みしている感じがする。
 でも上杉ファンとしてはどっちでも良いという気がする。時は戦国だし、義にこだわる上杉家の方が変わっていたから。

あっ あと、兼続はそれなりの人物だったから。暇だったら、米沢や上越などのゆかりの地をググってみて下さい。
良いエピや人となりや業績はたくさん出て来るから。

122 :日曜8時の名無しさん:2009/08/16(日) 12:07:06 ID:PvtI0kD4
内政センスと教養レベルは認めるけど軍事能力はお世辞にも一流とは思えないんだけどね。
秀吉や正信に尻尾を振るのは上手だったみたいだけどな。

上杉ファンは「上杉家は義に殉じた特別な大名家」って思い込みがあるからめんどくさい。
関東攻めの人身売買はともかく越中侵攻や御館の乱、新発田の乱は長尾上杉の不義が原因じゃないか。

123 :日曜8時の名無しさん:2009/08/16(日) 14:36:16 ID:kdIh0qpC
>>122
内政センスも怪しいもんだけどね(近代以降に作られた、鷹山の業績に便乗した説話)
処理能力は高いけど立案能力はかなり拙い。軍事能力は言わずもがな
上杉家にとって、兼続とは疫病神以外の何者でも無かった

関ヶ原合戦時の東北では、兼続と政宗の盛大なやらかしが目立つから
どうしても上杉(直江)対伊達で妙なぶつかり合いになる
10月に福島で政宗の南進を阻み、家康との交渉に赴いて上杉の存続を認めさせるなど
兼続のあまりに悲惨な失態の尻拭いをしてやったのは本庄繁長なんだけどね

124 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 08:22:02 ID:sV1AqUqM
>123
上杉家の存続を認めさせたのは、本庄ではなく兼続だし、
それは資料を見てくれれば分かるはず

>122
>上杉家を特別の大名と見たがる…

 義にこだわって生きた事実にはかわりない
 新潟県出身の俳優の渡辺謙さんは、かつて地元の新聞で、
学校で謙信公の事は教わって、人徳のあった謙信にあやかって、親は子供の自分の名前を謙信公の"謙"にした。
等のコメントをしていた記憶がある。
 敵に塩を送ったエピとか、仁義に厚い、優しくて強い謙信公を、地元民は本当に尊敬しているんだ。
 兼続だって越後時代の与板城主の地に、上杉家家臣にも関わらず、銅像も立っている程だし、米沢時代でも家臣にも関わらず、"兼続公"と呼ばれてた。
兼続とお船夫妻の墓は、山形県指定の文化財だし、
上杉博物館は市立の公立だ。

大した事のない家や人物ではない。

125 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 08:33:54 ID:tkhJ//MC
追記
>14のレスで
詳しく資料を用いて、
解説してくれてる人が居る。
御参考に。

126 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 08:40:22 ID:1OWrQnGt
追記2
更に詳しい
>>16氏がいました。

じっくり読んで下さい

127 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 12:12:34 ID:MmObIaiA
>>124
1600年10月末に、伏見留守居役の千坂景親が抗戦継続の不可を説き
本庄繁長が景勝に和平を進言。景勝はこれに同意して11月に本庄を家康の許に遣わし
本多正信と連絡の有った千坂がこれを助けて、徳川方と粘り強く折衝に当たり
その結果上杉は存続を得て、全てが片付いた翌1601年7月に景勝は上洛し家康に謝罪
この時に兼続は景勝の後ろに付き従って家康に頭を垂れたに過ぎない
終戦工作・上杉存続の手柄は全く本庄・千坂両将に帰するべきものであり
兼続は開戦工作は盛んに行ったが、終戦工作(上杉存続)には寄与していない
>上杉家の存続を認めさせたのは、本庄ではなく兼続だし
どうして他人の手柄を盗むのか?これでは「天地人」で武田との和平工作の手柄を
斎藤朝信・新発田長敦から横領したのと何ら変わらないのではないか?

>>14に引いたのは、矢田俊文氏の編による『直江兼続』(高志書院・2009)の
片桐・浅倉両氏の執筆部分とお見受けしますが
片桐氏所論の引用部分3行は「兼続とその与党が上杉家中の要路を殆ど押さえて
強大な権勢を誇っていた」と述べているのみで、その治績に言及したものではなく
浅倉氏の部分に至っては、原文の「コラム・おせんと兼続」を読んでみないことには
氏が何を言わんとしているのか全くわからないので、現物を読んでみることにします

>>16に至っては、既に>>18でも指摘されているように、荒唐無稽な物を多く含み
一部事実と符合する物にしても、兼続の功績に過大な修飾を施した物の列記に過ぎない
まさかこれらがことごとく「史実であり、直江兼続の実像である」とでも?

128 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 12:28:31 ID:pRqhCTyR
熱いな

129 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 12:35:21 ID:MmObIaiA
>>128
暑う御座います

130 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 17:44:26 ID:vLI3atCr
>127

こちらは出身地の上越市の
「謙信・兼続」検定公式テキストブックや、地元博物館公認の論文や、地元「天地人」実行委員会企画宣伝部の地元新聞投稿や、地元新聞取材を元にして、こちらにレスしている。
※検定テキスト本は、上越市の歴史研究家・植木宏氏、花ヶ前盛明氏および、謙信継承会議、歴史群像シリーズ編集部(滑w生研究社)の協力を得て編集している。

だから、そんなに間違った情報だとは思えない。

131 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 17:51:07 ID:C6VHjQ0i
>127

続きです

 その本庄が上杉存続を図ったと言われる情報元か、それについて書かれている本を教えて下さい。

132 :日曜8時の名無しさん:2009/08/17(月) 21:52:39 ID:ZIGOS3ln
>>131
本庄繁長が景勝の命を奉じて上洛し、終戦工作に当ったことについては
きちんとしたものであれば『村上市史』ということになるでしょう
資料編には上洛に際しての景勝発本庄宛の書状という「史料」も収録されています

「上杉家は義に殉じた特別な大名家」とお考えのようなので
御同輩の手による書籍のうち、本庄・千坂の終戦工作に触れたものを挙げます
三池純正『守りの名将・上杉景勝の戦歴』(洋泉社新書y・2009) 227〜230頁
極彩色の上杉・直江賛歌に、私などは胸焼けを禁じ得ませんでしたが
11月3日に命を奉じ上洛、12月中に本庄・千坂が本多正信・榊原康政・西笑と折衝すると
その部分においては確かに史実を記しているものであります

私が提示出来るのは以上です。私の目的は誤りを指摘することのみですので
後はどうぞ御随意に。長文を以て失礼を致しました

133 :日曜8時の名無しさん:2009/08/18(火) 01:50:28 ID:BnFoTzOb
>>127
ドラマのように兼続が武田との和平工作に活躍したことは、
ありえないと思うけど、徳川との終戦工作に兼続が全く関わらなかった
ということは、ないんじゃないかな。
本庄に上洛を命じた十二月二十二日の景勝書状(本庄文書)には、
すでに兼続が榊原康政に書状を送り、路次の安全を保証する旨の返事を
もらっていることが書かれているし、細かいことは、兼続から指示させる
と書かれている。
千坂や本庄が、本多正信、本多忠勝、榊原康政の口添えで、交渉にあたったのは
事実で、彼らの功績だと思うけど、兼続が全く寄与していないというのは、
言いすぎだろう。
132が紹介している三池氏の本では、児玉彰三郎『上杉景勝』からの引用だが、
十月二十三日の安田や竹俣らへの兼続書状に「江戸より無事之内証候」と
書かれてることから、家康筋から上杉家安泰との見通しを得ていた可能性も
示唆されてる。その下準備があったから、本庄は出発することが出来たとも。


134 :日曜8時の名無しさん:2009/08/18(火) 23:07:55 ID:4OF6Hs6g
何かさ
事実が分かれば分かるほど、直江って何したの?って

本庄や千坂が縁の下の力持ち的な真の功労者で
直江はスタンドプレイの人って感じ

135 :日曜8時の名無しさん:2009/08/19(水) 08:06:19 ID:tUvypmbt
三成や正信に食い込むことを批判する人もいるみたいだけど、そんな
こと言ったら大名家の外交担当全否定なんだがな。大名家の主張をく
み取ってくれる公儀の取次を選択し、入魂にするのは当時の外交担当
の重要な役割。関係を築けなかったり、将軍に嫌われてる人物を取次
に選択すれば大名家もピンチになる。

嫡男の結婚の逸話では「相手と対等の道具をそろえなければいけない
なら破断だ!武士は刀や槍さえさびなければいい」なんて言わせてる
が、実際は当日の出席者から料理人まで引き出物を用意するなど書状
を見ると心配りのできる人物であることがうかがえる。ちなみにおせ
んも吉田兼見の日記に「格別に気の利く人」と評されてる。

軍事能力についても軍記物の中で水原や上泉に批判されているが、
対上杉最前線の畑谷を無視しろとか、快進撃途中なのに、上方の戦
闘が早期決着することをばぜか予知して撤退しろと言う方がどうか
してるのであって、戦略的には直江の方が真っ当(無論、水原や上
泉の進言自体が創作の可能性が高い)。長谷堂も攻城期間は短く、
陣の張り方は山形城からの援軍を釣りだす形という指摘もあるので、
優れていたとする根拠も薄いが、むやみに軍事能力は皆無などとい
うこともできない。

136 :日曜8時の名無しさん:2009/08/20(木) 10:02:23 ID:Zy0uFv9Q
>>134がズバっと結論を出しちゃったな


137 :日曜8時の名無しさん:2009/08/20(木) 12:00:50 ID:+4G9hD3P
方向性(時には細かい指示も)を示すのが景勝や直江。
本庄や千坂、平林、春日らはそれに従って動いた実務役。
直江がスタンドプレイというのは本庄や千坂と並列に見る誤解から
生じた意見。役割自体が違う。

138 :日曜8時の名無しさん:2009/08/22(土) 12:39:02 ID:1sZTSDMw
直江は大したことない?
俺は直江の経歴をみただけですげぇとおもったけどな。
絶対凡人では真似はできねぇよ。


139 :日曜8時の名無しさん:2009/08/22(土) 13:01:44 ID:o5D3cGW3
経歴はたしかにすげえんだけどな
業績は文献とマイナー商品作物奨励だけ
まあ、権力者に覚えめでたい、というだけ

140 :日曜8時の名無しさん:2009/08/22(土) 13:15:52 ID:orUuTI2h
関ヶ原の後、徳川と伊達が上杉攻めを翌春早々に行うという状況に
なって、尻に火がついて徳川に詫びを入れたというのが実態。
徳川への恭順は上杉の「義」よりも現実的な「恐怖」が上まわったんだろうな。

そこが領土を保全し、武威を最後まで守った島津との違い。

141 :日曜8時の名無しさん:2009/08/22(土) 13:39:58 ID:qQek7vad
島津の場合はもともと伏見城に入る予定だったのが拒絶されて
西軍についた。義久は「弟が勝手にやった」。
一方で上杉家は豊臣政権から離脱しているので、本来は三成に
加担したとかそういう次元じゃない反逆者。大減封は当然。

どちらも負け組になりながら評判を落とさなかったのはすごい。

>>139業績がなにもないのに権力者の覚えめでたいとはすごいな。

142 :日曜8時の名無しさん:2009/08/22(土) 18:53:09 ID:bQ+Y/f7T
アッー!

143 :日曜8時の名無しさん:2009/08/31(月) 22:03:27 ID:sjf5Tziu
いよいよ直江状が近づきました!

144 :日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 09:11:58 ID:EFiGU+U4
義久は義弘に全て押しつけたが景勝は兼続に責任押しつけなかったんだな。

145 :日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 11:53:33 ID:aOP9/3bO



■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■

1 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/29(土) 17:48:08 ID:Du7ELlvd0
めちゃくちゃ胡散臭いんだけど
だいたい何百年も前の人間の子孫だってどうやって証明するんだよ
家系図もいくらでも捏造できるし、織田という苗字だっていくらでもいるし
その苗字も後で名乗ったものかもしれないしな
天皇家や徳川家なら時代が近い分まだ信用できるけどな
織田家なんてちゃんと存続してるかどうかも怪しいってのに

あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
いやらしいにもほどがあるw
本人達もことあるごとに『織田の子孫』って自慢するし
どんだけ面の皮が厚いんだか
俺には詐欺師にしか見えない
皇族の名をかたる詐欺師によく似てるわ


http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/


146 :日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 15:20:17 ID:mjmLnS5l
>>140
日本南端の大勢に影響ない中央から遠い国だからな
攻め取るほど価値ないよ(笑)

147 :日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 16:02:29 ID:ys4faGWh
>>146
まさか300年後に牙を剥くとは思ってもなかったろうな

148 :日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 21:08:39 ID:hzECf5ZO
島津の上洛が遅れたのは武威を示すというより、領国内の君主権が確立して
おらず、家臣団の同意を得られなかったのが大きいんだけどな


149 :日曜8時の名無しさん:2009/09/01(火) 22:19:25 ID:BsTNBuYz
>>140
屁たれ大河とは
まで読んだ

150 :日曜8時の名無しさん:2009/09/02(水) 05:05:56 ID:YH2hlVoX
120万石を謝った外交方針/戦略で30万石にまで縮小させた宰相ってのが実績かな? 秀吉に媚びて120万石までいったのが実績かな?


151 :日曜8時の名無しさん:2009/09/02(水) 06:12:29 ID:cBVXWw0q
>>147
江戸期の徳川家の仮想敵国はずっと毛利・島津じゃないの?
熊本城や姫路城、名古屋城などの巨城その為あると思ってた

152 :日曜8時の名無しさん:2009/09/02(水) 09:23:01 ID:PODlpv4K
30万石に減封されたのは誤った外交・戦略ってんじゃなく
結果論だからな。家康の恐喝に屈してたら今はないし、西軍
だって負けると決まってたわけではない

153 :日曜8時の名無しさん:2009/09/02(水) 10:40:17 ID:YH2hlVoX
結果論的に何をした人なの?ってスレだぞ。 関ヶ原での戦略なんかを養護するのはいいけど、じゃあ何をしたの?と。
何した人よ?
関ヶ原で大領を失った宰相って位置付けしかできないんじゃないか?

154 :日曜8時の名無しさん:2009/09/02(水) 16:46:13 ID:jdhtKAJK
結局、直江兼続って〜の「結局」ってのは結果的にって意味じゃないと思うぞ


155 :日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 01:37:10 ID:RqIqbAZa
直江兼続って上杉景勝と事実上夫婦みたいな関係なんだろ。

156 :日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 01:51:47 ID:9Bri/MIP
つまり、衆道の関係であった、と

157 :日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 09:31:12 ID:pQW7i0D8
衆道の関係なんて若いころしかしないだろ
どっちも大人になってもやってると思うのは腐女子脳

158 :日曜8時の名無しさん:2009/09/03(木) 21:14:52 ID:W177JLtV
夜2人で話してるところに高島礼子が来て
「いつも2人でいないで早く帰って子供をつくれ」みたいに言うシーンが
あったけど、あれは2人の関係をそれとなく表現してるんだろ。
兜の「愛」は亭主への愛と考えればしっくりくる。

エカチェリーナ2世と側近政治家たちが男女の仲だったりしてるし、
昔の政治ではそんな風にして信頼関係を築くこともあったんじゃないのか。

159 :日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 08:42:54 ID:rAsS/6mL
120万石は、毛利のことで。

上杉は捏造。真実は、91万石です。。。。。。。。。。。



160 :日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 08:53:17 ID:FXPQoaLE
91万石は越後時代で会津では120万石くらいあったんじゃない?
じゃないと移封を承知しなかったでしょ。
あと佐渡とかはまだ領地だったし。

161 :日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 11:54:16 ID:XDXhKgEI
上杉が関ヶ原で東軍に付いてたら戦後は加増されたはず。
となれば上杉が120万石を越える徳川家に次ぐ大大名になっていただろう。
江戸時代徳川家とつながりの深い前田ですら百万石に過ぎない。
必ずしも恭順的ではない潜在的敵対勢力の上杉家の領土を徳川幕府が許容する事はとてもあり得ない。
おそらくは江戸時代初期にあれこれ難癖つけられて改易されるか良くても大幅に減封されただろう事はまず間違いない。
とすれば関ヶ原で敗北し中大名に落ちたせいで上杉はお目こぼしされたわけで兼続こそ上杉家を救った最大の功労者といえるのだw


162 :日曜8時の名無しさん:2009/10/05(月) 23:08:40 ID:Rd8BRaBk
>>161
声が裏返ってるよw

163 :日曜8時の名無しさん:2009/10/06(火) 01:23:24 ID:WxBcfLSk
直江の功績など経歴を調べて、その生きた時代を想像しながら、考えないとな。
とりあえずは、戦国時代を生き残った武将っていうのはサバイバルの勝利者でもあるから
直江のみならず、だれひとりぼけ〜〜っと生きた人間はいないことは確かだ。
きっと毎日がぎりぎりの緊張感におそわれてたはずだ。



164 :日曜8時の名無しさん:2009/10/06(火) 01:32:09 ID:l0kh9Wep
>>161
上杉家がどの道、減封されるか、家康にとって代わるかしないといけないのは、
毛利や島津と違って、豊臣政権での東国支配をめぐって徳川と直接的な利権争い
が生じるから。
家康にとれば上杉は会津からもっと東か西国に移す、あるいはなんとかして小さく
してやらないと邪魔でしょうがない。
直江が最大の功労者という冗談は置いておいて、謀反の疑いをかけられた時素直に
恭順しても適当に言い訳をつけられて減封、そのままいっても幕府に目の敵にされ
るってのはあるだろうな。

165 :日曜8時の名無しさん:2009/10/06(火) 13:39:07 ID:TH7tswSe
>>164
田舎大名は純朴単純だから扱いやすいと判断した
現に尻尾振って徳川についてる

166 :日曜8時の名無しさん:2009/10/06(火) 14:41:24 ID:Vx2SihcN
三河武士は都会っ子なのか

167 :日曜8時の名無しさん:2009/10/06(火) 17:59:32 ID:nrcUMSSi
自己中なんだろ

168 :日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 02:52:44 ID:345fqe5k
貧相な米沢の土地をまともに米取れるようにしたのは、直江の手柄
だろうねえ・・・。実収50万石とかなんとか。内政の政治家としては、
凄いのだろう。参謀・戦略家としてはかなり?な人だが・・・。

169 :日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 09:12:57 ID:AfT+jxhb
豊作時の最高高が50万石。これは30万石の藩の豊作時が普通この程度。
毎年実収が50万石あったわけではない。というか増産できていない。
東北南部は未開地が多かったため諸藩はどこも石高を増やしている
直江は増産できなかった。内政が?な人だ
米沢の開墾は前統治者の業績だ

170 :日曜8時の名無しさん:2009/10/08(木) 11:56:55 ID:LG3xnEZ6
だな直江など蒲生の足下にも及ばぬわ

171 :日曜8時の名無しさん:2009/10/09(金) 12:21:20 ID:90d8Ghqs
50万石って話が出ると必ず「それは豊作の時だ」という人がいるが何をソースにしてるんだ?

伊達家や上杉家が寛永年間に検地を実施したのは増産分を藩に納めさせるため。豊作に合わせて
検地を行い、農民から毎年年貢を1、5倍取り立てて反抗されなかったらそっちのほうがすごいわ。

172 :日曜8時の名無しさん:2009/10/09(金) 21:18:23 ID:uTOG6489
確かに置賜・伊達・信夫だけで30万石って多いよな
国持大名でさえ30万石無い所があるし
例えば土佐なんか一国で24万石しかない
直江が来る前に開墾されていたって事で
これ以上開墾する余地ないのに賦役だけは30万石分あったとしたら
米沢藩の貧窮も納得だわ

173 :日曜8時の名無しさん:2009/10/11(日) 16:50:29 ID:/SSBo3im
農戒書の作成?

174 :日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 21:53:07 ID:rh4Ix9xw
Q.直江兼続は結局何をした人物なのか。

A.越後の上杉家で、中・近世移行期に「執政」として政務を行い、
いわゆる天下人である豊臣秀吉に特別視された人物。
いうなれば、上杉家内で最も優秀な政治家。


120万石とか30万石ってのは、別に直江兼続ひとりの成果ではなく、
上杉家としての結果でしかない。と、思う。

175 :日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 09:32:06 ID:kg8apKaJ
赤坂大輔氏の「愛・直江兼続の敗北」新人物往来社
は兼続の功罪を冷静に論じている。戦略戦術の失敗も
そして悲しいその必然も。

176 :日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 09:56:24 ID:C0QLSFVh
赤坂って歴史研究者でもなく直江ファンを名乗る政治家だし、謙信暗殺など、う〜ん・・・
という部分も多い。愛とかそういうんじゃなく、冷酷な部分も持ちながら智謀で戦国を生
き抜いたところに魅力を感じるというのは同感だったが。

177 :日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 10:03:31 ID:DgVZ7Aal
兼続は半端な理想主義者の小物が権力持つと周りの人が不幸になるという好例

178 :日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 10:24:20 ID:HME+GpOJ
ドラマではな。

179 :日曜8時の名無しさん:2009/10/16(金) 10:56:58 ID:BuXbksEu
加熱具「ぜんぶワシの成果じゃwぜんぶワシのおかげじゃw」

180 :日曜8時の名無しさん:2009/10/17(土) 07:09:00 ID:iKu6UtX6
>>177
鳩山ですか

181 :日曜8時の名無しさん:2009/10/17(土) 08:44:31 ID:4BCLpllT
@有能な近臣を抜擢してワントップ制を敷くことで、国衆の
合議制から脱却。
A信濃衆や大宝寺衆ら外様を与板衆に組み込んで支配することで、
上田衆以外の強大な与党を作り上げる。
B巨大な統一政権に臣従し、その力をバックに領内での景勝権力を
強固にする。

182 :日曜8時の名無しさん:2009/10/18(日) 04:27:45 ID:qEYCfVKF
「愛」を勝手に連想するからわけのわからんドラマになる。
「愛」は愛宕さんの意味じゃ。ゲン担ぎじゃ。お守りじゃ。
鷹山公をお招きして講演会を開け。


183 :日曜8時の名無しさん:2009/10/19(月) 23:59:53 ID:ePL+r8Bn
兼続カッコワルイの〜。
負けを認めて頭下げといて、まだ悪態付くなんて。
男らしくないぞ。
死ぬまで戦って散ったなら、たとえ敗れてもカッコよかったのに。
あほか。

184 :日曜8時の名無しさん:2009/10/22(木) 04:19:24 ID:WwfBIY5E
>直江兼続って何した人なの?

上杉名物「どじょっこほい」の名手で、
未来の日本にまで知らしめた稀代の踊り手。

185 :日曜8時の名無しさん:2009/10/22(木) 14:08:38 ID:lct9DZDv
歌会の方を見たかった
坊さんが、どう政治に関わっていたか見たかった

186 :日曜8時の名無しさん:2009/10/25(日) 11:46:19 ID:su7j8czk
 こんな事もしてました。
(新聞にも載ってるかも)


直江兼続は天皇の倍額を寄付 北野天満宮の屋根修理で

安土桃山時代から江戸時代初期の武将直江兼続(1560〜1619年)が、
学問の神様、菅原道真を祭った北野天満宮(京都市上京区)の屋根修理費として、
天皇の寄付額の倍に当たる米100石を寄付したことを示す古文書が同天満宮に残っていたことが24日、分かった。

記載された人の中では最高額で、鑑定した藤井譲治京都大教授(日本近世史)は
「学問に秀でた兼続が、天満宮を支援したのでは」と推測。兼続の“太っ腹”ぶりを示す史料として注目されそうだ。

古文書は1588(天正16)年の「北野檜皮葺奉加帳」で、北野天満宮が所蔵。
修理費用を負担した人の名前と金額が筆書きされ、最初のページには身分の高い7人が掲載されていた。

6人目に直江兼続を示す「越後 直江山城守殿」と書かれ、寄付額は「米百石」だった。

当時の換算では約20両で、黄金2枚分に相当。同じページには「位御所様 黄金壱枚」などの記載もあり、
後陽成天皇と、正親町天皇だった正親町院がそれぞれ黄金1枚を寄進したことを示している。

藤井教授によると、兼続は、生まれ故郷の越後国の一部が室町時代に
北野天満宮の領地だったため寄付したとも考えられるという。

また豊臣秀吉の妻ねねは「黄金壱枚 政所殿様」とあり、後陽成天皇や正親町院と同額だった。
ねねの次の行には「黄金弐枚 密々」と記され、
秀吉の名前を伏せて、黄金2枚の寄付額だけを記載した可能性があるという。

2009/10/24 17:25 【共同通信】

※他スレから引っ張って来ましたスマソ

187 :日曜8時の名無しさん:2009/10/25(日) 18:57:11 ID:5ic/YOfv
米沢牛は兼続ではありません。
でも旨い。

188 :日曜8時の名無しさん:2009/10/25(日) 19:01:52 ID:WBNC2QOZ
結局、上杉をgdgdにした戦犯ツートップ景勝&兼続

ってとこか?このドラマによるとさw
まさにサムライ・ブルーってか?

189 :日曜8時の名無しさん:2009/10/26(月) 03:51:15 ID:Sa2sJPN1
鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」つまり「休みが多い!」
ことで週刊誌で騒がれた会社だ。

僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。
サボっていたら「休みが多い!」と激怒されリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。
週刊誌が「休みが多い!」と話題にした会社から「休みが多い!」と激怒されたのである。

その後、鳥取三洋の構内にあるテスコという工場に勤め
一年半休まずに働いていた。

「休まずに働いているのはリコーに対する報復」という噂でテスコをクビになった。

世の中には馬鹿馬鹿しい噂を流し、信じる人もいるものだ。
 
リコーマイクロエレクトロニクスはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害に弁護士までつけて揉み消し。

旧態然とした田舎での大手企業の人権侵害だから、地元の人は事情を知っていても事情を僕本人には教えてくれないのだ。

190 :日曜8時の名無しさん:2009/10/27(火) 10:47:45 ID:hO9nuQVI
漫画では立派な人物なのに台無しだな

191 :日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 10:38:00 ID:0IMwN8pX
もったいない

192 :日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 11:29:38 ID:44il+qf4
米沢藩を財政破綻に追い込んだ原因を作った人
景勝と兼続のせいで上杉氏の子孫と米沢の住民はかなり苦労した
米粒を最後の一粒まで年貢を徴収して住民は米が食べられなかった

193 :日曜8時の名無しさん:2009/10/28(水) 13:38:08 ID:1KUvP/sM
必要なリストラはしてるからなぁ。

194 :日曜8時の名無しさん:2009/10/30(金) 14:33:16 ID:7PYvrGoV
米沢藩が本当に危機的状況になったのは、
15万石になってからだろう。
兼続死後も、新田開発、利水事業は進められ、
兼続死後20年たったころには、内高50万石といわれるようになった。
経済状態に余裕があったためか、定勝時代には亡家再興や分家取り立てが盛んに行われてるよ。


195 :日曜8時の名無しさん:2009/10/31(土) 00:25:13 ID:TEmkCL4X
>194
勉強になります乙

196 :日曜8時の名無しさん:2009/11/02(月) 05:26:35 ID:zz/JAsi5
>>192
財政破綻に至った典型例は赤穂事件で有名な吉良上野介の子と取り巻きだとおもう。
彼が上杉の家督を継いで藩の指導をしていた頃の出費がひどいみたい。
それを立て直したのが鷹山公。

197 :日曜8時の名無しさん:2009/11/02(月) 16:59:23 ID:I0Wfwpod
寺の鐘にイチャモン付けて戦争起こした奴に加担した愛と義の人

198 :日曜8時の名無しさん:2009/11/02(月) 19:15:20 ID:MjmMahAo
>>196
本当?ためになるな

199 :日曜8時の名無しさん:2009/11/02(月) 23:14:27 ID:8rsCT/0G
吉良には確かに多大な財政援助してたみたいだね。
だが、寛文の削封の際、領地高に見合う家臣の召し放ちをほとんどしなかったことや、
国役負担の重なり、綱吉時代の悪貨発行頻発によるインフレーションも少なからず関係してると思う。
米沢だけでなく、元禄以降、藩財政の窮乏を認めない藩なんてなかったと思うけどな。
まあ、忠臣蔵の影響か、ぜんぶ吉良のせいにする風潮はある。

200 :日曜8時の名無しさん:2009/11/03(火) 01:07:02 ID:ctry7bpM
無理難題

→兼続( ̄ー ̄)ニヤリ

→パーパーパパ〜(言い訳のテーマ曲)

→屁理屈で相手をねじふせる

毎週日曜にこんなんしてる人

201 :日曜8時の名無しさん:2009/11/03(火) 08:33:04 ID:WsFP0Jpg
綱憲は興譲館の原型を作ったり、上杉御年譜を編纂したりと文化活動
にも力を入れている。ただ、実家の吉良家に肩入れしすぎたのが
あまり評価されないところだろうな。

ちなみに直江が藩内で奸臣扱いされていたと言う人もいるけど、綱憲
が編纂した年譜などを見てもそうは思えない。

202 :日曜8時の名無しさん:2009/11/05(木) 00:02:48 ID:C4lhor5/
言い訳のテーマって、結局粗末の脚本があまりにも低レベルで説得力ゼロだか
ら、スタッフが苦肉の策で編み出した裏技のように思えてきた。

視聴者が普通に見て納得できる展開だったら、何もあんな大げさなBGMで誤魔
化す必要は全然ないのだから。

能無し粗末は小学校に入りなおして作文の書き方を1から勉強しろ!
脚本云々はそれからだ!


203 :日曜8時の名無しさん:2009/11/05(木) 14:17:09 ID:znlwkMzn
主人公がいいこと言うシーンでも、普通は内容や物語の流れに応じて
静かな曲にしたり、さわやかな曲にしたり、あるいは効果音のみにしたり
いろいろな演出が考えられる。

でも天地人ではいついつも同じ威勢の良いバージョンの主題曲をバックに
かねたんが強引に超理論を押し通すという超ワンパターン。
これはスタッフの裏技というか、ヤケクソだと思ってる。
もう、居直ってわざとやってるとしか思えないアホらしさだから。

204 :日曜8時の名無しさん:2009/11/05(木) 22:53:11 ID:Dku/pnCO

そういうシーンをいつも爆笑しながら見てる
これはお笑い大河だから良いんだよ

205 :日曜8時の名無しさん:2009/11/12(木) 22:41:53 ID:kHtQjDOy
>>196
いやいや、120万石時代にいた家臣達を30万石に減封されても召し放ちしなかったのは景勝と兼続に責任あるよ
実質50万石になろうが五大老のプライドを捨てられずに五大老時代の家臣を雇い続けて厳しい年貢の取り立てを行った事実は変わらない
実際高い年貢で領民が他藩に逃げ出した記録がある
だいたい勝算も死ぬ気で戦う覚悟もないのに徳川に盾ついて結局徳川にひれ伏すような武将だし領土を安堵させた伊達政宗の方が一枚も二枚も上手
直江兼続は凡将とは言わないが、参謀としても黒田如水や竹中重治の足元にも及ばないと思う

206 :日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 16:46:42 ID:BqW1sdfy
従姉弟セックスで
子供三人を早世させた親父。

<結論> 血族結婚は あきまへん。

207 :日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 21:06:38 ID:yHzWg4WR
いや凡将でしょ

景勝と直江の主従揃って権力者のバックアップのある合戦しか勝ったことないんだってね
それ以外すべて負け

208 :日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 20:37:23 ID:CIsPHPgg
上杉が関ヶ原で東軍についていれば江戸幕府はなかったかもしれないし
少なくとも東軍につけば上杉と伊達にも天下のチャンスはあった
時勢を読めないのは戦国武将として致命的
景勝も兼続も天下人の器ではないな
義を貫くなら戦場で死ぬか最後まで抵抗しろと思った
結局頭下げといて義と言われても

209 :日曜8時の名無しさん:2009/11/28(土) 01:31:17 ID:HGVFGsEs
豊臣を攻め滅ぼすのが義と愛

210 :日曜8時の名無しさん:2009/11/29(日) 16:26:06 ID:LvX7iK3v
豊臣を真の天下人に押し上げた義と愛 だろw

211 :日曜8時の名無しさん:2009/12/01(火) 22:27:18 ID:oVoIoDhZ
ついでに上杉を徳川の犬にするのも愛と義なのか?

212 :日曜8時の名無しさん:2009/12/02(水) 00:54:48 ID:uefZJemj
少しは歴史の勉強しろよ

213 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 00:40:00 ID:L2oAyF5y



私財を投じ、「禅林文庫」を創設。
藩校「興譲館」の基礎を創った・・・そうだ。

214 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 01:04:52 ID:t5lgZfiY
藩校なんてどこの藩にもあるがな
その程度のこと勿体つけて行間空けて書くなよ

215 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 03:01:31 ID:lf06f6LO
>>214
兼続のころはまだどこにでもあるという時代ではないぞ。
まぁ、兼続が本当にのちの藩校のような形にしたかったのかどうかは
不明だけど、蔵書の質は日本屈指。「藩校」と呼ばれるものがまだ存在
していないし。

216 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 03:11:52 ID:aFVYjeCQ
出版事業なんてやった武将は家康と直江くらいだろ。
家康は政治学の本、直江は文学の本、と趣味は異なる。家康が出版した
のも直江所蔵本と読み合わせしてるけど。

217 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 05:09:16 ID:kip5RY0L
>>216
その辺は大河ではスルーしたんだっけ?

218 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 09:25:50 ID:aFVYjeCQ
スルー。
家康が死ぬ前に、直江山城に蔵書を譲るという台詞はある。

219 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 18:40:40 ID:ledNr33N
直江兼続の功績
 大坂の陣で井戸の中から千姫の救出を成功させた。
 徳川家康を改心させて、250年の太平の精神的基礎を築いた。
 五大老五奉行制を考案した。
 殺人狂だった伊達正宗を改心させ、共同で徳川家の指南役を勤めた。
 愛と義の大切さを説いて人心を穏やかにした。
 DQNだった真田幸村を精神的に育て上げた。

220 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 18:56:04 ID:FDTtCv81
>>219
つまり・・・何もしていないんですね

221 :日曜8時の名無しさん:2009/12/05(土) 20:22:46 ID:lF0fP2zy
変態陰陽師としか覚えてない

222 :日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 11:44:49 ID:cKUJHFfz
古川に兼続子孫の墓
謎の人物直江兼康
郷土史家「大名並みの地位」
米沢直江会「隠し子の可能性も」

 大崎市古川下中目の萬年寺(ばんねんじ)に、直江兼続の子とされる人物か
ら続く直江一族の墓があることが分かった。石碑には、一族の初代の名は「直
江山城守兼続嫡子肥前守兼康」と記されており、この兼康が戦国時代から江戸
時代初期にかけて上杉家の家老をした兼続の子とすれば、これまでの通説を覆
す発見になる。
 墓は高さ約1・5bで、正面に「直江家之墓」と刻まれているほか、脇の石
碑には、兼康をはじめ江戸から昭和にかけての直江一族43人の生前の名や戒名
、死亡年月日などが記されている。
 それによると、兼康が死去したのは正保3(1646)年10月21日。兼続が
60歳で死去した元和5(1620)年の26年後に当たる。戒名は「松覺院丹光
壽榮大禪定門」。郷土史家によると、院≠竍大≠フ文字から相当地位が高
かった人とみられるという。
 墓を管理している子孫は10年前に古川から引っ越し、現在は茨城県で暮らし
ている。直江一家と交流があった農業、加藤憲治さん(60)=大崎市古川下中
目=によると、1987年に墓を建て直した際、以前の石碑に記されていた名
前などをそのまま書き写したという。墓以外には情報がなく、詳しいことは分
かっていない。
 さらに、大崎市松山下伊場野の別の直江家にも、祖先のものとされる弓など
が残されていたといい、世帯主の男性(68)は「昭和初期に下伊場野に引っ越
す前は中目に家があった。我が家こそが兼続ゆかりの家かもしれない」と話し
ている。
 通説では、兼続は長男・景明のほかに2人の養子を迎えたが、景明は20歳前
後に病死、養子2人も縁組を解消したため、直江家は断絶したとされる。仮に
兼続に別の男子がいたとしても、米沢藩の重鎮の一族が要職にも就かず大崎地
方に住んでいたのは不可解だ。
 これらについて、米沢直江会の小山田信一会長(80)=山形県米沢市=は「
徳島県にも兼続直系とみられる一族がおり、兼続に隠し子がいた可能性がある
」と指摘。大崎地方にいた点については「茂庭家との関係でかくまわれていた
のでは」と推測している。
 茂庭家は、1600年の関ケ原の戦いに連動して兼続率いる上杉家が最上領
内に侵攻した際、伊達家の援軍として逆に上杉領内に攻め込んでいる。松山領
主になる前は伊達家などとともに米沢に住んでいた。兼続が1598年から米
沢を所領していたことからも、両家に敵味方を越えた関係があった可能性もあ
る。
 ただ、兼康の墓がある萬年寺は、茂庭家より前に松山を所領していた遠藤家
の菩提寺。400年前の点と点を結ぶにはさらなる解析が必要になりそうだ。
 郷土史に詳しい茂庭家菩提寺「石雲寺」の前住職、宮本亨一さん(76)は「
生前の名前や戒名を見る限り、(兼康は)大名並みの地位だったことが分かる
。なにか身を隠さなければいけない理由でもあったのではないか」と話してい
る。
(2009年11月11日付 大崎タイムス)


223 :日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 11:47:00 ID:gM1WKR4A

長野県の善光寺wwwwww阪急阪神ホールディングスwwwwwwwwww

壮絶いじめ宝塚歌劇団(阪急阪神ホールディングス)w

長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、金もコネも無い岩手出身の女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、金もコネも無い岩手出身の女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、金もコネも無い岩手出身の女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、金もコネも無い岩手出身の女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、金もコネも無い岩手出身の女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、金もコネも無い岩手出身の女生徒を退学処分にした。www

△▼【万引捏造】96期[Part15] 【冤罪退学】▼△
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/siki/1260543134/
【Googleは】宝塚音楽学校冤罪退学事件3【ハッカー】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/12★60390479/
宝塚音楽学校を退学処分になった女性、不祥事を捏造されたとして提訴
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/125★7679254/

宝塚音楽学校でガチャ切りしたの誰なんだろうね?
事務員とかな電話対応やクレーム対応習わないのかとらびっくりなんだけど。
宝塚歌劇営業部はまともな対応だね。
音楽学校は、アーアー聞こえなーい電話ガチャンって姿勢だからね。
裁判所にもアーアー聞こえなーいだし、クレームなんか聞く気もなさそうだよ。


224 :日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 12:48:27 ID:b4x3elI+
>>219
そりゃ何かしてたらもっと有名だし何度もドラマや映画化されてるからな


225 :日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 23:05:12 ID:tpddPk0N
大河ドラマ「天地人」
上杉120万石を30万石に減らした男たち

だから、このキャラクター設定で案外、
史実通りなのかも知れんよwww

226 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 15:19:59 ID:avHnfiSP
>>225
あんだけ逆らって負けても30万石ですんだらすごいよ。
お前だったら浮浪者だろw

227 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 15:59:10 ID:xz08CETh
「チンポがかゆうてならん」
「だん↑だん↓」

228 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 16:44:55 ID:PmDk+yF2
^^;

229 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 21:25:30 ID:9TWaV3/e
>>216
>出版事業なんてやった武将は家康と直江くらいだろ。

ところが、加賀に前田利常という奴がいてな……
「加賀は天下の書府なり(新井白石)」という言葉が残されてるぐらい。
残念ながら米沢は誰からも天下の書府とは呼ばれていない。

230 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 22:18:39 ID:SooDSQSu
利常では2人と時代がずれてるし、加賀で学問に力を入れたといえば
どちらかといえば二代あとの綱紀だな。

231 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 22:53:28 ID:yii5K1Kz
どうせ自費出版だろ

232 :日曜8時の名無しさん:2009/12/14(月) 23:56:24 ID:bkmF8fLl
直江の逆らいっぷりが凄すぎて家臣たち全員失禁

233 :日曜8時の名無しさん:2009/12/15(火) 00:29:14 ID:6O1cksA2
新井白石は直江大好きやん。

234 :日曜8時の名無しさん:2009/12/15(火) 01:14:16 ID:UgilMqRb
>>231
国の要人が所望する自費出版本だからな。おせんが再版してるので
需要もあったんだろ。
蔵書も国宝の宋版史記などは世界にこれしかないと言われてる珍品。

235 :日曜8時の名無しさん:2009/12/15(火) 23:24:05 ID:1XdHePC+
粗末「エッ、兼続って何か本出したの?」

236 :日曜8時の名無しさん:2009/12/16(水) 01:23:28 ID:5Cr0QwiN
禅林文庫すらとってつけたように最終回に「出しただけ」だったからな

237 :日曜8時の名無しさん:2009/12/16(水) 10:18:32 ID:Yp6os/Sv
参謀の出来が良ければトップがアホでも何とかなると日本人らしい
勘違いをもたらした嚆矢。

238 :日曜8時の名無しさん:2009/12/16(水) 13:25:48 ID:F4PiUrSh
むしろ参謀の出来が悪いと衰退する、という例じゃね

239 :日曜8時の名無しさん:2009/12/16(水) 16:20:40 ID:PoNMpNiZ
史実と天地人の直江を一緒にするのはさすがにかわいそうw

240 :日曜8時の名無しさん:2009/12/18(金) 22:24:28 ID:9djM+jwW
しかし、史実の直江と謙信没後の上杉家を描いたら、
それはそれで、イライラの溜まるクソドラマになったと思うぞ。
「なんだよこの論功行賞? 新発田が怒っちゃったじゃねーかよ。バカか???」とか
「なんで一揆を煽ったのに越後に兵を出さないんだよ。バカか???」など

241 :日曜8時の名無しさん:2009/12/19(土) 14:00:06 ID:+AX2/Dnt
>>240
御館の乱後の論功行賞が本当に極端に偏っていたのかは微妙だけどな。
新発田たちが上田衆が台頭したのに不満はあったんだろうけど新発田の挙兵は
織田の調略、毛利秀広の乱心も河田長親が勝手に認めた恩賞を景勝が認めなか
ったことが原因。豪族に甘く彼らを抑えられない謙信と、豪族に冷たくて近臣
を引き上げて自身の政権を作り上げる景勝の対比も面白いと思うが。

一揆も越後に侵略するためではなくて越後方面からの会津侵攻をさせないため。
家康が西上すると村上、溝口が不戦の立場をとり、やがて堀も西軍に通じたので
直江は「一揆は適当なとこで終息するように」と命じた。特に問題はない。

242 :日曜8時の名無しさん:2009/12/19(土) 14:09:15 ID:aSHLOx99
いつものように華麗にスルー

243 :日曜8時の名無しさん:2009/12/19(土) 15:30:36 ID:GDvAAf27
小松先生と内藤Pでは誰が主役でも、政争や人間の醜さを描けるわけがない。

244 :日曜8時の名無しさん:2009/12/19(土) 16:54:35 ID:6Cpf2tOn
謙信生前の越後は水面下の政争を散々繰り返しながら
どうにかこうにか謙信が辛うじて手綱を捌いてたようなもんで
越後がまとまったのは景勝の代だからな。
謙信は神様で越後は理想郷でした、とした時点でおわっとる。
カリスマは謙信に負けても
家臣の統制に関しては景勝は謙信を超えていたって評価もあるのにな。

245 :日曜8時の名無しさん:2009/12/20(日) 12:31:42 ID:mACtHowx
直江兼康の位牌見つかる
子孫提供、「兼続嫡子」と明記
大崎存続説の裏付けか

 直江兼続の子とされる「直江兼康」の位牌が現存していたことがこのほど、
宮城県大崎市古川の直江家子孫が提供した写真などで分かった。仏教関係者に
よると、大きさなどから相当地位が高い人のものとみられるという。古川の墓
地にある石碑と戒名や生前の名前も一致していて、兼続の子孫が大崎地方で存
続していたという説の信憑性を高める証拠のひとつになりそうだ。
 位牌の写真を当社に提供したのは、埼玉県ふじみ野市在住の内池(旧姓・直
江)弘子さん(62)=古川市下中目出身=。見えにくい部分があるが、表には
「松覺院丹光壽榮大禪定門」、裏には「直江山城守兼続嫡子 肥前守兼康 正
保三年十(一の可能性も)月廿(二十の意)一日」と記されているようだ。
 内池さんによると、位牌は高さ約60aで全面うるし塗り。生まれたときには
すでに下中目の実家にあり、父らから「殿様のものだから大事にするように」
と言い伝えられた。兼続ブームが起こり始めた2年ほど前に撮影し、現物は現
在、茨城県在住の義姉が大切に保管しているという。内池さんは「最初は歴史
に興味がなかったけど、新聞にも取り上げられて自分の祖先がどんな人だった
のか興味がわいてきた。真相の究明につながれば」と期待を込める。
 大崎市松山の石雲寺前住職、宮本亨一さん(76)によると、位牌の高さは20
a前後が一般的で、これほど大きいものは珍しいという。台座には装飾が何層
にも施されており、宮本さんは「相当地位が高い人のもののようだ。(大崎の)
直江家の家柄を証明する大きな手がかりになるのでは」と分析している。
 内池さんによると、生家には位牌のほかに家系図のような巻き物もあったが、
現在、所在は分かっていないという。
 下中目の直江家は10年ほど前に引っ越し、現在は近くにある萬年寺に墓が残さ
れている。墓には、兼康をはじめ43人の生前の名や戒名、死亡年月日などが記さ
れている。
 通説では、兼続(1560−1619)には長男・景明のほかに2人の養子がいたが、
景明は20歳前後で死去。養子2人も縁組を解消したため、直江家は断絶したとさ
れている。兼康が死去したのは兼続死去の約20年後で時代背景は合うが、2人を
結び付けるにはさらなる解析が必要になりそうだ。

【写真】
直江兼康とされる人物の位牌(内池さん提供)

(2009.11.28 大崎タイムス)

246 :日曜8時の名無しさん:2009/12/20(日) 18:53:41 ID:CuA+tY6g
兼続嫡子と書いてあるだけでマユツバもんの疑いが強くなるな。
せめて隠し子とか故あって直江を名乗れず、
子孫が後に直江に正したというなら、もしかしてって思いけど・・・

247 :日曜8時の名無しさん:2009/12/21(月) 11:52:19 ID:7bQ2FVMc
「兼」は樋口家の通字なので、直江家の嫡男にはつけません。
本来は「綱」だろうけど、景明、勝吉のように主君の「景」「勝」を一字
もらいます。

248 :日曜8時の名無しさん:2009/12/21(月) 13:37:58 ID:hLNkHQwi
史実の事跡をまったく踏まえず
「あたくしの考えた理想の戦国武将かねたん」だからなあ

249 :日曜8時の名無しさん:2009/12/22(火) 02:39:46 ID:jBkMb3L9
>241
そうだね、そもそも堀秀治は徳川方で、徳川の命令で上杉討伐の為に会津へ侵攻している。
旧領の土豪はこれに呼応して一揆を起こしている。

250 :日曜8時の名無しさん:2009/12/22(火) 02:48:21 ID:bhBucjzD
>249の続き
その越後一揆に対して、
兼続は兵糧や足軽を送ったりして支援している。堀秀治への抑えとして。

251 :日曜8時の名無しさん:2009/12/22(火) 09:47:24 ID:ynzE0fKC
その直江が支援した一揆勢は鎧袖一触で堀に瞬殺されて抑えにならなかったけどな

252 :日曜8時の名無しさん:2009/12/22(火) 10:51:00 ID:QtYZPK9Q
全然瞬殺できてませんよ。

253 :日曜8時の名無しさん:2009/12/23(水) 15:49:33 ID:bJ1ZbFiI
>>251
軍記物では堀と村上と溝口が終始東軍で一揆勢と戦ってたように
描かれてるけど、三家とも上杉に通じてる。一揆のせいで結局、堀も
東軍勝利を聞いても上杉領には侵攻できる余力がなくなった。

254 :日曜8時の名無しさん:2009/12/23(水) 22:38:12 ID:4fCQqf9G
上杉に通じている見方を相手に一揆を扇動していたのか
なんだそりゃ
堀は確かに内心西軍に味方したかった、らしいが

255 :日曜8時の名無しさん:2009/12/24(木) 02:59:07 ID:8pa8OyQv
大谷が堀は西軍に味方するって言ってきたから
攻撃しないでと上杉家に言ってきてるな。
堀は多分どっちにもしっぽ振ってる。

256 :日曜8時の名無しさん:2009/12/24(木) 07:50:35 ID:/WxDGD19
>>254
彼等が上杉に通じたのは内府ちがひの条々を受けてから。つまり上杉は
謀反人でないというのが公儀に認められたのを受けてだよ。
直江は堀が西軍に通じたという情報を得る前、「一揆は堀領だけにしろ」
と命令してるから味方であれば攻撃しない。
ただ、この時はみんな家康につくか三成につくか、自分のとこに届いた
情報でフラフラする。

政宗だって最上から援軍要請受けてもすぐには会わなかった。
漁夫の利を得ようとかではなく上方の情勢がつかめてない中、上杉を
敵に回せないから。

257 :日曜8時の名無しさん:2009/12/24(木) 09:11:57 ID:WvlDcayU
最上や伊達と敵対して
その上さらに年貢米泥棒やって堀に嫌われて
四方を敵だらけにしている時点で無能だろ

258 :日曜8時の名無しさん:2009/12/24(木) 11:06:27 ID:XdlXra6R
大河が終わってもまだ無知なアンチがわいてるな。

年貢米を半分持って行ったなんて話、史実かどうかわからないし、
本当だとしたら蒲生も持って行ってるので堀の落ち度なだけ。


259 :日曜8時の名無しさん:2009/12/24(木) 14:25:16 ID:N0msECNE
越後は直接上杉から堀に渡されたんじゃなく、
当時の文書によると、いったん太閤蔵入りにされてから、
堀の渡されたと研究書には書いてあった気がするんだが。
実際はどうなん?

260 :日曜8時の名無しさん:2009/12/24(木) 18:39:32 ID:sfLFCwon
>>259
形式上にはどこでもそうなんじゃない?
あくまで「領地は公儀から与えられるもの」でないと
中央集権体制にならないし

261 :日曜8時の名無しさん:2009/12/28(月) 13:29:36 ID:x7uto9vG
何した人なの?って問いに結局大したもの出てこないね?
土でいい堤防を石にしたりとか
趣味の園芸みたいな事とか

それで際立った出世してるってことは
やっぱり主君との男色関係で、ってことかな

262 :日曜8時の名無しさん:2009/12/28(月) 13:39:43 ID:fKbPBofZ
大したことじゃないと思う時点で
勉強し直してこいとしかいえん。

263 :日曜8時の名無しさん:2009/12/28(月) 14:49:25 ID:B9Ma6NYK
>>261
最初のほう読め。
男色関係は肯定も否定もできないけど、それだけで出世して
一人執政体制で上杉家を切り盛りできんだろ。

264 :日曜8時の名無しさん:2009/12/28(月) 18:53:39 ID:y+eKiXe0
直江も罪な漢だ
何百年も経ってるのに未だ近隣の田舎者連中から嫉妬されまくりw

265 :日曜8時の名無しさん:2009/12/28(月) 21:15:00 ID:L155UjA9
藩政を切り盛りするぐらいのことは何処の藩も藩主か家老がやってんだよな
そのくらいの事を出来ない奴はそもそも筆頭家老なんてやってない
藩を栄えさせれれば偉いが直江は何も出来てないで衰退させてるわけで

266 :日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 01:14:10 ID:FKVReMOe
そういうことを任せられる人材だから筆頭家老になるんだべ。

267 :日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 09:34:46 ID:npVNA2+N
>>265
直江は複数の家老がいての筆頭家老とは違うぞ?
史学的には「直江執政体制」と呼ぶ特異な事例。竜造寺における
鍋島直茂の存在に近い。もっとも、鍋島の場合は一門だし、結局は主従
逆転してしまうのが景勝ー直江と違うけど。
景勝の「御屋形」に対して、直江は色部などの有力家臣からも「旦那」と
家中で呼称される特殊な地位にあった。

268 :日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 12:30:04 ID:CyJvFZ9d
特に権力があって特殊な地位だったのは分かるが
それに見合った業績が見つからない
男色関係のおかげって言われても仕方ないよ

269 :日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 13:46:57 ID:FKVReMOe
ないない。
例え衆道関係があったとしても
それを理由に家老になる奴なんかいないのは
ちょっと歴史を囓ればすぐ分かる。
精々出世できて親衛隊くらいなもん。


270 :日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 14:37:46 ID:iODCCcTz
>>268
分かってないだろ。
男色関係は肯定も否定もしないが、それだけで
出世した無能なら大国の一人執政なんて務まらない。

『藩制成立史の綜合研究』
「直江兼続が執政として掌握した主要な諸権限は、検地惣奉行・
 蔵入地奉行・知行宛行奉行・佐渡代官・出羽庄内仕置等であり、
 その全てが領国支配の根幹をなすことは極めて注目に値する」

このほか、国内では越後国衆の家臣団化、信濃衆ら外様の統括
(上田衆に次ぐ譜代として与板衆の勢力拡大)、外では豊臣、
徳川政権との接触。私的にも三成と近しいというのは具体的な
証拠はないが、本多正信とは家族ぐるみで交際しているぞ。

271 :日曜8時の名無しさん:2009/12/29(火) 23:56:28 ID:vN32iLV6
権力の確立は主君との男色関係によるというだけでなく
秀吉や家康や幕閣と結びついて上杉家中で発言権を増していった、こいうことか
世渡りの名人だな

272 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 02:24:40 ID:/0IilghQ
兼続が確実な史料で登場するのは、確か21歳ごろ、景勝の当時数人いた
取次ぎ役の一人としてだ。
すでに泉沢とかは兼続が登場する前から活躍していた。
だが、登場後短期間で景勝の深い信頼を得て以後内政、外交の取次ぎを
一手にになうことになる。
それには、景勝が「万事すきなく用事を申し付けている」と言ってたように、
兼続の才能が抜きん出たことともあるけど、重鎮の直江信綱、山崎秀仙の突然の横死、
兼続と二人で他国との窓口の取次ぎをしていた狩野秀治(豊臣との交渉の中心は、
最初は狩野がしきってた)の病死でライバルが消えていったということもある。
研究者は、兼続への権力の集中は、ゆるやかな連合体の状態だった越後を、
景勝専制体制へと作りあげたとしているけどね。
アンチさんが書いてるように、決して男色関係だけとかというもんではないと
思うけど。
直江の秀吉や本多との接触は、上杉家にとっても大きな利益をもたらしたものも
あったし。
同じことは何度も書かれていると思うけど読んでないの?
それとも人の意見は全く聞こうとしない、戦国板でも有名はあの方ですか?




273 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 06:58:52 ID:ndp9xT0H
朝日軍道もすごいね
 当時65qにも及ぶ軍道を作り、また「北の関ヶ原」と言われる最上との戦いでは、西軍敗戦の報せを受けると、この65qもの軍道を 自ら殿となり最上軍の追撃を抑え、2万に及ぶ兵を率いてわずか3日で突破して米沢城まで帰還する、ってすごいよね。
歴史的偉業だと思う。
 だから陸軍の教科書にも載ったんですかね。

274 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 09:59:51 ID:ksvHFEd4
景勝と兼続が一心同体である限りは、兼続の権力拡大は景勝の支配権強化に
つながる。景勝の絶対与党は「上田衆」だけで、兼続ら上田衆出身者をほかの
名家に送ることで「与板衆」などを絶対与党に組み込む。
兼続はさらに信濃衆や佐渡衆、庄内衆を自分の指揮下に受け入れて与党を
拡大することに成功した。「万事隙なく申し付ける」才覚とともに、「越
後に入ってきた他国の者たち(信濃衆、武田旧臣)を統括できるのが兼続
だけ」という、兼続が他国の人間に顔がきくことも景勝が手元に置いた理
由だった。

中世では国衆は大名の家臣ではなく、領国支配では大名と国衆のせめぎ合い
が続いた。景勝は豊臣政権という強力な中央政権に従属することで、上杉家
による一元的な越後支配を認めさせ、国衆を家臣化していく。やがて色部氏
でさえも直江を「旦那」と呼んで息子を婿にしてほしいと頼み込むまでになる。
景勝と兼続の狙いがかなり達成されていたことを示す出来事だ。

275 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 11:35:45 ID:qbP/hphW
>>273
朝日軍道は置賜と庄内を結ぶ道じゃなかったか。
この道を使ったのは兼続じゃなく、志駄とか下の庄内軍だろ。
志駄は無事帰還出来たんだけど、下は最上軍に包囲されて降伏したんじゃなかったっけ。
福島の研究者によると、兼続は最後まで関ヶ原の敗戦を知らなかった可能性があるらしいね。
兼続ってなんでも出来る凄い人ってイメージがあるけど、
その人が書いてた長谷堂撤退前後の兼続書状の解釈を読むと、
なんか親近感が湧いてくるよ。
自分では事態の収集がおえなくなり、景勝に出陣を要請してるんだけど、
「社長申し訳ありません」って社長に迷惑かけまいとして必死な専務みたいって書かれてる。

276 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 11:49:34 ID:Ggi0vcYH
朝日軍道www
どこにあるんだよそれ

277 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 11:56:13 ID:ksvHFEd4
>>275
景勝に出陣を要請してるんじゃなくて、福島に政宗が出てくるまでは出馬はいらない
という話だな。兼続が降伏させるはずだった最上の抵抗が強まったことや政宗の動きに
不信感を抱いて疑心暗鬼になっていたのは事実だろうけど。

>>276
ググることぐらいはしたらどうだい?

278 :日曜8時の名無しさん:2009/12/30(水) 23:26:21 ID:rjeBuSfJ
http://takachi.no-ip.com/cycletouring/2008/0807as/0807201.htm

279 :日曜8時の名無しさん:2009/12/31(木) 09:35:01 ID:Y0LHCAAq
>275
志駄修理は最上の後ろ辺りから攻めた別動隊。
最上戦の総指揮は兼続が任された。
最上を振り切ると、志駄は自分の酒田城へ、兼続は米沢城へと帰還した、と記憶している。
 朝日軍道を作る指揮も兼続だと本などで見た。
部下百人単位の人数に、鍬などを持たせて軍道を作らせたと。

 以上が朝日軍道で今の時点で知っていること。

最後に《関ヶ原の西軍敗戦の報せについて》
・〔史料二〕(慶長5年)九月二十一日付け安田上総介(能元)宛て書状の冒頭で、兼続は、白河方面からの情報として「上方散々二罷成候由」という内容が、たった今伝わって来たと書いた書状がある。

280 :日曜8時の名無しさん:2009/12/31(木) 10:07:38 ID:EZ5j/Zm6
>>279
うん。ただ朝日軍道を使ったのは志駄の部隊だね。
九月二十一日に西軍敗北を知っていたというのは以前は信じていたが、
最近は>>275も言うように、福島の研究者が直江は二十九日になっても
知らなかったというほうに個人的には傾いてきたな。
この後も直江は「上方は順調だ」という内容の書状を書いてるし、「上方
さんざん」も自分たちにとってはいい情報として伝えているから、関ヶ原
の結果ではないと思う。

281 :日曜8時の名無しさん:2010/01/02(土) 00:59:58 ID:dbm53l1M
つまり情報収集能力も劣っていた

直江程度の能力でも筆頭家老やらざるえなかった
他に有能な奴が居なかった
上杉軍団が無能集団だったってことじゃね?

282 :日曜8時の名無しさん:2010/01/02(土) 03:12:56 ID:RrnmGcl5
いつもの直江アンチさん乙

情報収集に苦慮したのはどこも同じ
家康側から直接情報をもらう伊達でさえ最上を助けるのを
ためらってたくらいだからな。

283 :日曜8時の名無しさん:2010/01/02(土) 18:41:39 ID:49sQOAWk
まあでもたしかにこの程度の業績で
なぜこれだけ出世して、米沢人も持ち上られるのかってのはあるわな

284 :日曜8時の名無しさん:2010/01/03(日) 12:24:40 ID:ntrauVi3
>>283
樋口家が上田長尾の重臣なんだから出世するのは当たり前。
あとは器量で、先に芽が出た泉沢たちを追い抜いた。それだけ。
「米沢人も持ち上(げ)られる」というのはいまいち意味が分からないが、
現在の米沢の基盤を作った人物なんだから地元がひいきするのは当然では。

兼続の登場は上杉家を謙信時代の戦国大名から近世大名への脱却に大きな進展を
もたらした。たとえば山形の最上義光はそれができず、死後に家中がごたついて
家が滅んだことを考えても、兼続のような存在の重要性がわかる。
同じ陪臣で有名な片倉小十郎も兼続を超える業績や知名度が当時あったのかと
言われれば疑問だ。ドラマでは兼続のすごさが何も描かれてなかったけど。

285 :日曜8時の名無しさん:2010/01/03(日) 22:55:35 ID:MFK7YyXD
米沢の基盤を作った、って具体的に何のこと?

286 :日曜8時の名無しさん:2010/01/03(日) 23:57:10 ID:IDQLtHjA
町割とか今の市街地が形づくられたのはこの時代から。というかそのへん
くらいネットでもいいから勉強してから書き込んだらどうだ。
米沢に限ったことではないけど、ご当地の武将ってそういうもん。

287 :日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 01:18:02 ID:U/HGmGkX
>>286 >米沢に限ったことではない…

米沢に限らずどこでもいた程度の人ってことですね

あと町割を完成させたのは直江じゃなく清野で
水利事業が発展したのは直江失脚後らしいよ

288 :日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 09:57:12 ID:IE/edwl8
>あと町割を完成させたのは直江じゃなく清野で
>水利事業が発展したのは直江失脚後らしいよ
「完成」などと言っているのは言葉のトリックかもしれないけど、
それらをスタートさせて原型を作ったのは直江執政時代だよ。
死ぬまで馬車馬のように働いた直江の「失脚後」とはいつのことなのか
知らないが、大河の影響で、途中で引退したと思ってるんだろうか。

米沢に限らず・・・というのは戦がなくなったこの時代にどこでも町づくりが
始まっているということ。そしてそのころ活躍した武将は政宗でも誰でも
基盤を作った人物として地元では愛されているという話。
どこにでもいた程度云々は関係ない。

289 :日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 13:09:03 ID:8x9vhZgu
>>287
清野が街割りを完成させたぁ???どこからそんな情報仕入れたんだよ。
水利事業に関しては、米沢市内のは兼続の手で行われてる。
藩全体の水利事業は兼続死後も引き続き行われており、有名な西根堰とかは定勝時代に完成してるということ。


290 :日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 18:02:35 ID:hS3mTzhV
町割りでなく町造りでしょ。
清野の名前が残っているよ

>現在、米沢市を歩いていると、周防殿堰や周防殿橋といった名前が残っていることに気づくだろう。
>「周防殿」とは長範のことである。現在、米沢の祖型は直江兼続がつくったともてはやされているが、
>清野長範の事蹟はあまり顕彰されていないようである。「周防殿」という名がなぜ残ったのか、その意味を問うてみるべきであろう。

291 :日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 19:23:05 ID:SwB2sRPM
直江の後を継いで(間に志駄がいるが)、町造りを進めた
という意味では清野も顕彰されてもいいかもしれないけど、
周防殿堰と周防殿橋は彼の屋敷の近くにあるから、作った
功績で名付けられたのか、近くに屋敷があったから名付け
られたのかは微妙なところだ。

292 :日曜8時の名無しさん:2010/01/04(月) 21:31:06 ID:8x9vhZgu
周防殿堰は確か清野が定勝時代に、知行地の塩野村の潅漑用水の利便をはかるために、
掘立川から引いたものだよ。
米沢の町割りや町つくりには直接関係ない。
橋の方はよくわからんが、定勝時代は平和を反映してか、
市内に盛んに橋がかけられたから、その一つじゃないか。
清野は定勝時代、周防と改名し、年譜にも寵臣と書かれてるように、
結構羽振りがよかったからな。
死んだときも、定勝が哀しんだって書いてあるし。
見舞いまで受けた志駄ほどじゃないけど。
その志駄が死んで、清野は奉行になってるけど、翌年には死んでるからな。

293 :日曜8時の名無しさん:2010/01/05(火) 22:11:40 ID:LM4T9Dgf
なんだ直江がやったかどうかハッキリしないのか
でも町割りや橋造りを誰がやろうが関係ない
何処の藩だって誰かがやって家老あたりの誰かが責任者なんだよそんなもん
そんな当たり前の仕事しかない
つうかそれすらハッキリしないのか…

294 :日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 11:38:08 ID:fGPs8rBs
>>293
社会構成というものを無視してるのか
分からない人間の詭弁だな。

295 :日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 15:04:02 ID:8dTBG2cS
>>293
どこをどう読めば直江がやったかはっきりしないって話になるんだ?
ネットの戦国Xファイルも面白いが、米沢市史でも山形県史でも資料編
読んでみたらどうだ。どこの藩も本格的な町づくりがこの時期に始まっ
てるが、1人の重臣が町づくりや外交をはじめ家中のあらゆることを主
導している例はほとんどない。逸話で秀吉が天下の器を認めた連中くらいだ。
逆に君の言う、直江より上の実績の陪臣を挙げてもらいたいものだ。

296 :八王子千人同心:2010/01/06(水) 17:09:28 ID:PJrZYdD5
大久保長安
規模は小さいかな?

297 :八王子千人同心:2010/01/06(水) 17:10:33 ID:PJrZYdD5
陪臣でない?同心。

298 :日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 19:35:41 ID:KSt8nMpp
大久保長安は陪臣になるのかね?
さまざまな奉行職をこなしてるから事務能力が高い
んだろうけど、活躍時期とか内政限定という点でも
直江や片倉あたりとは毛色というかそもそもの役割
が違う感じがするな。

上杉で言えば直江の指示で米沢を実務担当をした
春日元忠とか平林正恒のタイプじゃないかな

299 :日曜8時の名無しさん:2010/01/06(水) 23:01:57 ID:E0g7qT9b
>>295
>1人の重臣が町づくりや外交をはじめ家中のあらゆることを主導している例はほとんどない。

独裁してるから何だっての
その結果が、他藩と比べてどうって事ない町割り、趣味の文芸、園芸
何ら優れてなくて、藩が衰退の一途を辿ってるなら
有害な人物が権力掌握には長けていた、っていうだけ

300 :日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 09:47:41 ID:FSbz5M1s
>>299
君はどんだけ直江が嫌いなんだよw
君がどこの家老でもやってると言うから、そういうどこにでもいる
家老とは違うと言ったんだろ
直江の趣味の園芸とは初耳だが、直江の町割で藩が衰退って何それ
でもまったく知識ないよね?本ぐらい読めよ。ネットじゃなく

301 :日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 10:10:00 ID:OoNjCiH0
失笑され、突っ込まれるために
書きこむドMなんじゃないの

302 :日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 12:36:30 ID:ae//SU+f
でも権力は並外れていても
業績はどこでも居る家老と同じなら
そりゃお家が衰退して当然だわな

303 :日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 14:56:04 ID:TbxWLCeN
天地人の直江兼続しか知らない、ある意味被害者だね

304 :日曜8時の名無しさん:2010/01/07(木) 22:47:03 ID:GiGo6D2L
このスレの流れは

アンチは直江の優れた功績があるなら出せと言っている

擁護派は出さないで(せない?)で直江は特別な存在だった、
とにかく身分が高かった、だから偉いんだ、と言っている

この流れが1000レスまで続くのか?

305 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 00:20:04 ID:HOyzVuFw
いつまでも直江に嫉妬してんじゃねぇよ、馬鹿が。

306 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 01:12:14 ID:JTExYJ1G
謙信公も兼続も義の人だったんだよ
戦闘力で示すか、道理を示すかの違いはあったが…
だが、それがいい…

307 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 01:23:10 ID:8DFFR4Nf
他の藩で複数の家老がやっていた仕事を
一人で殆どやって、他の藩に劣らない実績を上げ
なおかつ他の藩ではやってない新規事業までやってたとは
そりゃすごい人だな。

308 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 03:07:32 ID:aFxxBwO2
1人でやってたのか?
何という独裁、そりゃ憎まれて当然

309 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 09:49:26 ID:knDdNPiR
直江1人の体制になったことの効果は既出
憎まれたって誰に?景勝の信頼を失って出奔し、妬んだ上条ならわかるが。

310 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 17:08:20 ID:b2PEkRxK
一人体制になって、別段どうってこと無い町造りで
秀でた功績が無く、藩が衰退してるんなら
有害な体制だった、ということだろ

上条やら藤田やらを讒言して追い出した疑い濃厚な直江なら
憎まれて当然
お家の断絶がそれを物語っている

311 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 17:36:25 ID:LOo61ugs
君の思う、秀でた功績がある陪臣って誰?

上杉家にとって有害な体制ではなかったことも、出奔した
連中が讒言とは関係なく自滅しただけなのも既出

312 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 19:58:21 ID:aFxxBwO2
>>309
後世の領内では鷹山が名誉回復するまで奸臣とされてたんだろ
憎まれてたんじゃないの?違うなら奸臣扱いされんだろ

独裁者ってのは功罪全て一身に背負うから憎まれて当然

313 :日曜8時の名無しさん:2010/01/08(金) 21:10:54 ID:LOo61ugs
後世の話は関係ないんじゃないの?
奸臣扱いというのは、三成直江の密約という俗説が軍記物から浸透したためで、上杉家の
正史では終始奸臣扱いはされていない。鷹山が名誉回復したというのは「米沢を築いた功臣
なので、与板衆だけではなく上杉家としても法要で何かしてあげなくては」ということ。
貶められていた人間を引き上げたわけではないよ。

314 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 09:12:45 ID:CJXWl+7N
>>311
秀でた家臣なんていくらでもいるだろ
先ず明らかな武功がある奴はそうだわな
内政では竹俣当綱、莅戸善政、松代藩 の恩田民親、恩田貫実
長州の村田清風、薩摩藩 家老調所広郷、備中松山藩 山田方谷

あと既出って何だよ。誰も認めてないことを勝手に既出で済ませるなってのw

315 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 09:43:02 ID:o7uHHSFU
藩政改革期の各藩の有名な家臣を挙げてみました


えええwなんか違うだろww

316 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 10:07:46 ID:HeIePXmW
>>314
藩制確立期と歪みが出てきた江戸後期を比較するのは難しいんじゃないのか。
直江執政体制による上杉家の近世大名化の促進と藤田や上条が自滅で出奔したという件に
ついても反論がなされてないので「既出」だよ

317 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 10:56:36 ID:9ZLI9Phk


318 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 11:38:46 ID:2Wfu6H5D
米沢藩による直江の法要についてだが、けっこう行われてい
たそうだ。

綱勝の時代に33回忌、院殿号の追諡があった100回忌は
吉憲の時代に、150回忌、200回忌は有名な鷹山によっ
て行われた。綱憲の時代にあったはずの50回忌はわからな
いそうだが。

藩内で兼続が(反感を持たれてたとしても)奸臣扱いまでさ
れていたとは思えないが。


319 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 12:48:42 ID:Ljmszq9O
>>313 >>318
それならウィキペディアの記述は問題があるな

上杉鷹山の記事の方で
当時米沢で奸臣と見なされていた直江兼続の200回忌…
…と記述されてたからつい鵜呑みにしちまってたよ、すまんね

320 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 13:10:06 ID:yh55k6lb
直江研究の第一人者って花なんとかさん?
分厚い直江の本が図書館にあったから読んでみようかな

321 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 13:57:42 ID:o7uHHSFU
花なんとかさんは微妙だが、先生の本を読んだことなくて、さらっと学びたい
ならいいかも。文章の使い回しが激しいから。

>>318>>319
上杉家としては、奸臣云々は関係なくわざわざ家臣の直江の法要をしたりはしてないよ。
法要をやってきたのは与板衆で「上杉家も香典くらい出してくれ」と嘆願してるくらいだから。
ただ、その嘆願の前にも、鷹山の側近連中が歌や詩で直江の霊を慰めたりしてるし、冷遇されていた
わけではない。家自体がなくなってるから、一般的には忘れられていってるんだろうけど。

322 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 14:29:42 ID:JAI7+3BY
与板衆の嘆願書って、木村徳衛の直江本に載ってた文政四年のやつ?
だったら、文政元年の200年忌に鷹山が香典出したっていうのも間違いかな。
まあ翌年の文政五年三月には鷹山は亡くなってしまうわけだが。

323 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 18:21:06 ID:jtFWrZ3p
>>316
何で直江が独裁したら上杉家が近世大名化するんだよw
どっからそういう論理が成り立つんだ?

何か虐殺魔直江スレと同じだなあ
狂信信者が強弁無理援護するパターン

324 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 18:50:51 ID:HeIePXmW
>>323
時代を超えて直江に恨みをもってるの?
直江執政体制がうまくいったから、上杉家は越後の国衆たちを家臣化する
ことに成功したんだよ。既出だけど。

325 :日曜8時の名無しさん:2010/01/09(土) 19:45:38 ID:0kuzGKuD
>>323
たしかに向こうと同じだな。
アンチがしたいだけの無知なやつが
ネットの情報で暴れるが、逆に突っ込みには
答えられず、同じ主張を繰り返す。

326 :日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 00:17:04 ID:FCffdFKx
>>323
謙信期と景勝期の政治体制を見ればすぐ分かることだよ。
天地人の解説と違って
実際に上杉家臣団が纏まったのは直江執権体制になってから。

327 :日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 01:10:41 ID:VlGZeq/5
>>324
ちがうだろ
上杉の近世大名化に乗じて直江が権力を握ったんだろ

328 :日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 11:12:20 ID:F5lYkL0X
おぉ、たまには直江憎し君も当たらずとも遠からずというようなことを
言うものだ。

上杉家としても豪族同盟の盟主という立場からさらに一歩上に出る必要が
あったからね。その中で直江が権力を握った、握らされたという面はあるな。
ただそれなりの器量がなければトップダウン型には脱皮できない。
かんたんにできるなら謙信時代にやってるし、どこの大名も苦しまない。

たとえば島津も義久は豪族のいいなり政治で三成や幽斎に呆れられ、関ヶ原後も
早く上洛することを考えていたが、家老を集めた評定で許可が下りず、結果的に
「上洛になかなか応じず武威を示した」ことになった。伊達家も、いわゆる「百
万石のお墨付き」は家老衆への加増を約束する書状で、裏表のある政宗をけん制
するためのもの。それだけ、関ヶ原の時でも家老衆の発言力が強かったということ。

329 :日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 12:25:38 ID:MUA+bOu4
>>321
アリガト読んでみます。

花なんとかさんは直江研究第一人者というのはデマというわけではないよね?
レビューや紹介だとまともな研究者さんだけど2ちゃんに限っては評判は
微妙。


330 :日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 12:59:24 ID:HbPgQUDt
郷土史家という感じです。

331 :日曜8時の名無しさん:2010/01/10(日) 23:55:07 ID:nIAAKBAe
>>329
直江兼続のことをちゃんと調べている人は片桐繁雄先生でしょう

その人物は
http://www.gakushubunka.jp/cgi/db/db_view.cgi?qp=3283
その口演は
http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog-entry-211.html

332 :日曜8時の名無しさん:2010/01/11(月) 00:26:53 ID:QbGsCT1B
花ヶ前のことなら景勝アンチだからな…。
景勝や直江に関する話は割引いて見た方が無難。
片桐に至ってはこのスレで講演内容を見て
おかしな方向に走っちゃったなあという印象に変わったw

333 :日曜8時の名無しさん:2010/01/11(月) 01:06:42 ID:0jyyEbmj
>>330-332
アリガトン

郷土史家でもあんな立派な本出せるのだな…(内容はまだわからない)。
景勝アンチかぁ…。藩祖アンチとは何とまぁ…。でもとりあえず読んで
みますわ。
片桐さんは本読んだことないから知らんけど、そのブログ主が偏ってそう。

334 :日曜8時の名無しさん:2010/01/11(月) 09:50:38 ID:GihR8hym
片桐先生の言う最上義光の再評価の必要性はあると思うが、
むやみに最上を持ち上げてるからな。しかも旧最上領の郷土
史家であって、直江には詳しくない。

ブログをやってる福島の研究者がいいと思うよ。必ずしも全部
納得できる内容ではないけど、一次史料で長谷堂合戦のあたり
を考察してる。


335 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 06:26:55 ID:9nsVmB1Y
福島の研究者?ここかな?

http://blogs.yahoo.co.jp/tenchijinstage/archive/2010/1/12?m=lc

詳しくていいね。



336 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 06:27:47 ID:9nsVmB1Y
福島の研究者?ここかな?

http://blogs.yahoo.co.jp/tenchijinstage/archive/2010/1/12?m=lc

詳しくていいね。



337 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 09:29:56 ID:/HbcsKNW
リンクそのまま載せるのはいかがかと思うが、最後の行で最上研究者の
片桐繁雄の「義光公がこんな弱気な書状を書くわけがない」説を否定して
いるな。全くその通りだけど。

338 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 21:34:16 ID:ZoAFK42W
最近よく見る最上の逸話とかとりとめのない話ってソースあるのかね…。

「義光公がこんな弱気な書状を書くわけがない」説
まぁ根拠がこの一行だけならただの先生の主観ですね。
むしろ時間稼ぎ目的の書状の何が悪いのかと。



339 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 22:42:29 ID:/HbcsKNW
理由はそれだけじゃないけど、ブログの人が挙げてるように直江が「最上が少々懇望してきたので
出陣を延期した」内容などの書状の存在も無視してるしね。結局は、偽の降伏手紙という説すら、
義光公がそんな姑息な手段を使うわけがない!と否定しなきゃいけないらしい。

340 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 23:02:18 ID:yuM5nqvM
義光の時間引き延ばし戦術に
直江がまんまとはまっているだけだろ

徳川秀忠軍を中仙道で足止めした真田と同じ

341 :日曜8時の名無しさん:2010/01/12(火) 23:25:39 ID:/HbcsKNW
時間を稼げば何か見えてくるんじゃないかと考えた最上はやはりなかなかの
タマなんだよ。直江はまんまとはまったというよりは、少々の時間稼ぎが
どうにかなるとは思ってない。最上や伊達を怪しんではいたけど、威圧し続
ければまず最上のほうは屈するとにらんでたんだろうね。

342 :日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 00:24:15 ID:TY5yEuiG
で、結局直江は
「時間が足りなかった〜」って泣く羽目になったワケだ

義光は二枚も三昧も上手だ
直江ごときがかなう相手じゃない

343 :日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 01:15:27 ID:tHvMQXww
sab乙

344 :日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 02:35:56 ID:m7WXcy/r
何か見えて来るも何も、季節的に11月にもなれば
上杉と最上は休戦せざるを得ないんで
そしたら春まで戦闘は困難だからそれまでには
西軍が勝つにしろ東軍が勝つにしろ
大勢が決まっちゃうわけで。

345 :日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 04:06:06 ID:w+MOnWAh
時間稼ぎしたのは、最上だけじゃないでしょ。
政宗もそうだし。
というか、そのblogでも書いてあったけど、日本全国小早川状態だったって・・・


346 :日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 10:16:30 ID:wsn+P6rD
最上が上杉に従うってのは半分は本気だろ。
周囲を見渡すと上杉につかざるを得ないけど、
上方がどうなってるかわからんから様子見って感じでしょ。
清洲城が落ちたりと西軍有利の情報が入れば
そのまま上杉に同心して伊達なり関東なりを攻めたはず。

兼続も時間稼ぎなのはわかりつつ、最上を威圧して屈服を
待ったけど、それこそ季節的な問題や伊達と先に休戦した
ことで九月に入ったら攻め込んだってとこだろ。

347 :日曜8時の名無しさん:2010/01/13(水) 23:38:54 ID:4uQ72B7N
分かってて待ってたんならますますバカだろw
やっぱり直江は知恵が足りないよ

348 :日曜8時の名無しさん:2010/01/14(木) 00:35:05 ID:jHSIL5d9
直江は和睦した伊達でさえ疑ってる。
最上だって信じてないからどんどん
威圧して屈服させようとしてる。
まさか最上が「俺は絶対家康派だ」と
時間稼ぎしてたと思ってるの?

349 :日曜8時の名無しさん:2010/01/14(木) 00:40:44 ID:fN4dhNFQ
郷土史家は出来事を些細なことまで詳しく知っていても、
比較研究ができないから、所詮はただのガイド

350 :日曜8時の名無しさん:2010/01/14(木) 23:46:57 ID:+7woLzc9
>>348
だったら最上の偽りの愁訴なんて聞いて待ってないで
どんどん攻めればよかったじゃんw
待ってた直江はやっぱり無能だよw

351 :日曜8時の名無しさん:2010/01/15(金) 00:29:53 ID:XHBgRalx
問答無用で攻め込む馬鹿がいるかよ。

352 :日曜8時の名無しさん:2010/01/15(金) 01:51:58 ID:BIHtYF15
>>351
>>350はその馬鹿だと思う。


353 :日曜8時の名無しさん:2010/01/15(金) 23:31:08 ID:QXgf4ejc
結局
優れた戦績・功績は何も無いわけね

354 :日曜8時の名無しさん:2010/01/16(土) 00:12:14 ID:BPTt90in
出されたのはスルーしますw

355 :日曜8時の名無しさん:2010/01/16(土) 23:33:38 ID:6mWtXoFW
どこに?

356 :日曜8時の名無しさん:2010/01/17(日) 01:46:07 ID:8r2W6M+D
反論レスできずに消えてしばらくすると「功績はない」を繰り返す
>>1からちゃんと読もうね

357 :日曜8時の名無しさん:2010/01/17(日) 07:22:47 ID:xrThnyjf
自身の蔵書を貸し出し自由にした
作物を奨励した

これだけってこと?

358 :日曜8時の名無しさん:2010/01/17(日) 08:01:41 ID:+nxRezre
蔵書を自由に貸し出した

誰がそんなこと言ってるの?禅林文庫のこと?
「これだけ」って当時そんなこと本当にしたら相当すごいぞw
図書館の父じゃん
アンチすんなら最低限の知識は持とうや

359 :日曜8時の名無しさん:2010/01/17(日) 20:13:40 ID:h6VsC2bQ
図書館は金沢文庫の例を見るまでも無くずっと昔からあるよ
奨励した作物はどこでも定着したであろうありきたりのものか
紅花など定着できなかった、どっちかの物しかないね

360 :日曜8時の名無しさん:2010/01/17(日) 22:59:34 ID:aQrC+2rN
しかし、尾張一国が六十万石の頃に
米沢と福島だけで三十万石ってのは
凄まじい開墾率と農業土木技術の普及率だ。
本当にすごいと思う。





上杉の前にそこを領有していた家が、だけど。

361 :日曜8時の名無しさん:2010/01/17(日) 23:58:43 ID:lgFMIFR8
>>360
地図見た限りじゃ、当時の米沢藩の面積は、
尾張国の二倍以上はあるみたいだけどな。
尾張国だけで本当に60万石あったんなら、
面積あたりにしたら1/4の収穫になるからたいしたことないんでね。
江戸時代、潅漑事業に頑張って内高50万石強まで上げたみたいだけど。


362 :日曜8時の名無しさん:2010/01/18(月) 00:32:57 ID:GaECuKts
気候風土ってもんがあるって分かってる?

363 :日曜8時の名無しさん:2010/01/18(月) 07:03:49 ID:Ex7PezdZ
>>359
名前にだまされてるのかもしれないけど、金沢文庫も蔵書を自由に
貸し出したわけではないよ。
直江が重視した青そは米沢でもとれたけど、質がよくないので越後から
とりよせて越後産のものの栽培を奨励した。あとは漆蝋も奨励している。
漆蝋は鷹山も財政再建の中で重要視した。これらは領内で流通させても
しょうがないので、農民から藩で買い取って京都で販売して利益を上げた。
「どこでも定着したであろうありきたりなもの」なんてこの時代あるのかね。

364 :日曜8時の名無しさん:2010/01/18(月) 21:24:53 ID:CFRrQQEz
ニンゲン

365 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 00:45:21 ID:/trvUXWL
>>361
内高でなく最高石高っていう指摘があるよ

366 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 07:29:23 ID:1vXouZIF
最高石高ってなんやねん。2ちゃんねるで作られた新たな新語か?
寛政時の総検地による、51万石の内高(実高)については、
「米沢市史」「山形県史」に記述があるで。


367 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 07:33:32 ID:1vXouZIF
366だけど、「寛政」じゃなくって「寛永」ね。
間違ってスマン。

368 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 09:02:47 ID:k0EYO/pC
米沢での彼は、痩せた土地で交通の便も不便な大雪国を上杉家臣団3万人が路頭に迷うことなくつつがなく暮らせるよう陣頭指揮を執ったことは間違いない。

また、商品作物(例えば紅花)を最上川流域や近隣伊達藩まで半米半金という現代税制にも参考になるような画期的な政策を導入し発展させたことも、一般には知られていないが彼の功績の一つ。

369 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 09:33:02 ID:k0EYO/pC
>>360
愛知県(江南)と米沢市に両方居住したことあるけど、全く違う。

単なる面積はそうかもしれないけど愛知の方が山は無いし土地が平坦。

一方、米沢(置賜)は平地が少なく傾斜地ばかり。ましてや領土の半分以上が山なんじゃない。
田んぼまで水引くのも一苦労だったと思うよ。

やっぱ直江は凄いと思う。

370 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 09:34:46 ID:k0EYO/pC
すまん。
369は>>361の方への返答でござった。

371 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 11:14:44 ID:TlVt5gvg
幕末には、実高が八十万石とも百二十万石ともいわれた庄内藩が
この当時、たったの十万石しかなかった、
開墾可能な平地の大半が手つかずで放置されていた
東北地方の開墾はそれほどまでに遅れていた、
という事実を頭に入れておかないといけない。

それにしても八十から百二十って幅がありすぎ。

あと、米沢の十五万石は、上杉がもらった時の石高だから
直江が開墾したわけではない。

372 :日曜8時の名無しさん:2010/01/19(火) 19:14:20 ID:xjYYhsAw
庄内が13万石からなんと、実石120万石だって...。

無知にもほどがあるね、この人。

立谷沢川(最上川)からの北館大堰開削後でも3万石ぐらいしか増えてないのに、どうやって約70万石も増えるんだか?
なんのソースだろうね。

庄内地方では、商品作物の栽培より米の増産だけ頑張ったのは事実だけど。


30万石のうち10万石は伊達・信夫郡だから置賜地区(含米沢)で表石高20万石だけど、直江執政時期に他藩に先駆けて新田開発も行っていたのも事実(在郷原方衆:半士半農)。

373 :日曜8時の名無しさん:2010/01/20(水) 09:17:28 ID:n5Oc8luW
分かったから君もsageと改行は覚えてくれ。

374 :日曜8時の名無しさん:2010/01/20(水) 23:28:49 ID:fvs+DzOL
>>372
20万石ってあんたw
置賜は15万石だろ

東北南部諸藩はどこも国力を飛躍させてるのに
直江上杉だけ貧乏化して、施策がなんか見劣りするんだよな

375 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 00:37:33 ID:uM3BBAUT
15万石に半減するまでは貧乏化はしてないだろ

376 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 03:10:14 ID:IX8qEtsX
[藩制成立史の綜合研究 米沢藩」では、関ヶ原後の米沢藩について
上杉家同様領地削減を余儀なくされた毛利氏が、慶長・元和時代財政窮乏に甚だ苦しみ、
家老益田の財政立て直しを必要としたこと、
島津氏が領地削減を免れたにもかかわらず、その後の財政窮乏を凌げず、
元和年間に家臣から役金の徴収、知行借り上げなど行ったことに比べれば、
上杉氏の財政には余裕があったとしてるよ。

貧乏化は15万石に半減されたのが、大きかったんじゃないの。
そういうえば、最近上杉が15万石に半知されたのは、
実は保科正之の怠慢からっていう衝撃的な内容の論文が出たみたい。
綱勝の見舞いに訪れた保科に、吉良三郎を末期養子にすることを伝え、
手続きをするように頼んでたのに、保科がそれを老中に伝えるのを怠っていたとか。
幕府は保科の怠慢をカムフラージュするために、特例で15万石として相続を認めるって形にしたとか。
書いたのは東京の大学の人だったけど、地元じゃ保科は上杉を救った名君とされてるから
とてもこんなこと書けないよな。
真実はどうなんだろうね。


377 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 08:56:16 ID:cTJcq0dq
保科の話って史学雑誌とか日本歴史かなんかに載ってるの?
おもしろそうだ。

378 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 21:12:34 ID:HOxjB8j4
30万石を15万石に、つまり半分にした奴よりも
120万石を30万石、4分の1に減らした直江が悪いに決まってるだろ

120万石あったら例え半知されても堂々60万石だぞ

379 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 22:39:12 ID:mmpRr8ow
十五万石は、
代替わりの時に養子を立ててなかったので
没収されたんだよ。
幕府重役の保科が応援してくれなかったら
三十万石まるまるボッシュートのはずだった。
領地面積あたりの石高が減ったのではなく、面積を削られたんだ。

380 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 22:45:07 ID:mmpRr8ow
誤爆した

381 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 22:59:50 ID:tKsdBPkM
>>374
上杉が半知されたとき没収されたのは伊達・信夫郡と置賜のうち高畠(置賜南東部)。

372の言うように置賜全域だと表石高20万石。

382 :日曜8時の名無しさん:2010/01/21(木) 23:58:50 ID:IX8qEtsX
>>377
東京外国語大学のリポジトリで見ることができるよ。
保科正之がうんぬんというより、幕府は大名家の存続を図る方向に向いてた
ということが論文の主旨みたいだけど。
著者は外国の人かな。
保科の怠慢で幕府への届けが間に合わなかったという解釈はどうかなあ
と思うけど。
ただ綱勝が死んだ時も、米沢藩士たちは、綱勝生前と同じ仕置きが許された
って喜んでるみたいなんだよね。
跡取りがどうのこうのって心配してない。吉良三郎が継ぐことは藩士の間で
すでに了解ずみだったのか。
喜んでたのに、1ヵ月後、半領を言い渡されるんだよね。

383 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 02:18:23 ID:64Y7Jmbj
>>378
逆に三成が上方で勝てば大変なことになってたよね。
東軍についた連中も時勢が読めたから家康についたのではなく、
なりゆきによるもの。
もちろん西軍についた上杉も逆賊ではないと認定してくれた西軍に
加担しただけだけど。
120万石から30万石になったなんて2年くらい遅れた議論だよ。

384 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 03:21:52 ID:K3JqI0lV
直江は要は賭けに負けた奴だろ。
秀吉から豊臣姓を貰うほどだが、戦は下手だよな。

385 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 08:46:41 ID:aOtF4j57
文武両道と言われる割には武功は大坂の陣とかしかないんだけど、
長谷堂包囲は城を落とすためではなく、武威で最上を下すのが狙い
だから、戦下手という評価も微妙なんだよね。
ブログの人が言うように。

386 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 17:42:05 ID:Hkq/MPye
新発田重家、最上義光など劣勢の敵に苦戦してるのがイメージ悪いんだろうね

387 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 17:52:16 ID:Zlu3E5P0
新発田攻めって時間かかってるから苦戦したように見えるけど
実際は秀吉が調停しようとしたり、新発田をほっといて他に兵力割いたり
してるだけだからな。

388 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 21:01:31 ID:JT/fS1iI
御館にしろ長谷堂にしろ新発田にしろ、基本的に直江は有利な状況のまま戦わずして熟柿が落ちるのを待つタイプだからな。

389 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 23:00:13 ID:qYOl42RC
結果責任。
家康とその周辺の交戦意欲を読み誤った。
家康の政治力を読み誤った。
毛利にやる気がないことに気づかなかった。
戦国時代が再来すると無邪気に信じ込んでいた。

ガンツ先生じゃなくても「かねつぐ0点」と言いたくなるね。


390 :日曜8時の名無しさん:2010/01/22(金) 23:05:11 ID:Hkq/MPye
>>387
実際は秀吉が調停しようとしたり→権威に縋らないと陣営内の反乱も治められない
新発田をほっといて他に兵力割いたり→兵力の分散という愚を犯し苦戦

391 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 01:09:49 ID:1g1c4GXM
景勝は新発田より北信濃を優先したからね。
北信濃領有は謙信以来の悲願だったし。
新発田に関しては、豊臣の威光を借りてというより・・・
むしろ秀吉は調停しようとしたからね。
大名統制のための一種の内部干渉ともいえる。
上杉だけに限ったことじゃないけど。
結局、天正15年ようやく新発田討伐命令が出て、同年新発田滅亡。

392 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 02:18:14 ID:nOhVtyHy
>>389
家康と周辺の交戦意欲→会津征伐に従った連中は家康から離反する勇気はないし、
           上方に帰らないと逆賊のままなのでたしかに交戦意欲は
           高いが、なりゆきによるもの。家康は毛利の加担を知って
           和睦交渉もしている。
家康の政治力→たしかにその通りだけど、家康も西軍の大規模蜂起を読んでいなかった。
       有利不利はかなり流動的
毛利にやる気がない→九州や四国にめっちゃ侵攻してる。輝元は総大将として西国の采配も
        あるので大坂城を出なかったともいわれる。それに会津征伐の時点では毛利は
        挙兵を決意してない。家康も毛利の挙兵は知らなかった。

393 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 02:58:04 ID:xaFHtsFz
>>389
>>戦国時代が再来すると無邪気に信じ込んでいた。

黒田官兵衛とか伊達政宗とかもそうじゃなかった?

取り敢えず、あんな早く趨勢が決するだなんて予想外だったみたいだけど

394 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 03:54:46 ID:OqrL3jx1
>>391
むしろ秀吉の介入のせいで新発田討伐を中断せざるを得なくなってるよな。
上杉としては良い迷惑。
新発田としても秀吉の言い分は認められる物じゃないから
従わないけど、上杉としても秀吉の面子を潰すわけに行かないから
秀吉が口を挟んでくる限り新発田を潰せなくなった。

395 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 06:43:46 ID:QASlfyq9
>>389
前田利長みたいに家康に言い掛かり付けられた時、土下座外交してでも領地を削減されるのを回避するのか?
また、上杉景勝・直江兼続主従みたいに、領地削減される可能性があっても強大相手に対してでも違うものは違うと言い切ってオトコを示すのか。


たとえ主従が0点を付けられたとしても、俺は上杉景勝・直江兼続の行き方をオトコとしてカッコいいと思う。

戦国時代に戻るなんて言う考えは無く、革籠原の布陣を見ても、ただ上杉単独でも正当防衛する(豊臣軍に一撃加える)という考えだったんだろう。

石高減ってるから0点というのは全く当たらない。父長尾政景時代の10万石から結局米沢30万石で終わってるんだから石高的には3倍になってるよね。

396 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 07:07:40 ID:QASlfyq9
まあ、前田利長も直江山城のような家老がいれば一戦に及んでいたかもしれない逸話がある。
直江の養子直江が養子として手解きした本多政重をいきなり筆頭家老に迎え入れ政務一切を任せていること、それにより直江が書いた四季農戒書が前田家の手に渡り教科書になっていることでも判る。

このことは、前田家には直江のような家康に対抗できるような人材がいなかったという前田利長の釈明にも見える。


397 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 10:00:48 ID:31mh4We/
関ヶ原前の上杉は
@「家康が実権を握る豊臣政権にいてもツマンネ」(ともに東国支配を任され
 た関係なので家康が牛耳る限り上杉は浮上しない)って感じのとこに、反対に
 上杉が邪魔な家康が無理矢理謀反の疑いかけてきて、一度は上洛を決めたけど、
 謀反の噂の出所である藤田や堀の追及を認めないから政権から離脱。
A会津征伐が本決まりすると、三成らと連携。越後での一揆画策など対策。
 三成の挙兵を知っていたからか、最上攻めの自分の戦略と同じで兵力で
 威圧して降伏を迫ると考えていたからか、直江は家康が本気で上杉領に
 入るとは考えていない。革籠原の布陣は作り話。
B三成や大谷の挙兵に、毛利宇喜多、豊臣奉行まで加担したのを知った家康
 は豊臣に対する逆賊に指定され、会津にかまっていられなくなった。一方
 の上杉は復権。「内府ちがひの条々」を諸大名に配布するなど、家康失脚
 後の豊臣政権の東国担当者としてふるまう。最上と伊達を従えたら関東に
 攻め込むという腹づもり。

戦国時代への回帰というよりは、豊臣政権内で三成と上杉が組んだ家康追い
落とし大作戦が関ヶ原。

>>396
四季農戒書は直江が書いたものではないとするのが通説。何を読んだかは
知ら ないけど「直江みたいな家臣がいれば前田も立った」なんて逸話はな
い。前 田家は家臣の派閥が真っ二つに別れ、大坂の陣後まで対立が続いた。
直江勝吉の召し抱えは、豊臣と徳川の対立が深まる中、彼の後ろにいる本多
正信正純親子(幕府の威光)を使った家中統制に大きな狙いがある。

398 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 12:25:56 ID:xaFHtsFz
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Shigeie/index.htm
新発田攻めってかなり苦戦を強いられてるようにしか見えないんだが
そもそも論功行賞を間違わなければ反乱も無かったのでは?
長引いたのは秀吉のせいにしたがってるけど、後顧の憂いも無く攻められたのも秀吉のおかげだろ

399 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 18:59:00 ID:SiCMnc1u
「かなり苦戦している」割に放っておいて上洛したりしてる。
蘆名がついてるから滅ぼすのは骨が折れるが、元が織田に呼応した
ものだから、単体になればそのまま置いてもそんな困らないって感じ
だろ。前半は織田の侵攻や本能寺後の反撃、信濃の争いなどで兵は割けず、
後半は豊臣政権下で勝手に戦争はできない。

400 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 19:26:48 ID:1g1c4GXM
確かに結局は秀吉政権のお墨付きをもらって、
新発田攻めに専念できたのは事実だけどね。
ただ、そのサイトに書いてある年と内容は一次史料と少し違うんだけど、
もしかして軍記ベ−スなのかな?
一次史料によると、天正10年(1582)、信長死後北信濃の制圧に成功した景勝は、
8月に阿賀北に出陣、三条から五十公野に至り、一時は新発田城の掘際まで迫ったが、
本庄や色部の参戦が遅れたり、信濃からの在陣が続いたこともあり、
兵を休めるため、一旦帰陣させることになった。
放生橋で追撃されたのは、そのサイトさんが書いてるように1583年じゃなく、この時のことだよ。
打撃を受けるぐらい苦戦したのは、この時ぐらいじゃなかったか。
翌天正11年は、信濃安定に苦慮しながら、5月に新発田に出陣、
7月に新潟を普請して足掛かりを作ったりした。
8月に新発田方の赤谷城に兵を向けた時に追撃されたことがあったらしいから、
このことと放生橋のことと混乱してるんじゃないかな。
天正12年、13年は信濃や越中の情勢を優先して、景勝は新発田には出陣してない。
天正14年、新潟、沼垂の有力町人たちが、新発田と手を切って、景勝方につくという好条件もあり、
本格的に新発田征伐をと向かってたら、秀吉が新発田攻撃を保留するよう求めてきたんだよ。

それから新発田の反乱は、報奨がうんぬんというより、
領国の支配機構の変化というもっと大きなものが関係してるんじゃないかな。
景勝は国人領主の自立性の強かった謙信時代と違い、
側近たちによる一元的な支配体系を確立しようとした。
その過程で反乱を起こしたのが、新発田。
景勝が独自の支配機構を確立し、権力を把握して行く中で台頭して行ったのが兼続。

401 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 20:21:08 ID:OqrL3jx1
秀吉のお墨付きも糞も秀吉が口をださなけりゃ
新発田討伐はもっと早くに済んでるよ。
秀吉は徳川との関係を何とかしたかったから
新発田よりもこっちを優先しろと口挟んできただけ。
事実、「秀吉のお墨付き」とやらは何の役にも立ってない。
新発田を援助する葦名は秀吉のお墨付きが付いたから
新発田から手を引いたというわけでもなく
本庄に追い散らされただけだし。。

402 :日曜8時の名無しさん:2010/01/23(土) 20:45:00 ID:SiCMnc1u
『定本直江兼続』届いた。重い。字が大きい。
チラシには日本最初の銅活字本を出版とか書いてあって、執筆者に花ケ前、片桐
両氏が入っていたので心配したけど、本ではちゃんと銅活字を否定してるし、内
容もなかなかよさそうだ。

403 :日曜8時の名無しさん:2010/01/25(月) 01:54:43 ID:UuAFy7+g
花ケ前先生はやっぱり御先祖様押しがつよかったわ。

404 :日曜8時の名無しさん:2010/01/28(木) 23:38:00 ID:Ej0UB9Ud
>400
運が良かったから町人たちが上杉家についたんじゃなくて、兼続が治水工事をして新発田の水利権を奪う事に成功したからだと思う。

405 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 10:59:25 ID:UsOR7g+n
重家の乱中に治水工事した史料なんてあったかな。
沼垂湊を整備したのも、乱後だし。
中の口川の開削も慶長時代だといわれてる。
もっとも中の口川に関しては、研究者は上杉時代じゃなくて、
実際は新発田藩時代のことじゃないかって言ってるけど。

406 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 20:38:35 ID:4AKWJ6Zm
>405
ごめん、そのブログの記事貼れないから、「新潟県史」辺りを見てくれないかな。
けど治水工事と準じて新田開発は23〜39歳迄の16年間(直江家へ養子〜会津へ移封まで)はしている、と聞いている。

407 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 20:59:04 ID:M0LN+ORC
>405
ごめん、訂正。
「味方村史」の間違いだった。
 信濃川を開削、支流を作り
湿地帯だったのを、今の新潟平野にした、とある。
更に新潟城と沼垂(ヌッタリ)城から新発田勢をくちくし
新潟湊を使えなくして、
次第に新発田勢を追い詰めていった。
 以上な具合に書いてあった。

408 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 21:06:41 ID:wca/aC2y
訂正

×信濃川の支流を開削
〇中ノ口川を開削(1583年~)

○経済利権を奪い(1586年~)

○駆逐(クチク)

409 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 21:29:23 ID:tt7CaBfh
>>404 405 直江厨は
〜と聞いている、とか、〜と思うとかばっか
文献で証拠を出せっての


410 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 21:47:27 ID:ApFTlnaI
>>404
景勝を上杉と認めてくれて、御館の乱で勝たしてくれた
そんな恩のある新発田重家から水利権を奪った

強盗みたいな野郎ですね、直江ってのは

411 :日曜8時の名無しさん:2010/01/29(金) 22:07:36 ID:UNW3rv9X
>>410
なんか勘違いしてないか?
謀反起こした新発田に占拠された新潟湊を味方に付け、
経済的に孤立させるんだよ

412 :日曜8時の名無しさん:2010/01/30(土) 01:04:54 ID:XkSHXGbt
別に新発田重家が勝たしてくれたわけでも
何でもないしなあ。

413 :日曜8時の名無しさん:2010/01/30(土) 05:16:26 ID:hDg6enfv
新潟市歴史博物館学芸員の長谷川伸氏によれば、
中の口川を直江兼続が開削したというのは、
あくまでも現時点では伝承だそうだよ。
歴史的な証拠と裏づけになる資料がないそうだ。
火坂も講演会で「直江が16年間治水工事をした伝承があります」
って言ってた。
ただ、直江は文禄三年、伏見城惣堀普請の総指揮を泉沢久秀とともにしてるし、
米沢移封後、米沢の治水工事に活躍したことから、そういう技術はもっていた可能性は高い。
確かな史料では、天正11年(1583年)、景勝は新潟に寄居を築いて新発田に備えてる。
天正14年(1586年)7月、三条の甘糟、木場の蓼沼、山吉が新潟、沼垂を攻め、
新潟城主の新発田駿河守を討取ってる。
このとき山吉の家伝には、新潟衆11人、沼垂衆5人が「返り忠」を働いたと書いてある。
山吉は御館の乱のときも、景勝から「調略をめぐらして三条にあたれ」って指示をもらって、
実際、三条城内の家臣を内応させて城主神余を殺させてる実績があるが。




414 :日曜8時の名無しさん:2010/01/30(土) 08:26:44 ID:u3Q3dVBe
有力町人の屋敷の税の免除を認めたんだよ。

415 :日曜8時の名無しさん:2010/01/30(土) 17:15:31 ID:Xh1hZ9eQ
花ヶ崎とか片桐とかアンチ多すぎだろ。
ほんと景勝兼続主従がかわいそう

416 :日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 01:44:05 ID:9gpHz+mR
>>414
農民からは搾り取るくせに、兼続は最悪だな

417 :日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 02:41:39 ID:TelWFanZ
アンチも大変だな

418 :日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 16:01:45 ID:RGi9ulDs
>>414
経済の活性化に自由競争が必須だ
有力町人だけ優遇してリベートでも貰ったのか何か知らんが
米沢の貧乏化は直江の贔屓政策のせいだろう

419 :日曜8時の名無しさん:2010/01/31(日) 16:32:45 ID:TelWFanZ
新潟近くの農民に対しても、領主が勝手に税をかけることを禁じるなど
敵に回さないような対応してるから。

味方に付いてもらうための対応の話なのに賄賂もらったとか
無知な批判するなよ(笑)

420 :日曜8時の名無しさん:2010/02/01(月) 14:47:47 ID:HG73z0R/
>>418
日本語でおk

421 :日曜8時の名無しさん:2010/02/24(水) 20:24:52 ID:oYxmEo30
直江状発行の際、日本で最初に大量複写技術を開発した人

422 :日曜8時の名無しさん:2010/02/24(水) 20:50:39 ID:tqHdPY7j
五大老・五奉行制度を発案した人

423 :日曜8時の名無しさん:2010/02/24(水) 21:41:13 ID:WNgYsCc1
大阪の陣で燃えさかる城から千姫を救い出した人

424 :日曜8時の名無しさん:2010/02/25(木) 17:55:27 ID:lR53v9OU
徳川秀忠の後見人になった人

425 :日曜8時の名無しさん:2010/02/26(金) 08:42:56 ID:aO4d8r51
「竜馬」のリアルな映像を見てると妻武器直江の髪型はチープに感じる。

426 :日曜8時の名無しさん:2010/02/27(土) 14:33:06 ID:DNnQF1/A
NHKに侮辱された人

427 :日曜8時の名無しさん:2010/02/27(土) 17:39:10 ID:FMSPH8pi
どじょっこほい踊った人

428 :日曜8時の名無しさん:2010/02/28(日) 22:34:16 ID:8kl04VBm
直江兼続は朝鮮出兵の時に朝鮮人の耳や鼻を大量に削いで
塩漬けにして日本の秀吉に送った武将だよ。

429 :日曜8時の名無しさん:2010/03/01(月) 00:16:32 ID:R+skp+in
朝鮮では城の普請だけで戦ってないけどな。

430 :日曜8時の名無しさん:2010/03/01(月) 00:28:46 ID:9RlkhSYi
佐渡を征伐したけど、心優しくも本間氏に寛大な処置をしてくれた人
小田原征伐の時も似たような寛大な処置を行った

431 :日曜8時の名無しさん:2010/03/01(月) 13:24:11 ID:02kiC6ex
本間高統は天地人では兼続のへんな説得に応じて
降伏してたけど、軍記物だと手裏剣で応戦したとかw
討ち死にしたけどそのほうがかっこいい

432 :日曜8時の名無しさん:2010/03/03(水) 23:35:51 ID:kUWM5h2H
佐渡の本間家は、直江に許されて、後に酒田で大商人になってるしね。

433 :日曜8時の名無しさん:2010/03/03(水) 23:38:54 ID:kUWM5h2H
それも直江が「四季農戒書」で栽培を奨励した紅花でね。

なんか運命を感じるよね。

434 :日曜8時の名無しさん:2010/03/04(木) 07:29:15 ID:qeNhmtxd
四季農戒書は実は元禄ごろの書だと研究者はいってるし、
酒田の本間家と佐渡本間家は関係がないと思う・・
そんな話聞いたことないし。
あんまり変なこと書くとアンチにつっこまれるよ。

435 :日曜8時の名無しさん:2010/03/04(木) 12:32:33 ID:TwHDNY14
酒田本間家は佐渡本間の分家ですけどね。


436 :日曜8時の名無しさん:2010/03/04(木) 19:25:21 ID:PpVOowEI
へぇそうなんだ。
山形県史に酒田本間家の系譜について書いてあったけど、
佐渡本間家との関係は書いてなかったなあ。
一説には越後の出身説もあるから、遠い時代にわかれた分家なのかもね。
まあ本間家が酒田の新興商人として地位を確立していくのは、元禄時代以降のことだがね。

437 :日曜8時の名無しさん:2010/04/11(日) 20:55:12 ID:14Sa6ZjM
花の慶次〜愛〜では直江に殴られてるけどね、本間。

438 :日曜8時の名無しさん:2010/04/13(火) 10:49:29 ID:Dq9N0261
要するに凄く胡散臭い人なんだよな

439 :日曜8時の名無しさん:2010/04/14(水) 22:24:01 ID:Dg0DfgG0
長谷堂合戦で
見方の庄内勢に撤退を知らせずに見殺しにして
自分はサッサと逃げ帰った人=直江兼続

440 :日曜8時の名無しさん:2010/04/15(木) 07:59:22 ID:vYLbnhzy
それは創作だけどな

441 :日曜8時の名無しさん:2010/05/29(土) 07:41:10 ID:32FOJTlS
庄内勢は鶴岡(下)も酒田(志多)も関ヶ原での敗報を知らない訳ないじゃん。

志多は敗報を受けて大井沢から朝日軍道に入り酒田亀ヶ崎まで帰ってるよ。
ましてや、谷地で下軍が降伏したのは直江が撤退した2週間も後のこと。
ただ、下軍は上杉の撤退命令に従わず最上勢に降伏しただけだろ。

442 :日曜8時の名無しさん:2010/05/29(土) 12:15:44 ID:HI3YkUan
結局自分の殿様と一緒に領地を守ることに腐心し、自国を豊かにしようとし
ただけの人。
当時の家臣としてはそれは当然の勤めでありそれに忠実に生きた人物。

443 :日曜8時の名無しさん:2010/05/29(土) 12:24:04 ID:HI3YkUan
今の世の中でも会社員としては優秀だったんじゃないかな。
業界をリードする革命児にはなれなくても自分の会社には
愛社精神をもちがんばりそう。

444 :日曜8時の名無しさん:2010/05/30(日) 21:48:04 ID:+/NMBsSq
なぜか大河の主人公になってしまった人

445 :日曜8時の名無しさん:2010/05/31(月) 06:09:18 ID:jCsAq1FZ
大河の主人公の器じゃない

446 :日曜8時の名無しさん:2010/06/01(火) 14:14:09 ID:QvSYf0vI
陪臣身分を取り上げるなら直江は妥当
ただ、原作脚本の時点で微妙

447 :日曜8時の名無しさん:2010/06/02(水) 23:48:58 ID:KftWk0ln
無名だった人が、
徳川の「常山記談」や他大名の記録に取り上げられ、
京都の名僧・南化玄興から
現在国宝指定の『宋版史記』ら90冊以上を贈られ、
有名作家の藤沢周平や童門冬二の作品の題材になったり、
昔から有名な歴史研究家に取り上げられているって、

良い話だなぁ(;ω;)

448 :日曜8時の名無しさん:2010/06/03(木) 21:31:23 ID:clzEkQ3c
>>445それはあなたが、NHKの天地での直江しか知らないからだと思う。
ケネディが尊敬したという上杉鷹山の政策面はまるっきり直江の政策そのまんま復活したもの。

天地では原作がいまいちだったから直江の凄さは解り辛かったかもしれないが、長谷堂電撃撤退作戦、魚津城攻防戦、新発田との新潟港争奪戦、佐渡等の鉱山開削、直江津酒田等の港湾開発、紅花等商品作物の奨励、直江状、慶次との友情(亀岡文殊堂での詩歌等)。
そして日本初の藩校であり、かつ貴重な文献の宝庫「禅林文庫」(日本初の銅活字本:直江版全69巻:国宝含む)。

敵であった武田氏の保護。ちょっと挙げただけでもこれだけ。十分大河の素材でしょ。今まで負けた側ってことでその素晴らしさが見えなかっただけ。古い日本の伝統的な指標は「勝てば官軍」だから。

449 :日曜8時の名無しさん:2010/06/03(木) 21:59:31 ID:UO23khrt
直江兼続も知らねーのかよwwwwwww

教えてやるよボケ助ども!

上杉家の家臣としては若輩の身でありながら、


「利いたふうな口をきくなああああ!!!!」


って老臣たちを一喝した人だよ

450 :日曜8時の名無しさん:2010/06/04(金) 08:31:06 ID:RqBdkl5V
>>448
負けた側だからというより、スタッフがよくなくて素晴らしさが
見えなかったという感じだけどな。そして日本初の銅活字は違う。

451 :日曜8時の名無しさん:2010/06/04(金) 11:55:44 ID:pv3G6nPY
>>448
ああ、そんな大河が見たかった

452 :日曜8時の名無しさん:2010/06/05(土) 00:38:26 ID:2W7lw+iP
原作もイマイチだったけど、脚本が幼稚園以下だったからな。

直江石堤ができたのはすべて愛姫のお蔭で、兼続は政宗から教わるまで治水の
イロハも知らなかったというのは侮辱するにもほどがある。

453 :日曜8時の名無しさん:2010/06/05(土) 02:32:58 ID:/Wj9f9co
現代は戦国時代と同じく、旧家が割りを食ってるというのがよく分かりました。

454 :日曜8時の名無しさん:2010/06/06(日) 17:13:39 ID:BUGVuO9n
>>448 ←この人デタラメ真に受けてるね

>上杉鷹山の政策面はまるっきり直江の政策そのまんま復活したもの。
具体的に何?

>長谷堂電撃撤退作戦
タダの敗北じゃない?

>魚津城攻防戦、新発田との新潟港争奪戦
具体的に直江の武功は何?

>佐渡等の鉱山開削
秀吉の取られた佐渡の奉行をやって何が功績なのか?二君に仕えただけ

>酒田等の港湾開発
酒田が栄えたのは上杉統治が終わってから

>紅花等商品作物の奨励
紅花は定着していない

>直江状
何が功績なのか?そもそも偽作説も

>慶次との友情
史実はタダの奇人

>日本初の藩校であり、かつ貴重な文献の宝庫「禅林文庫」(日本初の銅活字本:直江版全69巻:国宝含む)。
銅活字でも日本初でもないことが既に分かっている

>武田氏の保護
直江の意思だという証拠がどこに?

>ちょっと挙げただけでもこれだけ。
ちょっとでなくこれだけだろ?


455 :日曜8時の名無しさん:2010/06/06(日) 18:53:36 ID:F6Jj842Y
アンチ乙。

456 :日曜8時の名無しさん:2010/06/06(日) 21:46:59 ID:neLzQoM9
でも >>448 みたいな狂信信者が
なぜこうも次々現れるのか
不思議な武将であることは間違いない


457 :日曜8時の名無しさん:2010/06/06(日) 21:59:40 ID:MwzEZ+DT
虚実いろいろある功績や逸話を全部割愛して
捏造エピソードでストーリーを固めたというのも
考えてみれば画期的だな


458 :日曜8時の名無しさん:2010/06/07(月) 22:09:26 ID:EHyeb6Ph
>>454
その人が言うように全てではないのは勿論だが、鷹山への政策
提言で直江の施策を評価していたり、顕彰歌会を開いたりと少
なくとも鷹山周辺は高評価だよ。

459 :日曜8時の名無しさん:2010/06/07(月) 22:48:05 ID:DQblHJTz
>>458
その評価された直江の政策って何?
何か話が少し進歩してきたじゃないか
その辺を検証しようじゃないの

460 :日曜8時の名無しさん:2010/06/08(火) 00:01:35 ID:Cwo9ARGD
>459
ていうか少しは自分でも本を読め

461 :日曜8時の名無しさん:2010/06/08(火) 01:04:16 ID:lHs3WNf8
直江研究本なんか多数出てるのにな。

462 :日曜8時の名無しさん:2010/06/08(火) 17:16:29 ID:mEN5MFJJ
どうせ文芸だの園芸だのって
趣味みたいなレベルなんだろ

463 :日曜8時の名無しさん:2010/06/08(火) 18:29:03 ID:kBB7okm8
文芸は武将同士の交流に不可欠で、人脈作りに大きなメリット
があったんだが

464 :日曜8時の名無しさん:2010/06/09(水) 01:30:15 ID:oHx4c4cT
詩が詠めない武将とかいないよなw
その中でも兼続・実頼の兄弟は秀でていたようだけれど。
戒名も「文・武・詩」の三点全てに優れた人でしたって意味だしなあ。
そういや兼続って地味に日本七槍の一人に挙げられてるけど
まさか全く武芸に名のない人間の名を挙げるとも思えないから
当時個人の武芸にはそれなりに評価されてたんだろうな。

465 :日曜8時の名無しさん:2010/06/09(水) 12:04:01 ID:TJtpL3gN
日本七槍って、秀吉が選んだんだろ?
なら小田原での働きを顕彰してのものだろうか?

466 :日曜8時の名無しさん:2010/06/09(水) 22:59:03 ID:hjfOt1CU
七槍とかっていかにも創作くさいけどな。
でもどう見ても異色な直江が入っているのは不思議ではある。
も一人異色な島津忠恒は朝鮮出兵での働きが評価されたのかな。

467 :日曜8時の名無しさん:2010/06/10(木) 00:21:31 ID:5AXVj21j
日本七槍はむしろあの後世の人間から見ると
「何故この面子…!?」と感じてしまう脈絡の無さが
妙な信憑性を感じるw
上げられてる面子の身分からすると、個人の武芸があっても
あんまり大きな意味はないな。

468 :日曜8時の名無しさん:2010/06/10(木) 10:35:42 ID:WQJJbubT
何だ結局何も出て来ないのかよ
直江って仕事しないから家臣団に嫌われたんじゃないの?

死後、妻よりも2ランクも低い、家老ではありえない低い戒名与えられて
直江家は断絶させられて
菩提寺も破却された、らしいじゃん

それらは功績が無いからであって
あったらこんな処遇ありえないよ

469 :日曜8時の名無しさん:2010/06/10(木) 15:11:35 ID:4LnOg0F2
片倉小十郎>>>>愛の直江

470 :日曜8時の名無しさん:2010/06/10(木) 17:36:42 ID:hoAE/T+x
何にも仕事しない奴が上杉家に「達三」って法名つけてもらうかよ

471 :日曜8時の名無しさん:2010/06/10(木) 21:20:30 ID:Zu+8YsVI
>>468
景勝・直江以降の上杉家は鷹山が出るまでバカばっかりだったからね。
当然、直江の凄さなんて解らず。
明治維新までは、少なくとも鷹山までは、直江は神君家康公に反逆した悪い奸臣って評価だったから。

472 :日曜8時の名無しさん:2010/06/10(木) 23:54:48 ID:094jjr/i
悪い奸臣ってのは軍記物とか俗説の中の話でたしかにそれは広まったけど、
上杉家の歴史の中では普通に功臣として史書に名を刻んでるけどな。

473 :日曜8時の名無しさん:2010/06/11(金) 12:09:00 ID:iSztZSU0
それは直江が2代藩主定勝の養育をしたから
実際の直江は奸臣だったが、奸臣に藩主が養育された、と記録されるわけにはいかないので
公的には仕方なく奸臣扱いされていない

474 :日曜8時の名無しさん:2010/06/11(金) 19:28:32 ID:gHJBO6aU
上杉年譜には軍記物の影響も見られるが、奸臣にはされていない。
奸臣というのは東西挟撃の話から来ているが、なぜか軍記物の
作者は直江と三成の密談の内容を知ってるし、死因が病死と
わかっている蒲生を毒殺したことになっている超展開。

475 :日曜8時の名無しさん:2010/06/12(土) 08:43:32 ID:ERDSiMqA
>>473
>>474
定勝の養育したのは直江船だろ。直江家が上杉家に録を全額返上した後、定勝から化粧料として3,000石支給されたのは有名な話。
上杉家御年譜に「直江は奸臣です」なんて書いてある訳ないでしょ。
上杉家御年譜の中で軍記物の影響が見られる部分って、具体的に何処。初めて聞く説なんだけど。

直江山城の法要は上田衆(身内)のみで密やかに行われていたのを上杉家として行うようになったのが鷹山公から。
その事実だけでも十分奸臣扱いと言える。

476 :日曜8時の名無しさん:2010/06/12(土) 11:02:24 ID:DOhFhNgy
>>475
景勝から定勝にあてた書状に「この間の鴈を山城に振舞うのは
もっともなことである」とあるので、定勝の養育に晩年の兼続
も関わっていた可能性はある。

長谷堂合戦の記述には全般的に軍記物の影響が見られる。逆に
革籠原での迎撃作戦は採用していない。軍記物の影響で、奸臣
説は流布しただろうが、上杉家の正史では兼続の死に景勝がひ
どく悲しんだことを記述した上で「ついに国柄を執りて武名を
天下に洋溢す 故に秀吉公、家康公、秀忠公に拝謁する事数次
恩遇も亦諸家の臣に超越す 人皆これを惜しむ 家嗣兼続に先
立て卒すれば公にも別して憐憫し玉ふ」とある通り、俗説とは
違った評価をしている。

兼続は直江家の菩提寺徳昌寺に葬られたとされているけど、法
要は重臣や上杉家の女が眠る林泉寺でも行われた。法名の達三
全智は上杉家家老の千坂伊豆が京都妙心寺の前住職の海山元珠
に依頼してその由来を記してもらっている。海山はその経緯と
兼続が詩・文・武に優れているから達三になったということを
記述していて、それが残っている。

鷹山が上杉家として直江の法要を行ったという記述は上杉年譜
などからは見つけられない。逸話も法要をしたというのではな
く、香典を出したという話だった気が。兼続200回忌の時に
与板組が「藩も香典くらい出せ」と要求してるから、鷹山最晩
年まで法要に藩は関わってない。

477 :日曜8時の名無しさん:2010/06/12(土) 12:07:45 ID:MBo7BT+s
家老としてはありえない戒名って、直江の家格で院号付く方が珍しいよ?
兼続が直江家レベルの戒名で船が定勝の養母として特別扱いされた、
という方が正しい。
謙信の側近を終世勤めた直江景綱だって院号付けられてないし。
実父の樋口兼豊も院号は付いてない。
どちらの家柄を取っても院号を付ける家格ではない。
信綱は本来主筋である長尾家からの入り婿だからね。

478 :日曜8時の名無しさん:2010/06/12(土) 14:42:25 ID:DOhFhNgy
同意だね。
兼続に院号がないことではなく、お船に院号が付けられたこと
に上杉家の何かしらの意図を見出すべき。年忌も上杉家が行っ
てるし。

479 :日曜8時の名無しさん:2010/06/12(土) 16:58:31 ID:G+2Pdsj0
院号が付くかどうかではない
妻よりも2ランク低い戒名
嫌われて奸臣扱いされた証拠そのもの

480 :日曜8時の名無しさん:2010/06/12(土) 18:27:20 ID:DOhFhNgy
ただソースもなくアンチが吠えてるだけだろうけど、
奸臣なのに、正史でべたぼめし、「達三全智」などという才能の塊だった
というような戒名を付けたのだとしたら、それはそれですごいな。



481 :日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 00:37:04 ID:922+19Ne
毀誉褒貶甚だしいな

482 :日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 10:27:20 ID:J2BsMcGw
船の方が死んだの大分後だしな。

兼続は直江家当主としての相応しいレベルの戒名。
兼続景勝存命中に亡くなった嫡男景明も兼続と同レベルの戒名。
その後亡くなった船は定勝の治世で亡くなった藩主定勝の養母なので
特別に藩主一族レベルの戒名貰った。

483 :日曜8時の名無しさん:2010/06/13(日) 19:10:29 ID:rOeK/G1c
天地和合楽
君臣合躰楽
武運長久楽
子孫繁栄楽
所願成就楽     慶長弐拾年 正月朝日   重光 花押

484 :日曜8時の名無しさん:2010/06/16(水) 15:17:06 ID:paP5oDVd
結局
合戦も政治も内政もろくに出来ない
タダの文化人、ってことですね

485 :日曜8時の名無しさん:2010/06/17(木) 08:24:50 ID:pGYVdd9j
政治も内政も

486 :日曜8時の名無しさん:2010/06/17(木) 20:57:03 ID:ruGTTPvx
>>483
上杉軍五千が今福・鴫野の戦いで豊臣軍主力二万五千(後藤又兵衛、大野治長隊)を打ち破った後、大坂の陣で迎えた正月にこれを書くってのはやはり凄い「漢」。

487 :日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 03:58:36 ID:C/8F9C95
>>486 今福・鴫野では、
安田能元、須田長義、井上頼次、水原親憲らが頑張っているけど
直江は何処に出て来るんだ?

結局、直江兼続って今福・鴫野で何した人なの?

488 :日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 07:39:00 ID:vuognyhp
直江隊は上杉軍の殿。
あと、崩壊する佐竹軍の救援要請を受けて
佐竹の援護で、後藤や木村らを相手に川を挟んでの撃ち合い。
後藤又兵衛を撃った(死ななかったけど)
今福・鴫野は堤の上に軍を展開して行った戦いなので
軍勢を大規模に展開して戦うことは地理的に無理です。
安田隊・須田隊は上杉軍先鋒衆。
安田・須田・水原が活躍したという理由は上杉軍の布陣を見れば
もの凄く当たり前な結果。

489 :日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 08:51:30 ID:AANmzXGV
直江父子は後備だが、戦況を見て前線に兵を繰り出して
戦い、多くの死傷者を出している。秀頼の長刀指南役である
穴沢鉄可斎と、宮沢主殿を討ち取ったのは直江父子の家臣


490 :日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 20:15:41 ID:1gfFR5Ei
家臣は家臣。本人は何してたんだ?

そもそも後詰めと後方支援は
武功の無い無能者の定番のポジションでんがなw

491 :日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 21:12:23 ID:N/hx1oAT
ふつう、1年も大河で取り上げられれば、かなりイメージが定着するんだがな。
結局、「愛」の兜かぶってないと、誰だかわからない人のままだよ。

492 :日曜8時の名無しさん:2010/06/18(金) 21:53:45 ID:hCJuLoKl
漫画のように自分の手で敵を倒さないと功績でないと思っている
奴がいるらしい。


493 :日曜8時の名無しさん:2010/06/19(土) 01:38:37 ID:vu/p0VSO
後陣は無能者が配置されるとか無知にもほどがある

494 :日曜8時の名無しさん:2010/06/26(土) 01:08:50 ID:jdyltg6q
後藤又兵衛、大野治長の他に殿の直江隊は若き勇将と謳われる木村重成隊と遭遇してるよ。

仮に佐竹に続いて上杉も崩れたら、東軍はかなりヤバかった。

495 :日曜8時の名無しさん:2010/06/26(土) 20:30:25 ID:Dv87sh4O
>>494
遭遇したから何?w

496 :日曜8時の名無しさん:2010/06/27(日) 01:39:55 ID:3Nvu8gYW
戦って追い返したってことだよ。

497 :日曜8時の名無しさん:2010/06/27(日) 21:17:05 ID:M+GsrfS3
後詰めの直江が後藤や木村を追い返したなんて聞いたことないなあ
何処にどう書いてんの?

498 :日曜8時の名無しさん:2010/06/28(月) 01:41:12 ID:X06xwGSn
今福で佐竹勢を突き崩したのが後藤、木村。
佐竹を救援したのが上杉隊。
直江もそこで采配を振るってるよ。
             「上杉家大坂御陣留」

499 :日曜8時の名無しさん:2010/06/28(月) 01:48:38 ID:X06xwGSn
「後備」は戦闘しないんじゃなく、状況を見て必要なところに兵を
繰り出す。直江父子の軍では上泉主水ら八十人余りが重傷、足軽頭
クラスとみられる者十数人が戦死。

500 :日曜8時の名無しさん:2010/06/29(火) 13:14:45 ID:/UsPCu0v
後備。それは武功の薄い奴がやるポジションだね

因みに後藤や木村、大野らを撃退したのは、直江でも上杉でもなんでもない。
東軍全体だ。
後藤と木村を討ち取ったのは、伊達と井伊勢。

501 :日曜8時の名無しさん:2010/06/29(火) 22:26:09 ID:uDxdvc22
先陣と殿軍は任せられるのは非常に名誉なことですが。
しかも冬の陣と夏の陣を混同してる。

502 :日曜8時の名無しさん:2010/06/30(水) 01:53:11 ID:1+1/V2R7
>>500は嘘でも直江を貶めたいだけ
それであからさまな嘘をついて墓穴掘ってる

503 :日曜8時の名無しさん:2010/07/01(木) 08:38:41 ID:jYr+S0of
>>501
殿軍と後詰・後備は、字面は似てるが内容は全然違うぞ
殿軍は退却戦で敵の矢面に立つので武勇の将が勤める
後詰・後備は無能者が勤める。直江はこっち

504 :日曜8時の名無しさん:2010/07/01(木) 15:30:27 ID:PLs7NA6U
具体的なことはいっさい言わず無能呼ばわりを繰り返す必死なアンチ

505 :日曜8時の名無しさん:2010/07/01(木) 23:31:38 ID:qIQFtoYI
大坂冬の陣は後詰めも殿も同じ。
直江がやってるw

506 :日曜8時の名無しさん:2010/07/02(金) 01:11:40 ID:JkT8ja3y
というか後陣は無能者が務めるという論理自体が終わってる

507 :日曜8時の名無しさん:2010/07/04(日) 11:55:34 ID:UZ41azMX
今福で総崩れになりかかった佐竹隊を側面から鉄砲隊(米沢白布で自製)で助けたのは上杉だろ。

508 :日曜8時の名無しさん:2010/07/04(日) 22:08:15 ID:La93S7i4
>>500の方は
大坂冬の陣と夏の陣をごちゃ混ぜにしてるね。

夏の陣での後藤又兵衛隊は冬の陣1/4程度の兵力。伊達・井伊・藤堂連合軍が勝つのはある意味当たり前の状況。

冬の陣の後藤・大野・木村軍を破った上杉軍はその兵力差や右翼である佐竹軍の崩壊を考えても凄いこと。秀忠から先鋒の須田や佐竹を救った水原が直接感状を受けている。

509 :日曜8時の名無しさん:2010/07/04(日) 22:18:49 ID:La93S7i4
夏の陣での直江隊(後詰)はある意味一番頭を使う所。
後から戦況の見つつ適切な対処をする必要がある(夏の陣での例では先鋒須田が大軍に押され崩れかけた時、二陣安田と鉄砲隊の水原に救援させつつ、自らも佐竹隊へ向かい鉄砲援護)等。

ある意味後詰は上杉家では直江しかいない。

510 :日曜8時の名無しさん:2010/07/04(日) 22:24:17 ID:La93S7i4
>>503
長谷堂狐越街道での撤退戦では直江自ら殿を務めており、敵将の最上義光や徳川家康からその戦い振りを激賞されているぞ。
直江アンチの書き込みするならちょっとは勉強してから書けよ。

511 :日曜8時の名無しさん:2010/07/04(日) 22:42:22 ID:/2uaQT2s
>>510
長谷堂で殿だったって文献出してみ

直江は別働隊に退却を知らせずに置き去り・見殺しにして
自分だけ逃げた

512 :日曜8時の名無しさん:2010/07/05(月) 03:14:52 ID:Qp4Lf1f1
最上義光記だろ。

513 :日曜8時の名無しさん:2010/07/05(月) 06:48:04 ID:jnxNl0qm
デタラメ言うな
大将の直江が殿軍だったなんて書いてないだろ
水原や前田の奮戦のおかげで逃げおおせただけ

514 :日曜8時の名無しさん:2010/07/05(月) 22:13:25 ID:N57QJS+a
デタラメ言うなって何を根拠に言えるの?

各種資料の中で有名なのは最上記(斯波家伝)。

「直江は近習ばかりにて少も崩れず、向の岸まで足早やに引きけるが取って返し。
追い乱れたる味方の勢を右往左往にまくり立て、数多討ち取り、この勢に辟易してそれらを追い引き返しければ
、直江も虎口を逃れ、敗軍集めて心静かに帰陣しけり」
この撤退戦は後世まで語り草になった。
「上方にて敗軍の由告げ来りけれども直江少しも臆せず、心静かに陣払いの様子、(中略)誠に景虎(謙信)武勇の強き事にて残りたりと斜ならず感じ給う。直江は古今無双の兵(つわもの)なり」と。
後に隠居し駿府にいた家康は兼続が訪れた際この撤退戦を聞き及び「あっぱれ汝は聞き及びしよりいや増しの武功の物」と兼続を賞賛したという。

515 :日曜8時の名無しさん:2010/07/05(月) 22:22:30 ID:N57QJS+a
>>511
別働隊を見殺しというのは、敗報後2週間以上も谷地に留まり降伏し最上の家臣になった裏切者下吉忠のことを指すのかと思われるが、下はただ単に西軍が負けたから最上の家臣になっただけだろ。
2週間以上もうろうろしていて逃げなかった下が悪い。
最初から負けたら最上に降伏するつもりだったんだろう。
下より山形城に近かった志多は余裕で六十里越街道から大井沢を抜けて朝日軍道にて酒田東禅寺城に帰っているじゃない。

アンチはもうちょっと勉強して批判たほうがいいよ。突っ込み所満載の穴だらけですから。

516 :日曜8時の名無しさん:2010/07/06(火) 08:07:26 ID:uY4VYmM3
そいつは大坂の陣の話を繰り返してるだけ。
直江軍も豊臣方と交戦している→部下が戦っただけ
長谷堂の撤退戦→水原が戦った
ジャンプのヒーロー漫画のように主人公が敵をなぎ倒して
いかないと認めないらしい。長谷堂では水原がかなりきつ
い位置で戦ったことは本人の書状で分かるけど、直江が最
前線にいたかどうかは別として、そういった部隊配置など
も大将が評価されるポイントだろ。
伊達も最上も直江にもっと打撃を与えられると考えていた。
だから政宗は言い訳がましく直江を逃したことを「最上が弱
いせいで」とこぼし、最上も「自分たちが弱かった」ではなく
「直江が見事だった」と言わざるを得なくなった。

517 :日曜8時の名無しさん:2010/07/06(火) 16:19:01 ID:4PyWITXO
水原の書状からして直江が水原に任せてさっさと逃げたとは言えないと思うが。
水原が撤退戦開始の翌日の手紙で「さっき直江から明日には荒砥に入ると言われた」と
言ってるから、直江と水原の部隊は大きく離れてはいないだろ。
もちろん水原を置いて逃げれば被害が拡大するから
大将としてある程度部隊を纏めておくのは当然。

518 :日曜8時の名無しさん:2010/07/08(木) 21:19:39 ID:R/MjqtpZ
>>515
別働隊見殺しは本当みたいですな

「長谷堂城合戦で敗北すると、上杉軍率いる兼続は
谷地城を占領した下次右衛門ら2千人に敗北したことも告げずに、置き去りにして米沢に逃げた。」

http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog-entry-211.html

519 :日曜8時の名無しさん:2010/07/08(木) 21:35:41 ID:gMh1b+6o
ソースそのブログかよw
間違い多いからそこだけはやめたほうがいいぞ。

だいたい、見捨てた話は上杉御年譜にもあるけど、先に成立した
軍記物の影響だと見られる。志駄が庄内に引き上げていること
からも連絡しようともしてないとは思えない。


520 :日曜8時の名無しさん:2010/07/08(木) 23:08:00 ID:jXo/kC9s
そのブログによると、太閤検地に反対した国人が起こした
はずの庄内一揆は農民一揆です。笑える。
片桐氏が間違ったのか、ブログの主が聞き違えたか。
片桐氏の研究は奥羽永慶軍記とか最上義光記ベースで、
一次史料中心の直江研究が出てきた最近のものには追い
つけていないと思う。
どうせなら大学の先生がやってるほうを見てはいかがか。

521 :日曜8時の名無しさん:2010/07/13(火) 21:03:27 ID:DLDIDAe2
>>518
見殺しって?
下吉忠達は死んでないだろ。降伏勧告を待ってましたとばかりに上杉家を見限って最上の家臣になっただけ。

下らは戦わずして降伏した後、最上義康・志村光安軍の先鋒となって自分が預かってた上杉家の尾浦城を攻め立てて、同士だった仲間たちを討取って落城させてる。
今の基準(道徳)からすると下は裏切者でとんでもない奴って評価になるだろうけど、当時はある意味当たり前のこと。

下らにしてみれば、自分達を正当化するためには直江が敗報を教えてくれなかったから裏切ったってことにしないと大義名分が立たないからね。

522 :日曜8時の名無しさん:2010/07/19(月) 11:15:01 ID:b/Nfy8B2
>>521
下は死んでない。そりゃそうだ。

やっぱり庄内軍を見殺しにしたって声高に宣伝してる片桐先生って信頼できないね。

523 :日曜8時の名無しさん:2010/07/29(木) 19:52:23 ID:I8yaVa+x
直江状で家康を怒らせた時点でこいつアホだろ。
怒らせてスカッとしたのかしなかったか知らんが、
自分の非を1つ作ってしまったのは完全な落ち度。

524 :日曜8時の名無しさん:2010/07/29(木) 23:26:39 ID:Bduv+KlV
>>523
違うスレでも同じこと書いて論破されてたな。

525 :日曜8時の名無しさん:2010/07/30(金) 00:28:00 ID:ju3jYWq6
>>524
いいえ初めて書き込みます。
論破してください。つうかアホじゃない理由を教えてください。

526 :日曜8時の名無しさん:2010/07/30(金) 08:40:10 ID:BagjNipM
直江状が挑戦状だと思ってるからじゃないのか。

直江状は、「城の普請はよいことだ」と認めていたはずの家康からの
疑念に皮肉を込めながら一つ一つ回答しているのであって「かかって
こい」という書状じゃない。
4月の直江状のあとも、まだ1、2年もかかる神指城の築城を継続し、
6月まで上洛の可能性を探っていることからも直江状は決定的な絶縁
状ではないことが分かる。結果的には戦になるけど、上杉がアホだか
らじゃない。

また、ドラマなどではよく家康が「上杉は武門を大事にするから降伏
しないだろう。征伐することになり、その間に反対派を挙兵させる」
という読みをして、その通りに事が進む。でも「アホ上杉が挑発に乗
った」と喜んでも、そのあとは三成に上方を占拠されて絶体絶命の危
機に陥ってるんだから、会津征伐は結局、上杉が釣られたのではなく、
むしろ家康が釣られた形なんだよ。

170 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)