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【最後は】駿優予備校郡山校Part5【気持ちだ】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 17:06:19 ID:dbQdEMuW0
とにかく勉強しましょう

荒らしは帰れ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 17:08:09 ID:dbQdEMuW0
なめられたものだ
今月からの追い込みが確実に成功へ繋がる

努力しても成功するとは限らない
しかし、成功した人は必ず努力した

頑張ってね

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 00:13:34 ID:K8furWma0
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

4 :童貞王:2009/10/07(水) 05:47:49 ID:mw8y+zOy0
駿優の子は可愛い子が多いねぇ( ^ω^)

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 08:39:48 ID:BBVcbMiH0
前スレ埋めろよ馬鹿

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 11:59:51 ID:wxT9MWLs0
ERROR:このスレッドは512kを超えているので書けません!

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 18:11:16 ID:UPWXezXh0
今日の古田は授業の半分使って国立大と公務員を批判してたな
公務員は働きもしないのに俺たちの血税を給料にしているのはけしからん
とかなんとか…

まあ気持ちは分からんでもないが
ほとんどの公務員はちゃんと仕事やってるし、給料はどんどん下がって辛いおもいをしている

無知な人は古田のカリスマ性もあいまって洗脳されてるんだろうな
父親が公務員なだけにそんなことを思った

今まで信者だったのに古田の言うことが胡散臭く感じるようになってしまった…
誰か助けて

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 18:14:18 ID:wjMhyvqs0
公務員は上が悪いだけ
全てひとくくりはいけない

9 :童貞王:2009/10/07(水) 20:24:38 ID:mw8y+zOy0
おぢさんの通ってた公立の進学校だと国公立マンセー私立とか楽して入るところだからいかないようになんて風潮だったのにねー( ^ω^)
でもおぢさん英語のかっこいい先生の信者だから関係ないやー( ^ω^)

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 23:34:51 ID:EJ3WEYh8O
今更だけど、講師の実名とか晒して大丈夫なのか?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 01:04:45 ID:I1DiltNvO
古田の思想は偏りすぎだよな
しかも、それを講義の中で30分も使って発表するからタチが悪い

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 02:06:22 ID:HfaR3d8T0
>>7

英語の授業内容はともかく古田の手法は洗脳に他ならない
自己批判を促して判断能力を奪っていくのはまさに極左とか新興宗教の手法じゃん
というか今まで胡散臭さを感じなかったのは少し鈍感かもね
夜の英作文でも民主を讃える文章を黒板一面に長々と書いてたなー
あれ真面目に写した奴居るのか?前に座ってるような奴は写すのかな

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 08:27:27 ID:eFtor0ib0
民主マンセーなのはいいけど
それを俺たちに押し付けるのはよくない


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 12:56:30 ID:wga54rRC0
まず古田を初めから胡散臭いと思わない時点でどうかしてる

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 22:06:17 ID:qJZZKADoO
ワキガの人いないか?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 22:32:03 ID:Ai6m9DHZ0
古田の国立大批判って具体的にはどういう内容なの?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 23:51:02 ID:wga54rRC0
謎のランキングを用いた批判

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 03:08:31 ID:s+XrmZoQO
>>17あのランキングは英語基準のランキングじゃない?

数学とか他の科目も入れたら一部除いて私立はあんなに難易度高くないでしょ
少なくとも古ちゃんは理系に関しては無知だよね
東工大とかの話になると声が小さくなって歯切れが悪くなるし



それにしても古ちゃんは民主党大好きだよなwwwwwww
地方公務員削減には触れたけど温暖化ガス25%削減はなんにも触れてないよね?
どうやって削減するのか是非語ってもらいたいよねwwwwwww
俺達が就職する頃産業壊滅して就職先無かったりしてwwwwwwww
あと外国人参政権とかどうなんだろうね
凄く胡散臭いと思うんだけど


19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 07:11:35 ID:w+xSxxnI0
古田って「古ちゃん」って呼ばれてるのか?
キメェ

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 17:18:58 ID:u/2vHU0y0
>>18
あのトップ10に国公立大は幾つも入ってないって言ってるランキング?

あれ英語じゃなかった気がするんだけどなあ

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 18:34:29 ID:uSz5KdMSO
>>17-18
レスthanks
やっぱり「英語がこの程度なんだから他の科目も低レベルなんだろう」っていう認識なのかな?
そう考えると東京理科大学のランクは低そうだ
誰かそのランキングの詳細分かる人いない?




まぁ難関大ランキングなんて馬鹿の俺には縁のない話なんだがな
偉そうに東京理科大の英語は難しくないとか言ったが俺は手も足もでないorz

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 21:11:28 ID:VZyimS5R0
水戸にまたまたキチガイ現れたらしい。
つまり、
 キチガイ=勉強会=血森予備校職員
らしい。
怖いね水戸は。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 21:26:34 ID:02pa3fFWO
古ちゃんが言ってるのは全部文系の話だろ

さすがに理系は国立優位


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 22:51:23 ID:s+XrmZoQO
>>23必ずしもそうとは言えなさそう

ずっとまえにトップレベルの授業で中央理工>東工みたいなこと言ってたし

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 23:22:42 ID:1M7+RuuQO
>>24
中央理工神すぎワロタ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 23:37:41 ID:Opvm24uZ0
ニッコマが限界だろ

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:14:45 ID:77mV4iOiO
郡山にもキチガイ戻ってきてくれ!

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:35:03 ID:4tFBXTTX0
氏ね

29 :勉強会:2009/10/10(土) 01:28:27 ID:4Vut1rdg0
>>22
お前の推測は違っているぞw。俺は水戸の講師だよw。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 12:18:57 ID:77mV4iOiO
久村先生ですか?
ひょっとして木村先生?

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 14:34:07 ID:4Vut1rdg0
俺の悪口は言わせない。アホ学生を勉強に集中させるために
邪魔してるんですよ。みなさん気づきましょうね。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 21:15:10 ID:G9nxS1zS0
   / ̄\
  | ^o^ |   
   \_/     おーにぃっぽー
   _| |_     にぃっぽーにぃっぽーにぃっぽー
  |     |    おいおいおい
  | |   | |

33 :勉強会くんへ:2009/10/11(日) 09:27:25 ID:EOaa/+Uu0
きちがいの勉強会へ

 お前はきちがい、変態、人間のくずだ。
 悔しかったら反論してみろよ。
 ここへ→chishin1@mac.com
 小心者のお前じゃ無理だろうがな、ハッハッハー・・・・・

34 :勉強会:2009/10/11(日) 11:41:42 ID:rKnGur/U0
↑ うひゃぁぁぁ〜。またまた書いちゃった〜。まだ34だよん。

きちがい、変態、人間のくずになびいちゃってるあんたはもっと大バカ。

しかもこのスレをまたまたおしまいにしちゃっうかも。

悔しかったら反論してみろよ。だってwwwwwwww。残念ながら悔しいどころ

か小学生みたいな無駄な抵抗に爆笑しちゃったよんw。

反論して欲しいの? そうかいそうかい。では500語で君がいかにカリカリ

しているか具体的に文章で書き込むんだ。そしたら必ず反論してやるよw。

頭が悪くて500語が無理(笑)なら350語くらいでもいいぞ。今日中に

回答がなければ勉強会が残念ながら始まる。お前はスレ潰しの犯人だ!!

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 14:52:44 ID:TxQ106NFO
さすがキチガイWWW
何が水戸の講師だよWWWキチガイすぎるWWW
キチガイから学ぶことなんてキチガイ以外にないWW早く水戸に消えろWWW

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 14:59:31 ID:r1QXEwoU0
何も見えないんすけど

37 :勉強会:2009/10/11(日) 15:40:06 ID:rKnGur/U0
>>35 がーっはっはっはっはー!「何が水戸の講師だよ」だってwww。
完全に騙されてるなw。早く水戸に消えろwww。これまた水戸の
田舎者と勘違いされちゃってるよなww。

お前書き込むほどにバカ露呈してるじゃんwww。もっと笑わせろーww。

ひとつ教えてやろうw。そのキチガイにいつまでもなびいて影響されてる
お前が一番キチガイだと早く気づけよ。こっちは暇つぶしに遊んやってるんだw。
感謝しろよ。腹立たしくて書き込み止められないんだなぁ。キチガイキチガイ
って・・・だったら相手にしなけりゃいいのに止められないとまらない、うっきゃっきゃっきゃ〜。

さあ、今夜までにきさまの謝罪文がなければこのスレッドも勉強会の始まり始まり〜!!

>>36だけ見えない不思議透明あぼ〜ん!! とっとと消えろ!なりすまし野郎め!


ああ、あとひとつ。キチガイにキチガイって言ってもまったくこたえませんよwwww。
それしか言えないって寂しくね? ボキャブラリーもないんだなwww。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 15:56:28 ID:ozDGWpX80
最近モチベーション上がらなくてまずいなあ・・・全然勉強して無いや・・・

39 :勉強会:2009/10/11(日) 16:03:41 ID:rKnGur/U0
どんまい、どんまい。>>35の釣られバカに比べれば極めてまとも!頑張れ!
>>35はコンプレックスの権化で黙っていられなくて勉強どころではないぞw。
今のうちに差をつけてしまえ!!俺になびいているうちに!!

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 16:23:05 ID:4q35a9FO0
そしてまた浪人

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 16:46:20 ID:ozDGWpX80
それができないから多分適当なところ行くことになるかもな

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 16:48:12 ID:5Zp2h5gm0
あぼ〜んばっかでワロタww

赤本やってる?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:01:18 ID:4q35a9FO0
赤本はセンター終了後です

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:15:25 ID:UD9DClSf0
私立専願でセンターで受かるつもりでいる
一般は受けない

45 :勉強会:2009/10/11(日) 17:16:38 ID:rKnGur/U0
>>42 こいつだけあぼ〜んで読めないんだな。
初めて聞いたぞ「1人透明あぼ〜ん」wwwwwwwwwww。
バカだ。こいつ。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:39:18 ID:TxQ106NFO
>>37私が間違えてた
キチガイじゃどんなに頑張っても講師になれるわけないか


キチガイはすでに>>37の名前

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:45:38 ID:ozDGWpX80
赤本センタ終了後じゃ遅くないの?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:46:40 ID:4TkHysHuO
>>45
え?釣りだよね?

49 :勉強会:2009/10/11(日) 18:07:26 ID:rKnGur/U0
このスレ結構バカがレスしてくるから面白いなw。まるで入れ食いだぁ。
>>46
お前バカか?キチガイ講師ってのもいるんだよw。

それはそうと今夜20時までに謝罪文がなければ勉強会開始するぞ!今のうち
書きたい奴はいろいろ書くんだな。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 18:21:46 ID:jIWQxVAI0
>>47
センター死んで赤本無意味になったら?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 19:10:41 ID:4TkHysHuO
>>45
釣りだよね?

52 :勉強会:2009/10/11(日) 20:10:03 ID:rKnGur/U0
午後8時を超えました。みんなでこれからお勉強しましょう。

胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。

53 :勉強会:2009/10/11(日) 20:12:29 ID:rKnGur/U0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リ がゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために
作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。
従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを
知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚
イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかける時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。

きちがいと誹謗を繰り返す奴がいる限り、謝罪がない限り勉強になります。

54 :勉強会:2009/10/11(日) 20:13:12 ID:rKnGur/U0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。

55 :勉強会:2009/10/11(日) 20:14:35 ID:rKnGur/U0
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。

56 :勉強会:2009/10/11(日) 20:18:28 ID:rKnGur/U0
加齢臭や体臭に悩む日本人が増えたのは、なぜでしょうか?原因は、日本の食生活の移り変わりにあります。その背景を交えて原因を明かします。 戦前までの日本人は、体臭を発生
させにくい和食中心の食生活を送っていたため、体臭の少ない民族でした。しかし、戦後日本人の食生活は大きく変わります。戦前の低脂肪高繊維質・植物性食品が中心の食生活
から、肉や乳製品などといった体臭を発生させやすい動物性脂肪過多の食生活へ 移行したため、日本人は加齢臭や体臭に悩むようになったのです。原因である動物性脂肪は、体内
で酸化することによって臭いを発生させます。酸化させる原因は、『喫煙』、『飲酒』、『ストレス』、『不規則な生活』、『脂っこい食事』です。また、加齢臭が女性より男性
のほうが顕著に出るのは、男性は女性よりも皮脂の分泌量が多いためといわれています。加齢臭のもとである『ノネナール』を発生させる原因『過酸化脂質』を減らすことが加齢
臭の予防につながります。過酸化脂質を抑えるには、脂質の酸化を防ぐことです。動物性の脂分を控えることと、体内で過酸化酸素をできるだけ発生させないことです。加齢臭や
臭いの原因となる動物性タンパク質、 脂肪が多く含まれる食品を摂ることを控え、食生活を見直しましょう。緑黄食野菜は、加齢臭や体臭の原因である脂肪を包み込んで排出して
くれるので、なるべくたくさん摂取しましょう。ストレスは、生理機能の低下や多汗、皮脂の分泌過多を引き起こしてしまうので、ストレスを溜めないようにしましょう。加齢臭
の原因であるノネナールを発生させる過酸化酸素は、お酒や香辛料、煙草によって活発に働きます。ですから、お酒や香辛料、煙草は控えましょう。AIDS 治療において、適切な
治療が行われなかった場合の予後は2 〜 3 年でしたが、AZT(azidothymidine)を代表とする逆転写酵素阻害剤(reverse transcriptase inhibitor, RTI)に加え、近年、優れた
プロテアーゼ阻害剤(protease inhibitor, PI)が開発され、逆転写酵素阻害剤2種とプロテアーゼ阻害剤(あるいは非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤)1種との組み合わせに
よる多剤(3剤)併用療法(highly active antiretroviral therapy, HAART)が奏効しています。このため先進国ではAIDS患者の死亡率や日和見感染の発生率を低下させることが
でき、AIDSによる死亡者数は減少し、HIV感染者の予後は大きく改善されています。しかし、薬剤への耐性、アドヒアランス(投薬スケジュールを厳密に遵守すること)、副作用、
服薬条件等の問題などから、米国においても死亡数の減少が頭打ちになりつつあります。多剤併用療法は根治的療法ではなく、血中のウイルス量が検出限界以下となっても、
依然リンパ節、中枢神経系などにウイルスが駆逐されずに残存することが知られており、服薬を中止すると直ちにウイルスのリバウンドが起こってしまいます。薬物療法には
改善すべき様々な問題点が残されており、新薬の開発だけでなく、AIDS発症のメカニズムに関するより深い理解に向けた基礎研究が急務となっています。AIDS治療のもう一つの
重要な領域が、AIDSに伴う種々の日和見感染症に対する治療法の進歩です。特に、欧米でのペンタミジン(AIDSの主な死因であったカリニ肺炎に対する特効薬)の吸入による
患者の延命効果はその代表的な例です。

57 :勉強会:2009/10/11(日) 20:21:19 ID:rKnGur/U0
加齢臭や体臭に悩む日本人が増えたのは、なぜでしょうか?原因は、日本の食生活の移り変わりにあります。その背景を交えて原因を明かします。 戦前までの日本人は、体臭を
発生させにくい和食中心の食生活を送っていたため、体臭の少ない民族でした。しかし、戦後日本人の食生活は大きく変わります。戦前の低脂肪高繊維質・植物性食品が中心の
食生活から、肉や乳製品などといった体臭を発生させやすい動物性脂肪過多の食生活へ 移行したため、日本人は加齢臭や体臭に悩むようになったのです。原因である動物性脂肪
は、体内で酸化することによって臭いを発生させます。酸化させる原因は、『喫煙』、『飲酒』、『ストレス』、『不規則な生活』、『脂っこい食事』です。また、加齢臭が
女性より男性のほうが顕著に出るのは、男性は女性よりも皮脂の分泌量が多いためといわれています。加齢臭のもとである『ノネナール』を発生させる原因『過酸化脂質』を
減らすことが加齢臭の予防につながります。過酸化脂質を抑えるには、脂質の酸化を防ぐことです。動物性の脂分を控えることと、体内で過酸化酸素をできるだけ発生させない
ことです。加齢臭や臭いの原因となる動物性タンパク質、 脂肪が多く含まれる食品を摂ることを控え、食生活を見直しましょう。緑黄食野菜は、加齢臭や体臭の原因である
脂肪を包み込んで排出してくれるので、なるべくたくさん摂取しましょう。ストレスは、生理機能の低下や多汗、皮脂の分泌過多を引き起こしてしまうので、ストレスを溜め
ないようにしましょう。加齢臭の原因であるノネナールを発生させる過酸化酸素は、お酒や香辛料、煙草によって活発に働きます。ですから、お酒や香辛料、煙草は控えま
しょう。AIDS 治療において、適切な治療が行われなかった場合の予後は2 〜 3 年でしたが、AZT(azidothymidine)を代表とする逆転写酵素阻害剤(reverse transcriptase
inhibitor, RTI)に加え、近年、優れたプロテアーゼ阻害剤(protease inhibitor, PI)が開発され、逆転写酵素阻害剤2種とプロテアーゼ阻害剤(あるいは非ヌクレオシド系
逆転写酵素阻害剤)1種との組み合わせによる多剤(3剤)併用療法(highly active antiretroviral therapy, HAART)が奏効しています。このため先進国ではAIDS患者の死亡
率や日和見感染の発生率を低下させることができ、AIDSによる死亡者数は減少し、HIV感染者の予後は大きく改善されています。しかし、薬剤への耐性、アドヒアランス(投薬
スケジュールを厳密に遵守すること)、副作用、服薬条件等の問題などから、米国においても死亡数の減少が頭打ちになりつつあります。多剤併用療法は根治的療法ではなく、
血中のウイルス量が検出限界以下となっても、依然リンパ節、中枢神経系などにウイルスが駆逐されずに残存することが知られており、服薬を中止すると直ちにウイルスの
リバウンドが起こってしまいます。薬物療法には改善すべき様々な問題点が残されており、新薬の開発だけでなく、AIDS発症のメカニズムに関するより深い理解に向けた基礎
研究が急務となっています。AIDS治療のもう一つの重要な領域が、AIDSに伴う種々の日和見感染症に対する治療法の進歩です。特に、欧米でのペンタミジン(AIDSの主な死因
であったカリニ肺炎に対する特効薬)の吸入による患者の延命効果はその代表的な例です。

58 :勉強会:2009/10/11(日) 20:22:31 ID:rKnGur/U0
起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
その記録を出した選手の勝ちとなる。
ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯するのは間違いだって知って
いますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと思いませんか..
でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)全自動で
できません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。
従来式でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ち
なくてもいい人のもの、洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュ
の高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言えないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯
から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる
点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセットすればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという
従来式を使った生活のほうが変に思えてきます。時間がかかると不満に思ってる人も休日にまとめて洗濯するという生活が染み付いてるだけだと思います。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:38:50 ID:EOaa/+Uu0
キチガイ勉強会くん、今夜はペースが遅いね(^^)。
がっかりだ。

60 :勉強会:2009/10/11(日) 21:56:59 ID:rKnGur/U0
>>59 しらけ〜wwwwwwwww(^^)。 ペース上げて欲しいのか?じゃあ反省文でも書くんだなw。

毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。

61 :勉強会:2009/10/11(日) 21:58:22 ID:rKnGur/U0
>>59 おまえみたいにレスしないと気がすまない奴らを見てきたがパターンがありふれたバカばっかだなw。

≪台風のでき方≫
台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結して雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達し、上空の風に流されて動き,また地球の自転の影響で北へ向かう
性質を持っています。そのため通常東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し,上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は
速い速度で北東へ進みます。

≪台風の定義≫
熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼び,このうち北西太平洋で発達して中心付近の最大風速 がおよそ17m/s(風力8)以上になったものを「台風」と呼び
ます。さらに,強風域の内側で平均風速25m/s以上の風が吹いている範囲を暴風域と呼びます。気象庁では毎年1月1日以後,最も早く発生した台風を第1号とし,以後
台風の発生順に番号を付けています。なお,一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。

≪台風の特徴≫
平均的な台風の持つエネルギーは広島,長崎に落とされた原子爆弾の10万個分に相当する巨大なものといわれています。しかし,移動する際に海面や地上との摩擦により
絶えずエネルギーを失っており,仮にエネルギーの供給がなくなれば2〜3日で消滅してしまいます。また,日本付近に接近すると上空に寒気が流れ込むようになり,
次第に台風本来の性質を失って「温帯低気圧」に変わります。あるいは,熱エネルギーの供給が少なくなり衰えて「熱帯低気圧」に変わることもあります。上陸した台風
が急速に衰えるのは水蒸気の供給が絶たれ,さらに陸地の摩擦によりエネルギーが失われるからです。「防雨フラット型フード付ガラリ」は、台風などの暴風雨に強い
換気口です。私たちの生活に大きな被害をもたらす台風ですが、その定義をご存知ですか。気象庁による台風の定義は「北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、域内の
風力の最大が8以上(17.2m/s(34kt)以上のもの)」とされています。ちなみに「熱帯低気圧」は熱帯や亜熱帯地方で発生する低気圧の総称で、台風に満たない(域内の最大
風速が17.2m/s以下のもの)です。ではハリケーンと台風の違いは何でしょう。大きな違いは発生場所で、また、規模や規模の表し方が異なります。まずは、発生場所と
最大風速の違いから確認してみましょう。〔発生場所、最大風速:名称〕北太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北太平洋、最大風速33m/s以上:タイ
フーン北西太平洋、最大風速17.2m/s以上:台風北大西洋・北東太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北大西洋・北東太平洋、最大風速33m/s以上:
ハリケーンインド洋、最大風速17m/s以上:サイクロン。以上のように、ハリケーンは最大風速33m/s以上であり、規模の大きさがうかがえます。また、東経180度
より東にあるハリケーンが北西太平洋のエリアに入ってくると、台風と呼び名が変わります。言葉の由来は、枕草子にも表現されていますが、「野分」といい、野の草
を吹いて分けるという意味を持っていました。明治時代頃からは「颶風」(ぐふう)と書かれ、1956年当用漢字への書き換えが制定されると「颱風」→「台風」と
なりました。「台」の字を当てたのは、台湾の方から吹いてくるからとした説もあります。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 22:02:48 ID:InE4St5pO
明日、祝日なのに予備校とか…

63 :勉強会:2009/10/11(日) 22:04:30 ID:rKnGur/U0
>>59のチンカス野郎よ、こっちのPCの裏でお前のレスを笑う人間が見えないのかwww?

このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 22:11:26 ID:4Kqmv+9s0
頑張って勉強してきなさい

65 :勉強会:2009/10/11(日) 22:11:32 ID:rKnGur/U0
>>59よ、お前のような、頭は悪いがプライドだけは高いのが一番愚かでたちが悪いなww。

デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。

66 :勉強会:2009/10/11(日) 22:17:02 ID:rKnGur/U0
>>59よ、お前は悪い頭をフル回転してあの手この手でいろいろ書き込んでるな。頑張れよwww。

また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。

67 :勉強会:2009/10/11(日) 22:19:17 ID:rKnGur/U0
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
いうのがあるが、これは人類はおよそ15万年前のアフリカのある女性から生まれてきたと考えるものである。ミトコンドリア・イブの遺伝子にはサルたちとは全く別の
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


68 :勉強会:2009/10/11(日) 22:20:35 ID:rKnGur/U0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう
可愛くなりますよ〜。例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。
猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事
が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きく
て丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の
中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。目が顔の正面についているので、視野は
100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や血管が通っている。
ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。
ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。
骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。
猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、普段は引っ込めておく。
猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲したカギ爪
は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は
逃れられず、猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。
気分が高まった時に尻尾が勝手に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。
猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水にはこだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬
と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節
がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、
しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が変わり、身体の動きで内臓を痛めない
ように出来ている。 猫も奥が深いんだなw。

69 :勉強会:2009/10/11(日) 22:49:56 ID:rKnGur/U0
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれ
れば、ま、死ぬまでやってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか
変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、
国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝にはどうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ
芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の
系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)のおくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で
流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉なわけで、ようするに(能などに
対して)正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在であったはず。
そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代も
そういった若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて
市民権を得て、いつのまにか歌舞伎こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまで
には、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が
聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたりしたのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような
扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの違いはなんでしょう?ビートルズの場合、
影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところにあると思います。
でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表
しているでしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ
求めていってしまったため、たしかに芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、
はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのではないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノン
なんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たてまつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄って
ジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えていいのか、どうか。

70 :勉強会:2009/10/11(日) 22:51:23 ID:rKnGur/U0
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。

71 :勉強会:2009/10/11(日) 22:52:16 ID:rKnGur/U0
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


72 :勉強会:2009/10/11(日) 22:53:03 ID:rKnGur/U0
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。


73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 22:53:31 ID:MZbGsx5V0
もっとペース上げろよクズ

74 :勉強会:2009/10/11(日) 23:31:12 ID:rKnGur/U0
>>73 うっひゃっひゃっひゃっひゃ〜。こいつ相当イライラしてるなぁw。思う壺w。俺は常にマイペース〜♪♪www。お前レスせずにいられないんだな。可哀想にwww。

このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った文法
を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)といい、言葉
のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった国文法や高校の
英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを間違う人がいる。
例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと
書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー
(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は
「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向
を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や
芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が
自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔
言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)
というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のこと
のように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では
逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者の
フランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。

75 :勉強会:2009/10/11(日) 23:34:51 ID:rKnGur/U0
>>73の苛立ちを隠せないお気の毒な文をみなさん読んでやってください!!

起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
全自動でできません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。従来式
でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ちなくてもいい人のもの、
洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュの高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言え
ないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。
ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセット
すればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという従来式を使った生活のほうが変に思えてきます。時間がかかると不満に思ってる
人も休日にまとめて洗濯するという生活が染み付いてるだけだと思います。

>>73の田舎者さん、そうイライラしないで人生はのんびりおおらかに行こうよwwwww!!

76 :勉強会:2009/10/11(日) 23:39:50 ID:rKnGur/U0
さて>>73は次にどんな手を打ってキチガイ様を挑発するのか、彼の「知力」をしかと拝見させていただきましょう。
予想@ 相変わらずバカで稚拙な書き込み。A 黙秘権ww。B つまらないコピペ C キチガイ様の凄さに脱帽し謝罪ww。さあ、どれかな?

また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために作ら
れた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。


>>73のおバカちゃんへ。何回かレスしちゃったんだから途中で止めないでね。逃げたりしたら恥ずかしいよ!!

77 :勉強会:2009/10/11(日) 23:45:54 ID:rKnGur/U0
ところで「透明あぼ〜ん」のなりすまし野郎wwwはどうなってんだ?>>73まさかきさまか!?www。お前ハズすぎるぞ!!!

このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った
文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)と
いい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった
国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを
間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に
立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割
なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。
当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だった
ブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダー
スの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らか
にした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、
解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、
インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(ある
いは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・
M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative
grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて
書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなのだが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は
言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明する
ためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は
「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)
を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・
ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく
合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。


>>73よ、頼むからつまんねぇ無駄な抵抗書き止めて笑わせてくれねえかぁ? 頭のいい奴はお前のカキコ見て「負けてんじゃねえか」って思ってるぞ。バカ。

78 :勉強会:2009/10/11(日) 23:48:04 ID:rKnGur/U0
もう今日で100KBいっちゃうな。3日で終了かな。アホ共の挑発のせいで。

≪台風のでき方≫
台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結して雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達し、上空の風に流されて動き,また地球の自転の影響で北へ向かう
性質を持っています。そのため通常東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し,上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は
速い速度で北東へ進みます。

≪台風の定義≫
熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼び,このうち北西太平洋で発達して中心付近の最大風速 がおよそ17m/s(風力8)以上になったものを「台風」と呼び
ます。さらに,強風域の内側で平均風速25m/s以上の風が吹いている範囲を暴風域と呼びます。気象庁では毎年1月1日以後,最も早く発生した台風を第1号とし,以後
台風の発生順に番号を付けています。なお,一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。

≪台風の特徴≫
平均的な台風の持つエネルギーは広島,長崎に落とされた原子爆弾の10万個分に相当する巨大なものといわれています。しかし,移動する際に海面や地上との摩擦により
絶えずエネルギーを失っており,仮にエネルギーの供給がなくなれば2〜3日で消滅してしまいます。また,日本付近に接近すると上空に寒気が流れ込むようになり,
次第に台風本来の性質を失って「温帯低気圧」に変わります。あるいは,熱エネルギーの供給が少なくなり衰えて「熱帯低気圧」に変わることもあります。上陸した台風
が急速に衰えるのは水蒸気の供給が絶たれ,さらに陸地の摩擦によりエネルギーが失われるからです。「防雨フラット型フード付ガラリ」は、台風などの暴風雨に強い
換気口です。私たちの生活に大きな被害をもたらす台風ですが、その定義をご存知ですか。気象庁による台風の定義は「北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、域内の
風力の最大が8以上(17.2m/s(34kt)以上のもの)」とされています。ちなみに「熱帯低気圧」は熱帯や亜熱帯地方で発生する低気圧の総称で、台風に満たない(域内の最大
風速が17.2m/s以下のもの)です。ではハリケーンと台風の違いは何でしょう。大きな違いは発生場所で、また、規模や規模の表し方が異なります。まずは、発生場所と
最大風速の違いから確認してみましょう。〔発生場所、最大風速:名称〕北太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北太平洋、最大風速33m/s以上:タイ
フーン北西太平洋、最大風速17.2m/s以上:台風北大西洋・北東太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北大西洋・北東太平洋、最大風速33m/s以上:
ハリケーンインド洋、最大風速17m/s以上:サイクロン。以上のように、ハリケーンは最大風速33m/s以上であり、規模の大きさがうかがえます。また、東経180度
より東にあるハリケーンが北西太平洋のエリアに入ってくると、台風と呼び名が変わります。言葉の由来は、枕草子にも表現されていますが、「野分」といい、野の草
を吹いて分けるという意味を持っていました。明治時代頃からは「颶風」(ぐふう)と書かれ、1956年当用漢字への書き換えが制定されると「颱風」→「台風」と
なりました。「台」の字を当てたのは、台湾の方から吹いてくるからとした説もあります。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 00:01:11 ID:UhTB2XhIO
まだやってるしw
いくらなんでも暇すぎだろw

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 00:16:47 ID:t7ynD6hO0
>>79
お前しか見えないわww

81 :勉強会:2009/10/12(月) 00:22:36 ID:VoB6Dxyr0
>>80 出た〜ww。「透明あぼ〜ん」なりすまし野郎w。白々しいんだよw。

見えないのになんでレスしてんのww?
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれ
れば、ま、死ぬまでやってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか
変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、
国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝にはどうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ
芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の
系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)のおくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で
流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉なわけで、ようするに(能などに
対して)正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在であったはず。
そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代も
そういった若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて
市民権を得て、いつのまにか歌舞伎こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまで
には、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が
聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたりしたのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような
扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの違いはなんでしょう?ビートルズの場合、
影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところにあると思います。
でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表
しているでしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ
求めていってしまったため、たしかに芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、
はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのではないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノン
なんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たてまつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄って
ジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えていいのか、どうか。


82 :勉強会:2009/10/12(月) 00:23:49 ID:VoB6Dxyr0
>>79 暇じゃなかったらバカ相手にできないよなw。

単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
いうのがあるが、これは人類はおよそ15万年前のアフリカのある女性から生まれてきたと考えるものである。ミトコンドリア・イブの遺伝子にはサルたちとは全く別の
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 00:25:04 ID:fVkeFtjGO
勉強会待ってました。

84 :勉強会:2009/10/12(月) 00:25:42 ID:VoB6Dxyr0
しっかしどいつもこいつもキチガイと批判しつつも黙ってられないバカばっかなんだなぁ。この実験は面白いぞww。

また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リ がゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために
作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。
従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを
知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚
イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかける時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


85 :勉強会:2009/10/12(月) 00:29:14 ID:VoB6Dxyr0
もう100KB超えたかぁ。あっと言う間に終わっちゃうな。謝罪する勇気のある奴もいないしなぁ。批判が出る限り駿優のスレはみんな腐るんだ。

平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。

86 :勉強会:2009/10/12(月) 00:32:32 ID:VoB6Dxyr0
>>79 まだやってるって・・・謝罪文が出ない限り終わらないんだよww。

また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために作
られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。

87 :勉強会:2009/10/12(月) 00:35:03 ID:VoB6Dxyr0
>>80の透明あぼ〜んのなりすまし野郎はこのセリフばっかかwwww?

猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 00:36:05 ID:fVkeFtjGO
水戸も郡山も、こんな田舎予備校のスレ潰しちゃってくれよ。存在意義ないんだからさ。ついでに寮のスレにも進出してください。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 00:36:21 ID:Dj1fqY/sO
地震のメカニズムとか大気圏の構造とか今回のノーベル賞関連とかその辺の話題は無いの?
文法の話ツマンネ

90 :勉強会:2009/10/12(月) 00:37:14 ID:VoB6Dxyr0
勉強会ってすごく勉強になるなぁ。
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


91 :勉強会:2009/10/12(月) 00:39:39 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リ がゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために
作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。
従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを
知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚
イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかける時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。

きちがいと誹謗を繰り返す奴がいる限り、謝罪がない限り勉強会でがっつり勉強してもらいます。

そうそう、>>80のなりすまし透明あぼ〜ん君、いちいち「見えない見えない」ってご説明しなくて結構ですよぉwwwww。


92 :勉強会:2009/10/12(月) 01:15:04 ID:VoB6Dxyr0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


93 :勉強会:2009/10/12(月) 01:16:06 ID:VoB6Dxyr0
起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
その記録を出した選手の勝ちとなる。
ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯するのは間違いだって知って
いますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと思いませんか..
でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)全自動で
できません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。
従来式でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ち
なくてもいい人のもの、洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュ
の高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言えないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯
から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる
点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセットすればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという


94 :勉強会:2009/10/12(月) 01:16:49 ID:VoB6Dxyr0
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。


95 :勉強会:2009/10/12(月) 01:17:48 ID:VoB6Dxyr0
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


96 :勉強会:2009/10/12(月) 01:18:57 ID:VoB6Dxyr0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


97 :勉強会:2009/10/12(月) 01:19:51 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


98 :勉強会:2009/10/12(月) 01:20:41 ID:VoB6Dxyr0
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
いうのがあるが、これは人類はおよそ15万年前のアフリカのある女性から生まれてきたと考えるものである。ミトコンドリア・イブの遺伝子にはサルたちとは全く別の
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


99 :勉強会:2009/10/12(月) 01:21:29 ID:VoB6Dxyr0
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれ
れば、ま、死ぬまでやってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか
変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、
国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝にはどうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ
芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の
系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)のおくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で
流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉なわけで、ようするに(能などに
対して)正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在であったはず。
そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代も
そういった若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて
市民権を得て、いつのまにか歌舞伎こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまで
には、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が
聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたりしたのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような
扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの違いはなんでしょう?ビートルズの場合、
影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところにあると思います。
でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表
しているでしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ
求めていってしまったため、たしかに芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、
はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのではないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノン
なんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たてまつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄って
ジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えていいのか、どうか。


100 :勉強会:2009/10/12(月) 01:22:20 ID:VoB6Dxyr0
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 01:52:13 ID:fVkeFtjGO
郡山の寮でも暴れてくれ

102 :勉強会:2009/10/12(月) 02:13:34 ID:VoB6Dxyr0
>>101 悪いが俺は他人にはなびかない人間だ。くだらない批判、誹謗をする奴だけ叩く!

猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


103 :勉強会:2009/10/12(月) 02:14:46 ID:VoB6Dxyr0
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


104 :勉強会:2009/10/12(月) 02:15:44 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


105 :勉強会:2009/10/12(月) 02:16:31 ID:VoB6Dxyr0
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


106 :勉強会:2009/10/12(月) 02:23:50 ID:VoB6Dxyr0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


107 :勉強会:2009/10/12(月) 02:27:39 ID:VoB6Dxyr0
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


108 :勉強会:2009/10/12(月) 02:31:05 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。

109 :勉強会:2009/10/12(月) 10:16:26 ID:VoB6Dxyr0
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


110 :勉強会:2009/10/12(月) 10:17:38 ID:VoB6Dxyr0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


111 :勉強会:2009/10/12(月) 10:18:46 ID:VoB6Dxyr0
≪台風のでき方≫
台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結して雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達し、上空の風に流されて動き,また地球の自転の影響で北へ向かう
性質を持っています。そのため通常東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し,上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は
速い速度で北東へ進みます。

≪台風の定義≫
熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼び,このうち北西太平洋で発達して中心付近の最大風速 がおよそ17m/s(風力8)以上になったものを「台風」と呼び
ます。さらに,強風域の内側で平均風速25m/s以上の風が吹いている範囲を暴風域と呼びます。気象庁では毎年1月1日以後,最も早く発生した台風を第1号とし,以後
台風の発生順に番号を付けています。なお,一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。

≪台風の特徴≫
平均的な台風の持つエネルギーは広島,長崎に落とされた原子爆弾の10万個分に相当する巨大なものといわれています。しかし,移動する際に海面や地上との摩擦により
絶えずエネルギーを失っており,仮にエネルギーの供給がなくなれば2〜3日で消滅してしまいます。また,日本付近に接近すると上空に寒気が流れ込むようになり,
次第に台風本来の性質を失って「温帯低気圧」に変わります。あるいは,熱エネルギーの供給が少なくなり衰えて「熱帯低気圧」に変わることもあります。上陸した台風
が急速に衰えるのは水蒸気の供給が絶たれ,さらに陸地の摩擦によりエネルギーが失われるからです。「防雨フラット型フード付ガラリ」は、台風などの暴風雨に強い
換気口です。私たちの生活に大きな被害をもたらす台風ですが、その定義をご存知ですか。気象庁による台風の定義は「北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、域内の
風力の最大が8以上(17.2m/s(34kt)以上のもの)」とされています。ちなみに「熱帯低気圧」は熱帯や亜熱帯地方で発生する低気圧の総称で、台風に満たない(域内の最大
風速が17.2m/s以下のもの)です。ではハリケーンと台風の違いは何でしょう。大きな違いは発生場所で、また、規模や規模の表し方が異なります。まずは、発生場所と
最大風速の違いから確認してみましょう。〔発生場所、最大風速:名称〕北太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北太平洋、最大風速33m/s以上:タイ
フーン北西太平洋、最大風速17.2m/s以上:台風北大西洋・北東太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北大西洋・北東太平洋、最大風速33m/s以上:
ハリケーンインド洋、最大風速17m/s以上:サイクロン。以上のように、ハリケーンは最大風速33m/s以上であり、規模の大きさがうかがえます。また、東経180度
より東にあるハリケーンが北西太平洋のエリアに入ってくると、台風と呼び名が変わります。言葉の由来は、枕草子にも表現されていますが、「野分」といい、野の草
を吹いて分けるという意味を持っていました。明治時代頃からは「颶風」(ぐふう)と書かれ、1956年当用漢字への書き換えが制定されると「颱風」→「台風」と
なりました。「台」の字を当てたのは、台湾の方から吹いてくるからとした説もあります。


112 :勉強会:2009/10/12(月) 10:20:20 ID:VoB6Dxyr0
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


113 :勉強会:2009/10/12(月) 10:21:19 ID:VoB6Dxyr0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう
可愛くなりますよ〜。例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。
猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事
が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きく
て丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の
中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。目が顔の正面についているので、視野は
100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や血管が通っている。
ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。
ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。
骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。
猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、普段は引っ込めておく。
猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲したカギ爪
は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は
逃れられず、猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。
気分が高まった時に尻尾が勝手に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。
猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水にはこだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬
と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節
がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、
しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が変わり、身体の動きで内臓を痛めない
ように出来ている。 猫も奥が深いんだなw。


114 :勉強会:2009/10/12(月) 10:22:11 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


115 :勉強会:2009/10/12(月) 10:23:24 ID:VoB6Dxyr0
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
いうのがあるが、これは人類はおよそ15万年前のアフリカのある女性から生まれてきたと考えるものである。ミトコンドリア・イブの遺伝子にはサルたちとは全く別の
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 10:23:32 ID:FE/XhlrpO
同じやつばかりコピペしても勉強会になりませんよ。

117 :勉強会:2009/10/12(月) 10:26:53 ID:VoB6Dxyr0
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれれば、また、死ぬまでやって
れば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが物品であった
なら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝にはどうやったらなれる
のか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、やっぱり、その人の「内なる
芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)のおくにという女性が創始した芸で、
当時の武士の間で流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉なわけで、ようするに(能などに対して)
正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在であったはず。そういう御大層なものに対抗して、
アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代もそういった若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶった
この歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて市民権を得て、いつのまにか歌舞伎こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。
ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまでには、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビート
ルズの音楽」なんて不良が聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたりしたのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような
扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの違いはなんでしょう?ビートルズの場合、影響を受けた人々が数多くあら
われて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところにあると思います。でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの
音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表しているでしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、
普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ求めていってしまったため、たしかに芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞
伎に対する敬意もなく、はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのではないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノンなんて人が、
例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たてまつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄ってジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるよう
なものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えていいのか、どうか。


118 :勉強会:2009/10/12(月) 10:27:51 ID:VoB6Dxyr0
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


119 :勉強会:2009/10/12(月) 10:29:12 ID:VoB6Dxyr0
起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
全自動でできません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。従来式
でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ちなくてもいい人のもの、
洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュの高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言え
ないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。
ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセット
すればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという従来式を使った生活のほうが変に思えてきます。時間がかかると不満に思ってる
人も休日にまとめて洗濯するという生活が染み付いてるだけだと思います。


120 :勉強会:2009/10/12(月) 11:09:27 ID:VoB6Dxyr0
>>116 勘違いしてるなww。勉強会は「他人を誹謗、中傷する奴はやりかえされる、潰される」を教えてるんだ。内容はどうでもよい。

猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


121 :勉強会:2009/10/12(月) 11:10:43 ID:VoB6Dxyr0

デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。

122 :勉強会:2009/10/12(月) 11:12:11 ID:VoB6Dxyr0
>>73 うっひゃっひゃっひゃっひゃ〜。こいつ相当イライラしてるなぁw。思う壺w。俺は常にマイペース〜♪♪www。お前レスせずにいられないんだな。可哀想にwww。

このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った文法
を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)といい、言葉
のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった国文法や高校の
英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを間違う人がいる。
例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと
書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー
(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は
「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向
を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や
芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が
自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔
言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)
というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のこと
のように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では
逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者の
フランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。


123 :勉強会:2009/10/12(月) 11:13:31 ID:VoB6Dxyr0
さて>>73は次にどんな手を打ってキチガイ様を挑発するのか、彼の「知力」をしかと拝見させていただきましょう。
予想@ 相変わらずバカで稚拙な書き込み。A 黙秘権ww。B つまらないコピペ C キチガイ様の凄さに脱帽し謝罪ww。さあ、どれかな?

また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために作
られた。だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。

124 :勉強会:2009/10/12(月) 11:15:10 ID:VoB6Dxyr0
ところで「透明あぼ〜ん」のなりすまし野郎wwwはどうなってんだ?>>73まさかきさまか!?www。お前ハズすぎるぞ!!!

このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った
文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)と
いい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった
国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを
間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に
立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割
なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。
当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だった
ブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダー
スの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らか
にした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、
解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、
インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(ある
いは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・
M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative
grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて
書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなのだが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は
言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明する
ためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は
「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)
を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・
ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく
合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。

>>116 頭の悪い奴らは何回も復習しないといけないんだよw。

125 :勉強会:2009/10/12(月) 11:16:52 ID:VoB6Dxyr0
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


126 :勉強会:2009/10/12(月) 11:18:24 ID:VoB6Dxyr0
たった2日で250KBいっちゃった。明後日には終了かな。アホ共の挑発のせいで。

≪台風のでき方≫
台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結して雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達し、上空の風に流されて動き,また地球の自転の影響で北へ向かう
性質を持っています。そのため通常東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し,上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は
速い速度で北東へ進みます。

≪台風の定義≫
熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼び,このうち北西太平洋で発達して中心付近の最大風速 がおよそ17m/s(風力8)以上になったものを「台風」と呼び
ます。さらに,強風域の内側で平均風速25m/s以上の風が吹いている範囲を暴風域と呼びます。気象庁では毎年1月1日以後,最も早く発生した台風を第1号とし,以後
台風の発生順に番号を付けています。なお,一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。

≪台風の特徴≫
平均的な台風の持つエネルギーは広島,長崎に落とされた原子爆弾の10万個分に相当する巨大なものといわれています。しかし,移動する際に海面や地上との摩擦により
絶えずエネルギーを失っており,仮にエネルギーの供給がなくなれば2〜3日で消滅してしまいます。また,日本付近に接近すると上空に寒気が流れ込むようになり,
次第に台風本来の性質を失って「温帯低気圧」に変わります。あるいは,熱エネルギーの供給が少なくなり衰えて「熱帯低気圧」に変わることもあります。上陸した台風
が急速に衰えるのは水蒸気の供給が絶たれ,さらに陸地の摩擦によりエネルギーが失われるからです。「防雨フラット型フード付ガラリ」は、台風などの暴風雨に強い
換気口です。私たちの生活に大きな被害をもたらす台風ですが、その定義をご存知ですか。気象庁による台風の定義は「北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、域内の
風力の最大が8以上(17.2m/s(34kt)以上のもの)」とされています。ちなみに「熱帯低気圧」は熱帯や亜熱帯地方で発生する低気圧の総称で、台風に満たない(域内の最大
風速が17.2m/s以下のもの)です。ではハリケーンと台風の違いは何でしょう。大きな違いは発生場所で、また、規模や規模の表し方が異なります。まずは、発生場所と
最大風速の違いから確認してみましょう。〔発生場所、最大風速:名称〕北太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北太平洋、最大風速33m/s以上:タイ
フーン北西太平洋、最大風速17.2m/s以上:台風北大西洋・北東太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北大西洋・北東太平洋、最大風速33m/s以上:
ハリケーンインド洋、最大風速17m/s以上:サイクロン。以上のように、ハリケーンは最大風速33m/s以上であり、規模の大きさがうかがえます。また、東経180度
より東にあるハリケーンが北西太平洋のエリアに入ってくると、台風と呼び名が変わります。言葉の由来は、枕草子にも表現されていますが、「野分」といい、野の草
を吹いて分けるという意味を持っていました。明治時代頃からは「颶風」(ぐふう)と書かれ、1956年当用漢字への書き換えが制定されると「颱風」→「台風」と
なりました。「台」の字を当てたのは、台湾の方から吹いてくるからとした説もあります。




127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 12:36:38 ID:5Doitk/P0
水戸スレの最後
勉強会アンカミスってんのに連呼しすぎ


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 18:41:00 ID:fVkeFtjGO
それがどうしたあげあしとり。早くこんなスレ消えてしまえ。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 19:06:31 ID:vE2EgjZ6O
>>127
俺も思ったw
何回も自分にレスしてて面白かったw

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 20:28:47 ID:FE/XhlrpO
キチガイだからしかたない
言ってることも矛盾だらけ

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 20:34:50 ID:5Vy0qSEBO
こっちに飛び火したか(笑)
まぁ童貞で孤独で誰も相手にしてくれないから仕方がない、許してやってくれ

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 21:19:07 ID:vE2EgjZ6O
>>131
みんなあぼーんしてるだろうし、スレがおちても全く差し支えないから大丈夫b

水戸スレでは戦いが凄まじかったなw

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 22:30:58 ID:fVkeFtjGO
うっひゃっひゃっひゃ〜

134 :勉強会:2009/10/12(月) 23:22:01 ID:VoB6Dxyr0
ガキ共が騒いでるな。>>127,>>129 やっとそのレスしてきたかw。バカでもそのくらい気づくんだなw。
>>131童貞で孤独で誰も相手にしてくれないwwwwwwwww。既婚だ、バカ者www。
誰も相手にしてくれない?wwwwお前がいきり立って相手してるだろwww。
さて今夜も進めるかぁ。

≪台風のでき方≫
台風は暖かい海面から供給された水蒸気が凝結して雲粒になるときに放出される熱をエネルギーとして発達し、上空の風に流されて動き,また地球の自転の影響で北へ向かう
性質を持っています。そのため通常東風が吹いている低緯度では台風は西へ流されながら次第に北上し,上空で強い西風(偏西風)が吹いている中・高緯度に来ると台風は
速い速度で北東へ進みます。

≪台風の定義≫
熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼び,このうち北西太平洋で発達して中心付近の最大風速 がおよそ17m/s(風力8)以上になったものを「台風」と呼び
ます。さらに,強風域の内側で平均風速25m/s以上の風が吹いている範囲を暴風域と呼びます。気象庁では毎年1月1日以後,最も早く発生した台風を第1号とし,以後
台風の発生順に番号を付けています。なお,一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。

≪台風の特徴≫
平均的な台風の持つエネルギーは広島,長崎に落とされた原子爆弾の10万個分に相当する巨大なものといわれています。しかし,移動する際に海面や地上との摩擦により
絶えずエネルギーを失っており,仮にエネルギーの供給がなくなれば2〜3日で消滅してしまいます。また,日本付近に接近すると上空に寒気が流れ込むようになり,
次第に台風本来の性質を失って「温帯低気圧」に変わります。あるいは,熱エネルギーの供給が少なくなり衰えて「熱帯低気圧」に変わることもあります。上陸した台風
が急速に衰えるのは水蒸気の供給が絶たれ,さらに陸地の摩擦によりエネルギーが失われるからです。「防雨フラット型フード付ガラリ」は、台風などの暴風雨に強い
換気口です。私たちの生活に大きな被害をもたらす台風ですが、その定義をご存知ですか。気象庁による台風の定義は「北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち、域内の
風力の最大が8以上(17.2m/s(34kt)以上のもの)」とされています。ちなみに「熱帯低気圧」は熱帯や亜熱帯地方で発生する低気圧の総称で、台風に満たない(域内の最大
風速が17.2m/s以下のもの)です。ではハリケーンと台風の違いは何でしょう。大きな違いは発生場所で、また、規模や規模の表し方が異なります。まずは、発生場所と
最大風速の違いから確認してみましょう。〔発生場所、最大風速:名称〕北太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北太平洋、最大風速33m/s以上:タイ
フーン北西太平洋、最大風速17.2m/s以上:台風北大西洋・北東太平洋、最大風速17m/s以上:トロピカルストーム北大西洋・北東太平洋、最大風速33m/s以上:
ハリケーンインド洋、最大風速17m/s以上:サイクロン。以上のように、ハリケーンは最大風速33m/s以上であり、規模の大きさがうかがえます。また、東経180度
より東にあるハリケーンが北西太平洋のエリアに入ってくると、台風と呼び名が変わります。言葉の由来は、枕草子にも表現されていますが、「野分」といい、野の草
を吹いて分けるという意味を持っていました。明治時代頃からは「颶風」(ぐふう)と書かれ、1956年当用漢字への書き換えが制定されると「颱風」→「台風」と
なりました。「台」の字を当てたのは、台湾の方から吹いてくるからとした説もあります。



135 :勉強会:2009/10/12(月) 23:23:07 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リ がゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために
作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。
従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを
知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚
イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかける時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


136 :勉強会:2009/10/12(月) 23:24:17 ID:VoB6Dxyr0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


137 :勉強会:2009/10/12(月) 23:25:04 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リ がゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために
作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。
従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを
知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚
イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかける時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。

きちがいと誹謗を繰り返す奴がいる限り、謝罪がない限り勉強会でがっつり勉強してもらいます。


138 :勉強会:2009/10/12(月) 23:25:51 ID:VoB6Dxyr0
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。


139 :勉強会:2009/10/12(月) 23:26:34 ID:VoB6Dxyr0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


140 :勉強会:2009/10/12(月) 23:27:35 ID:VoB6Dxyr0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


141 :勉強会:2009/10/12(月) 23:28:32 ID:VoB6Dxyr0
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


142 :勉強会:2009/10/13(火) 00:35:52 ID:4cKTz6E30
>>127>>133が釣れたかw。

薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。


143 :勉強会:2009/10/13(火) 01:01:46 ID:4cKTz6E30
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。


144 :勉強会:2009/10/13(火) 01:02:46 ID:4cKTz6E30
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


145 :勉強会:2009/10/13(火) 01:06:39 ID:4cKTz6E30
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


146 :木村:2009/10/13(火) 01:07:21 ID:ZNzy8mjcO
沢田ってどうよ?

147 :勉強会:2009/10/13(火) 01:07:35 ID:4cKTz6E30
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


148 :勉強会:2009/10/13(火) 01:08:27 ID:4cKTz6E30
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
いうのがあるが、これは人類はおよそ15万年前のアフリカのある女性から生まれてきたと考えるものである。ミトコンドリア・イブの遺伝子にはサルたちとは全く別の
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


149 :勉強会:2009/10/13(火) 01:09:34 ID:4cKTz6E30
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


150 :勉強会:2009/10/13(火) 01:10:44 ID:4cKTz6E30
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


151 :勉強会:2009/10/13(火) 01:11:25 ID:4cKTz6E30
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 01:12:04 ID:ZNzy8mjcO
水戸はおしまいか?

153 :勉強会:2009/10/13(火) 01:12:16 ID:4cKTz6E30
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


154 :勉強会:2009/10/13(火) 01:13:28 ID:4cKTz6E30
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい

【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために作
られた。だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 01:15:10 ID:ZNzy8mjcO
もうチョムスキーは飽きたよ

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 01:20:38 ID:ZNzy8mjcO
次は毛沢東かい?

157 :勉強会:2009/10/13(火) 02:03:27 ID:4cKTz6E30
>>156 お前はなんだかんだといってキチガイにレスせずにはいられないんだなwwww。だろ?真のキチガイ君よw。
ほら、リクエストに応えてやるぞ。あまりにくだらんから今後はコピペオンリーだ。お前ホントにバカwww。

毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


158 :勉強会:2009/10/13(火) 02:05:29 ID:4cKTz6E30
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


159 :勉強会:2009/10/13(火) 02:06:29 ID:4cKTz6E30
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


160 :勉強会:2009/10/13(火) 02:07:33 ID:4cKTz6E30
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


161 :勉強会:2009/10/13(火) 02:08:22 ID:4cKTz6E30
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう
可愛くなりますよ〜。例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。
猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事
が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きく
て丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の
可愛くなりますよ〜。例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。
猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事
が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きく
中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。目が顔の正面についているので、視野は
100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や血管が通っている。
ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。
ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。
骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。
猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、普段は引っ込めておく。
猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲したカギ爪
は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は
逃れられず、猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。
気分が高まった時に尻尾が勝手に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。
猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水にはこだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬
と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節
がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、
しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が変わり、身体の動きで内臓を痛めない
ように出来ている。 猫も奥が深いんだなw。


162 :勉強会:2009/10/13(火) 02:09:51 ID:4cKTz6E30
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか

のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


163 :勉強会:2009/10/13(火) 02:10:40 ID:4cKTz6E30
起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
全自動でできません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。従来式
でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ちなくてもいい人のもの、
洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュの高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言え
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
ないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。
ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセット
すればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという従来式を使った生活のほうが変に思えてきます。時間がかかると不満に思ってる
人も休日にまとめて洗濯するという生活が染み付いてるだけだと思います。


164 :勉強会:2009/10/13(火) 02:12:33 ID:4cKTz6E30
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リ がゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために
作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。
従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを


165 :勉強会:2009/10/13(火) 02:13:32 ID:4cKTz6E30
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 07:59:35 ID:XSP1eQXJ0
勉強会って既婚者だったの?

家族のために頑張ってね〜

167 :勉強会:2009/10/13(火) 08:51:01 ID:4cKTz6E30
>>166 単純なバカwwwwwwwwww。

人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれれば、また、死ぬまで
やってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが
物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝には
どうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、
やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)の
おくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉な
わけで、ようするに(能などに対して) 正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在で
あったはず。そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代もそういった
若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて市民権を得て、いつのまにか歌舞伎
こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまでには、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜ
ならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたり
したのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの
違いはなんでしょう?ビートルズの場合、影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところに
あると思います。でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表している
でしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ求めていってしまったため、たしかに
芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのでは
ないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノンなんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たて
まつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄ってジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えて
いいのか、どうか。


168 :勉強会:2009/10/13(火) 08:52:48 ID:4cKTz6E30
起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
全自動でできません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。従来式
でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ちなくてもいい人のもの、
洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュの高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言え
ないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。
ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセット
すればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという従来式を使った生活のほうが変に思えてきます。時間がかかると不満に思ってる
人も休日にまとめて洗濯するという生活が染み付いてるだけだと思います。



169 :勉強会:2009/10/13(火) 08:54:15 ID:4cKTz6E30
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


170 :勉強会:2009/10/13(火) 09:04:17 ID:4cKTz6E30
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った文法
を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)といい、言葉
のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった国文法や高校の
英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを間違う人がいる。
例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと
書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー
(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は
「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向
を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や
芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔
言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)
というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のこと
のように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では
逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者の
フランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。


171 :勉強会:2009/10/13(火) 09:08:24 ID:4cKTz6E30
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。これはチョム
スキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する能力を説明するためには生成
文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では区別しにくかった。*は非文。John is eager
to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまら
ない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting relatives can be boring. Flying planes can be dangerous.そのために深層
構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単に
いえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうと
している。ランダムに組み合わせただけで知識は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”
(無色の緑の考えが怒って眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという
認識の問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明できていない
(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプローチ」(Principles and
Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な文法であり、パラメータ値というのは個々の
言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立
したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、
言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい
【ただし邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼
の考えの一つは、心の仕組みを計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化
的適応の結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーはカタツム
リがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、「我々の脳は言語を保つために作
られた。だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものがあるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。


172 :勉強会:2009/10/13(火) 09:10:07 ID:4cKTz6E30
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った
文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)と
いい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった
国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを
間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に
立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割
なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。
当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だった
ブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダー
スの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らか
にした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、
解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、
インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(ある
いは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・
M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative
grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて
書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなのだが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は
言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明する
ためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は
「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)
を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・
ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく
合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。


まあ、しかしバカ共がいちいちレスして止められないんだなww。お前ら完全に俺になびいてるじゃねえかwwww。何か言えば金魚の糞のようについ
来るから面白いwwwwwww。

173 :勉強会:2009/10/13(火) 09:14:33 ID:4cKTz6E30
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。


174 :勉強会:2009/10/13(火) 09:15:18 ID:4cKTz6E30
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


175 :勉強会:2009/10/13(火) 09:16:07 ID:4cKTz6E30
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


176 :勉強会:2009/10/13(火) 09:17:26 ID:4cKTz6E30
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


177 :勉強会:2009/10/13(火) 09:18:40 ID:4cKTz6E30
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれれば、また、死ぬまで
やってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが
物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝には
どうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、
やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)の
おくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉な
わけで、ようするに(能などに対して) 正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在で
あったはず。そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代もそういった
若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて市民権を得て、いつのまにか歌舞伎
こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまでには、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜ
ならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたり
したのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの
違いはなんでしょう?ビートルズの場合、影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところに
あると思います。でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表している
でしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ求めていってしまったため、たしかに
芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのでは
ないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノンなんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たて
まつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄ってジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えて
いいのか、どうか。


178 :勉強会:2009/10/13(火) 09:20:06 ID:4cKTz6E30
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
いうのがあるが、これは人類はおよそ15万年前のアフリカのある女性から生まれてきたと考えるものである。ミトコンドリア・イブの遺伝子にはサルたちとは全く別の
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


179 :勉強会:2009/10/13(火) 09:21:02 ID:4cKTz6E30
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 20:22:50 ID:uN74d3agO
晒しage

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 22:54:19 ID:ZNzy8mjcO
つまらない書き込みはいらない。キチガイどこへ行った?戻ってこい。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 23:28:25 ID:ce2VCClp0
>>181
身障

183 :勉強会:2009/10/14(水) 00:11:59 ID:JWMidHhWO

銭湯の洗い場で黒人が隣に座ったんだけど
ビックマグナムがあまりにビックマグナムで普通に椅子に座ってるのに
ビックマグナムが床についてたから、そっと桶に熱湯を出して、
そっとむこうに流したらアウチ!!とか言ってて、本当にアウチって
言うんだなと思った(良い子の皆は真似しちゃ駄目ダゾ☆)

184 :勉強会:2009/10/14(水) 00:12:56 ID:JWMidHhWO

ホモになったら銭湯で裸を見放題だなあ・・と思って修行したが
いくら頑張ってもホモにはなれなかった。
次に視点を変えて、女でも耳とか唇丸出しだよなあ?あああ丸出しじゃんと思って
耳や唇にハアハアできる境地を目指した。やっぱダメだった。
こういう安易な姿勢が境地を遠ざけるんだろうか?

185 :勉強会:2009/10/14(水) 00:15:34 ID:JWMidHhWO

作品タイトルを 老 人 向 け に しろ
ゲートボールの王子様
ジョジョに奇妙な発言
ロージンメイデン〜ポリデント
いればと!
さいごの一歩
わしらの
老眼なのジャナ
耳をすませど…
さよなら絶望現世
偽装年金
冥土ガイ
ピューと飛ぶ!ヘアー
ギックリマン
いま、会いにゆきます
放心演技
十五丁目漂流記
ココドコミラクルダイブ
ToSITOる
施設黙示録カイゴ
昇天
みな逝け
ラスト・トムライ
死後キャラ!
ああっ、仏さまっ!
スラム檀家
寺へ‥‥
ANTAR×DAREDAR
ツヨシさんしっかりしてください
頭文字G
わしの年金を守って
その日暮らしで泣く頃に
君が望む永眠
もら☆した
ぬかみそテクニック
世界の社葬から

186 :勉強会:2009/10/14(水) 00:23:54 ID:JWMidHhWO
深夜にオナった後さ、チンコ洗いたくなる時がある。
でも、水道捻るとうるさいから母ちゃん起きたりして、厄介だろ。
だから、そぉっと風呂場に行ってさ、湯船の残り湯を使うんだ。
音をたてないように浴槽の縁の上にワニのようによつんばいになって、腕立ての要領で水面にチンコを・・・
だけど、昨日は湯が足りなくてさ、ギリギリチンコが水面に届かない。
これから夏だが、水の事故にはみんなも気をつけろ。
だけど、昨日は湯が足りなくてさ、ギリギリチンコが水面に届かない。
必死でエロイことを考えて、萎えたチンコを勃起させてさ、浴槽のでよつんばいでウンウンやってたら、
「ちょっとあんた!何やってんの!」
って母ちゃんが突如。思わず、
「トンボの産卵ごっこ!」
叫んで、浴槽に落下。顔面を縁で打って歯が欠けて、チンコも痛打した。

187 :勉強会:2009/10/14(水) 00:37:01 ID:VfinYVn40

AVは体に下着の跡が残ってると綺麗に見えないから、撮影の日、
女優は前の晩から下着を着けないように指示される。
だから、レイプもの、痴漢もの、ナンパもの、盗撮もので
下着脱いでも下着の跡がついてないのは全部フィクション。
じゃあ、あえてリアリティを出すために下着ずっと着用して、ってのが出てきそうなもんだが、それはないんだな。
「藤がつく学生グラドルは年齢詐称」と同じように、業界標準のサインなんだよ。
「造りですよ」ってサイン。
だから、万が一下着脱がしたときに、クッキリ下着の跡がついてる女が出てたらホンモノ。
オレは一度もお目にかかったことないけどな。

188 :勉強会:2009/10/14(水) 00:46:30 ID:THRRUSba0
俺の代理人が出現したようだなw。ではしばし休息をとらせてもらおう。

>>182は差別発言の言質をとったw。書き込んではいけない内容だったw。
しかるべき窓口に相談して「小銭」稼げないか確認してみようwww。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 01:55:30 ID:4DEh09pPO
偽物参入でつまんなくなってきたな

190 :勉強会:2009/10/14(水) 01:59:44 ID:THRRUSba0
やっぱりKBを消費しない偽者は使い物にならん。

このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


191 :勉強会:2009/10/14(水) 02:00:33 ID:THRRUSba0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


192 :勉強会:2009/10/14(水) 02:01:19 ID:THRRUSba0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


193 :勉強会:2009/10/14(水) 02:02:17 ID:THRRUSba0
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。


194 :勉強会:2009/10/14(水) 02:03:04 ID:THRRUSba0
加齢臭や体臭に悩む日本人が増えたのは、なぜでしょうか?原因は、日本の食生活の移り変わりにあります。その背景を交えて原因を明かします。 戦前までの日本人は、体臭を
発生させにくい和食中心の食生活を送っていたため、体臭の少ない民族でした。しかし、戦後日本人の食生活は大きく変わります。戦前の低脂肪高繊維質・植物性食品が中心の
食生活から肉や乳製品などといった体臭を発生させやすい動物性脂肪過多の食生活へ 移行したため、日本人は加齢臭や体臭に悩むようになったのです。原因である動物性脂肪
は、体内で酸化することによって臭いを発生させます。酸化させる原因は、『喫煙』、『飲酒』、『ストレス』、『不規則な生活』、『脂っこい食事』です。また、加齢臭が
女性より男性のほうが顕著に出るのは、男性は女性よりも皮脂の分泌量が多いためといわれています。加齢臭のもとである『ノネナール』を発生させる原因『過酸化脂質』を
減らすことが加齢臭の予防につながります。過酸化脂質を抑えるには、脂質の酸化を防ぐことです。動物性の脂分を控えることと、体内で過酸化酸素をできるだけ発生させない
ことです。加齢臭や臭いの原因となる動物性タンパク質、 脂肪が多く含まれる食品を摂ることを控え、食生活を見直しましょう。緑黄食野菜は、加齢臭や体臭の原因である
脂肪を包み込んで排出してくれるので、なるべくたくさん摂取しましょう。ストレスは、生理機能の低下や多汗、皮脂の分泌過多を引き起こしてしまうので、ストレスを溜め
ないようにしましょう。加齢臭の原因であるノネナールを発生させる過酸化酸素は、お酒や香辛料、煙草によって活発に働きます。ですから、お酒や香辛料、煙草は控えま
しょう。AIDS 治療において、適切な治療が行われなかった場合の予後は2 〜 3 年でしたが、AZT(azidothymidine)を代表とする逆転写酵素阻害剤(reverse transcriptase
inhibitor, RTI)に加え、近年、優れたプロテアーゼ阻害剤(protease inhibitor, PI)が開発され、逆転写酵素阻害剤2種とプロテアーゼ阻害剤(あるいは非ヌクレオシド系
逆転写酵素阻害剤)1種との組み合わせによる多剤(3剤)併用療法(highly active antiretroviral therapy, HAART)が奏効しています。このため先進国ではAIDS患者の死亡
食生活から肉や乳製品などといった体臭を発生させやすい動物性脂肪過多の食生活へ 移行したため、日本人は加齢臭や体臭に悩むようになったのです。原因である動物性脂肪
は、体内で酸化することによって臭いを発生させます。酸化させる原因は、『喫煙』、『飲酒』、『ストレス』、『不規則な生活』、『脂っこい食事』です。また、加齢臭が
女性より男性のほうが顕著に出るのは、男性は女性よりも皮脂の分泌量が多いためといわれています。加齢臭のもとである『ノネナール』を発生させる原因『過酸化脂質』を
率や日和見感染の発生率を低下させることができ、AIDSによる死亡者数は減少し、HIV感染者の予後は大きく改善されています。しかし、薬剤への耐性、アドヒアランス(投薬
スケジュールを厳密に遵守すること)、副作用、服薬条件等の問題などから、米国においても死亡数の減少が頭打ちになりつつあります。多剤併用療法は根治的療法ではなく、
血中のウイルス量が検出限界以下となっても、依然リンパ節、中枢神経系などにウイルスが駆逐されずに残存することが知られており、服薬を中止すると直ちにウイルスの
リバウンドが起こってしまいます。薬物療法には改善すべき様々な問題点が残されており、新薬の開発だけでなく、AIDS発症のメカニズムに関するより深い理解に向けた基礎
研究が急務となっています。AIDS治療のもう一つの重要な領域が、AIDSに伴う種々の日和見感染症に対する治療法の進歩です。特に、欧米でのペンタミジン(AIDSの主な死因
であったカリニ肺炎に対する特効薬)の吸入による患者の延命効果はその代表的な例です。


195 :勉強会:2009/10/14(水) 02:03:52 ID:THRRUSba0
「鳩山内閣の副総理兼国家戦略局担当相への就任が内定している民主党の菅直人代表代行の動きに警戒感が広がっている。新設される首相直属機関「国家戦略局」は
役割が未知数なため菅氏が権限を拡大する可能性があるからだ。菅氏は厚相在任時に薬害エイズ事件で名を上げた「千両役者」。野心家としても知られ、「ポスト
鳩山」を視野に入れているとの見方も強い。首相官邸の主導権争いは早くも始まっている私には何の相談もないの? 相談もないまま決めちゃうの?」菅氏は、4日
に平野博文党役員室長の官房長官起用が固まった直後、鳩山由紀夫代表に電話でこう迫った。口調は穏やかだったが、不快感を示しているのは明らかだった。党内
では「菅氏がポストを求め、猛然と巻き返しに出た」とささやかれ、人事の裏で菅氏が暗躍しているとの見方が広がった。民主、社民、国民新3党の連立協議が白熱
していた9月上旬、国民新党の亀井静香代表は、国家戦略局担当相就任をマスコミに報じられた菅氏に電話した。亀井氏「国家戦略局って何をやるんだ」菅氏「よく
分かりません。やりたいことはいろいろありますが、これから手探りでやっていくしかないですね」国家戦略局は、民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)で「新
時代の国家ビジョンを創(つく)り、政治主導で予算の骨格を策定する」と規定されている。約20人のメンバーで構成される見通しだが、「国家ビジョン」に外交
問題を含むのか、予算の編成作業に関与するのか−など権限ははっきりしない。裏を返せば、国家戦略局の位置付け次第では、菅氏が絶大な権限を手にする可能性が
あることを意味する。鳩山氏は14日、国家戦略局担当相の役割について「国家の予算の骨格を検討し、特命で行うことがあれば新しい仕事の分担がなされる」と説
明した。経済財政担当相と官房長官を兼務し、政府・与党の政策調整を一手に担う重要ポストだ。加えて副総理兼務によって首相官邸5階に執務室を持ち、「影の
総理」として振る舞うことも可能だ。一方、菅氏は国家戦略局に関する考えは一切外に発信していない。これにより党内の疑心暗鬼は増幅している。さっそく菅氏
を牽制(けんせい)する動きも出始めた。菅氏は国家戦略局で現政権が編成した平成21年度補正予算のムダな事業の執行停止に意欲を燃やしているが、藤井裕久
最高顧問は13日、テレビ番組で「最後は新財務相が決めることだ」と強調。外相に内定した岡田克也幹事長も「役所の所掌事項まで国家戦略局で議論することは
ない」と断言した。官房長官に内定した平野氏も「自分はマスコミの相手だけをすればいいのか」と周囲に不満を漏らしているという。猜疑(さいぎ)心はさらな
る猜疑心を呼ぶ。官邸の主導権をめぐる争いは政争に発展する可能性もある。 
あることを意味する。鳩山氏は14日、国家戦略局担当相の役割について「国家の予算の骨格を検討し、特命で行うことがあれば新しい仕事の分担がなされる」と説
明した。経済財政担当相と官房長官を兼務し、政府・与党の政策調整を一手に担う重要ポストだ。加えて副総理兼務によって首相官邸5階に執務室を持ち、「影の
総理」として振る舞うことも可能だ。一方、菅氏は国家戦略局に関する考えは一切外に発信していない。これにより党内の疑心暗鬼は増幅している。さっそく菅氏
を牽制(けんせい)する動きも出始めた。菅氏は国家戦略局で現政権が編成した平成21年度補正予算のムダな事業の執行停止に意欲を燃やしているが、藤井裕久
あることを意味する。鳩山氏は14日、国家戦略局担当相の役割について「国家の予算の骨格を検討し、特命で行うことがあれば新しい仕事の分担がなされる」と説
明した。経済財政担当相と官房長官を兼務し、政府・与党の政策調整を一手に担う重要ポストだ。加えて副総理兼務によって首相官邸5階に執務室を持ち、「影の
総理」として振る舞うことも可能だ。一方、菅氏は国家戦略局に関する考えは一切外に発信していない。これにより党内の疑心暗鬼は増幅している。さっそく菅氏
を牽制(けんせい)する動きも出始めた。菅氏は国家戦略局で現政権が編成した平成21年度補正予算のムダな事業の執行停止に意欲を燃やしているが、藤井裕久


196 :勉強会:2009/10/14(水) 02:04:45 ID:JWMidHhWO


前に深夜ドライブしてたらHな気持ちになったから、彼女に服脱げって言ったんだよ。
彼女は助手席で全裸。で、フェラしてもらったら気持ちよくて運転ミスってしまって、車は大破。
彼女は全裸で投げ出されたけど、たまたま芝生だったからケガしなかった。
俺も無事だったけど、運転席側がちょっと潰れて、出られなくなっちゃって。
見たらちょっと先に深夜営業のガソリンスタンドがあったから彼女に助けを呼びに行ってくれと頼んだ。
でも彼女の服もひしゃげた車の中だから取り出せない。
俺はかろうじて靴を片方だけ脱ぐことができたから、それでマンコ隠して行ってきてくれと頼んだ。
彼女は渋々靴でマンコだけ隠してガソリンスタンドに行ったんだよ。
「すみません、彼が出てこられなくなっちゃったんです・・・」と恥ずかしそうに言ったら、
おっさんの店員が驚きながら彼女の股間の靴を見て、こう言ったんだよ。
「そこまで入っちゃったら俺には無理だな」



197 :勉強会:2009/10/14(水) 02:04:56 ID:THRRUSba0
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。


198 :勉強会:2009/10/14(水) 02:06:36 ID:JWMidHhWO
オマンチンおっきしちゃったおwwww

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 02:06:58 ID:THRRUSba0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


200 :勉強会:2009/10/14(水) 02:08:14 ID:THRRUSba0
単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか

のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


201 :勉強会:2009/10/14(水) 02:08:15 ID:JWMidHhWO
アナルファック!!
アナルファック!!
アナルファック!!

202 :勉強会:2009/10/14(水) 02:09:21 ID:THRRUSba0
もっとKBを消費するんだ!!!アホめ!ちっとも面白くねえぞ!

また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


203 :勉強会:2009/10/14(水) 02:09:54 ID:JWMidHhWO
有機野菜と呼んで!!
有機野菜と呼んで!!
くぱぁ

204 :勉強会:2009/10/14(水) 02:10:15 ID:THRRUSba0
明日までにこの板も終わるなw。

デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


205 :勉強会:2009/10/14(水) 02:11:58 ID:JWMidHhWO
オス!!おらマンコ!!
よろしくな!!
くぱぁ

206 :勉強会:2009/10/14(水) 02:22:29 ID:JWMidHhWO
真性の変態キチガイというのはこういうのを言うんだ。

半端な気持ちでキチガイを語ってもらいたくないね!!


郡山校には半端なキチガイはいらない!!



207 :勉強会:2009/10/14(水) 02:31:37 ID:JWMidHhWO
だいこん『にんじんさん そこはちがうあなだよ』

にんじん『うへへへへ』

208 :勉強会:2009/10/14(水) 02:34:04 ID:JWMidHhWO
ぴいまん『おくらさん そこはちがうあなだよ』

おくら『うへへへへ』

209 :勉強会:2009/10/14(水) 02:36:14 ID:JWMidHhWO
せいたかあわだちそう『きばなしゃくなげさん そこはちがうあなだよ』

きばなしゃくなげ『うへへへへ』

210 :勉強会:2009/10/14(水) 02:37:39 ID:JWMidHhWO
有機野菜まじうめえ!!(性的な意味で)

211 :勉強会:2009/10/14(水) 03:05:28 ID:THRRUSba0
↑ よく頑張ってるなw。

デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


212 :勉強会:2009/10/14(水) 03:06:54 ID:THRRUSba0
>>206 自分で真性変態きちがいなんて言っちゃだめだ。偽者だぜ。しょせん。

単語や句と節が階層を作っている)、心的言語(目で見たものを模写したり、思い出したりする時にさまざまなモジュール間での情報をやりとりするための言語)である。
このように分かれていれば、組合せで無限の思考を生み出せるし、「難しい」「似ている」など日常の心の動きもこれで考えられるという。ミトコンドリア・イブ仮説と
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
遺伝子が組み込まれていたと考えられるのである。ただ、類人猿の言語の研究が進んできて、ボノボのカンジやチンパンジーのアイちゃんを筆頭として類人猿にもかなりの
「言語能力」があることが分かってきた。人間独自の能力と考えるには無理がある(これに関しては藤永保『ことばはどこで育つか』大修館が詳しく扱っているので書か
ない)。例えば、カンジは“Put the key in the refrigerator.”という文を理解する。普通は冷蔵庫にキーを入れるということはないから、別の類推でないことが分かる。
“The dog bite(s) the snake.”“The snake bite(s) the dog.”もちゃんと主語と述語を理解して、ぬいぐるみで動作をする。ハードウェアは遺伝子のようなモジュール
のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか

のようにあって互いに関連しているということになるが、これは認識言語学というか医学的な問題になっていく。最近の脳科学の発展はものすごいものがあるから、解明
が楽しみである。例えば、2002年に東大の酒井邦嘉らは文法を扱う部位を発見している。16人の男子大学生に主語と述語が入り組んだ文章に登場する「彼」が誰を指すか
などを尋ねる文法判断テストと、文章の単語を並べ替えて覚えさせる記憶テストの両方をMRIを使ってどの部位が働くか調べた。その結果、文法判断には左こめかみの
近くにあるブローカ野の一部が活発になり、単語記憶ではそれより後ろ側の部位が働くことが分かった。つまり、単語の記憶と文法は違う部位で扱うことが分かり、文法の
部位を特定したのだ。酒井邦嘉は『言語の脳科学』(中公新書)でチョムスキー理論と脳科学との接点を見事に描いているので、チョムスキーに批判的な人も、是非読んで
ほしい。なお、2005年に酒井は文法を使って考える時と、文章や単語を理解する時、アクセント(音韻)を聞き分ける時は、それぞれ脳の異なる部分が働くことを突き止め、
脳の「言語地図」を作った。脳で言語をつかさどる領域は「言語野」と呼ばれ、ふつう左脳の大脳皮質にあるが、どの部分がどのように働くかは、よくわかっていなかった。
酒井助教授らは、日本人の成人延べ約70人に対し、文法知識や文章のつながり、単語やアクセントの正否などを問う問題を出し、脳のどの部位が活発になるかを機能的磁気
共鳴画像(fMRI)装置などを用いて調べた。その結果、例えば文法を考える時は前頭葉の下部、アクセントの聞き取りでは側頭葉上部が活発に働き、地図にすると、
文法・文章・単語・アクセントの四つの中枢部分はほとんど重ならないこともわかった。モジュールだとすると、これを脳に埋め込めば(善悪は別にして)、どんな人でも
話せるようになる、という考え方も出てくる。ドラえもんの「ほんやくコンニャク」がそのまま実現する可能性もあるのだ。なお、精神分析の岸田秀は人間は言語を獲得する
ことによって本能を壊した、というがチンパンジーなども本能ではセックスができないし、育児もできない。言語も獲得する能力はあるが、みんなが本能のように使って
いる訳ではない。だから、チョムスキーの人間の言語の生得性というものを単純に信じることはできない。


213 :勉強会:2009/10/14(水) 03:07:50 ID:THRRUSba0
起源は古く、古代ギリシアで石を持ち上げて力比べをしていたのが最初とされている。その後、石からシャフトと円形のディスクを組み合わせたバーベルを使うようになり、
スポーツとしての競技が始まった。オリンピック種目としても1896年のアテネ大会から実施されており、当時は体操競技の一つとして行われていた。女子は2000年シドニー
大会から正式種目となっている。パワーリフティングの歴史について1950年頃のボディビルコンテストでは筋肉美のほかに,ウェイトリフティングの記録も参考にして
審査が行われていた。しかし、ボディビルのみトレーニングしている者はスナッチやジャークのようにスピーディーに持ち上げる種目の挙上テクニックまでマスターできず、
ウェイトリフティング記録のせいでコンテスト結果が筋肉美だけの場合より低くなることがよくあった。このため,ウェイトリフティングの記録を参考にする審査方法は姿
を消すことになる。しかし、ボディビルダーの間で力比べをしたい欲求が強かったことから、1950年代初期にオッドリフト・コンテストと呼ばれる競技が行われるように
なった。オッドとは『風変わりな』という意味であり、ウェイトリフティングとは異なる新しい競技が誕生したものである。これが,現在のパワーリフティングの始まりで
ある。当初は,カールやプレスなども種目に入ることがあり,種目数も3〜4種目であった。しかし、1950年代中期には現在の3種目(スクワット,ベンチプレス,
デッドリフト)に納まった。体重別に階級が分かれていて男子8階級、女子7階級で行われる。競技は「スナッチ」と「クリーン&ジャーク」の2種目を3回ずつ行い、各種目とも
一番成績が良いものを記録としてスナッチとクリーン&ジャークの合計点で勝敗を決める。また同じ記録の時は体重の軽い選手の勝ちとなり、同じ記録で同じ体重の場合は先に
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
全自動でできません。ドラム式は高温で全自動でできるし、汚れ落ちは悪いはずもなく、それに従来式よりずっと衣類を傷めにくいと大抵の人は気づいているはずです。従来式
でお湯で洗うとき、全自動なのに途中で給湯器のスイッチを切るのを待つのはとても時間の無駄だしバカらしいです。極端に言うと従来式は皮脂汚れが落ちなくてもいい人のもの、
洗濯をすると衣類が傷むのが常識だった時代のものという気がしてきました。従来式のカタログが痛々しく見えて日立のビートウオッシュの高洗浄っていう言葉が高温洗浄と言え
その記録を出した選手の勝ちとなる。ドラム式洗濯機を使っていました。綿製品の皮脂汚れを落とすためには40度以上のお湯で洗わなければいけなく、毎回ふろ水で洗濯する
のは間違いだって知っていますか?洗濯と1回目のすすぎまでを40度以上(50〜60度)のお湯、2回目以後のすすぎは水で充分というのがドラム式でも従来式でも同じだと
思いませんか.. でも内部で湯沸しするドラム式なら普通に全自動でできるのに、給湯器を使う従来式は高価なものでも給水口が1つしかないので(いまだに、なんで?)
ないから造語を作ったと思っちゃいます。ナノテクとかイオンとかいう言葉も出てるのですが、そんなことより途中で給湯から給水に切り替わる洗濯機を作ってほしいです。
ドラム式はありがたさがわかると従来式より圧倒的に良いので欠点などどうでも良くなりました。時間がかかる点は、出かける時間や帰宅する時間に合わせてタイマーをセット
すればいいだけの話なので、毎日でも苦にならないはずです。休日にまとめて洗濯をするという従来式を使った生活のほうが変に思えてきます。時間がかかると不満に思ってる
人も休日にまとめて洗濯するという生活が染み付いてるだけだと思います。


214 :勉強会:2009/10/14(水) 03:08:43 ID:THRRUSba0
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。
平成11年5月の北里研究所病院新棟の開設にともない、2階外来スペースの一角に、クリーンルームを備えた化学物質過敏症外来をオープンしました。「化学物質過敏症」
「シックハウス症候群」という疾患は、今でこそよく知られるようになりましたが、開院当時には一般の人々にはもちろん、医療関係者のあいだでも、この病態が医学的な
診断や治療の対象となることを知る人はほとんどいないと言ってもよい状況でありました。中規模の急性期一般病院として、一般への認知が十分になされていない新たな疾患
を取り扱うことは、特殊な設備や医療機器のための費用、人材の配置、教育などへの負担とともに大きな冒険でありましたが、私たちは、創始者北里柴三郎が、終世重んじて
いた「北里精神(開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈)」を継承する施設として、その開拓(フロンティア)の精神に基づき、この未知の領域の診療を開始するに至りました。
開設後、当外来における診療実績が重ねられた結果、メディアそして厚生労働省を含む広い範囲でこの病態が認知されるようになりました。そして、一部ながら健康保険の
適応にもなり、それに従ってクリーンルームを有する同種の診療形態をもつ施設が、首都圏内でも数か所開設される状況になっています。特に国家的援助のある国立病院に
このような施設が設置されたことは、まことに喜ばしいことであったと考えます。そこで、開設後10年の歳月を経た現在、クリーンルームを使用する診療形態については、
当院は一定の使命を果たし終えたと私たちは認識いたしました。診療形態は変更されますが、院内の別の部屋において診療は継続されます。このたびの診療形態の変更は、
環境医学関連の疾患が、特殊な設備を持つ限られた施設のみが診療できる特殊な疾患ではなく、通常の環境でも診療を行なうことのできる、広い概念にたつものとして受け
止められるための一歩であると捉え、このことがフロンティアとしての私たちの新たな挑戦と考えました。また、従来使用されていた外来スペースなどにおいては、新たな
形態のがん診療や新規治療法を開拓する治験・臨床試験など、国家として、あるいは昨年発足の新たな学校法人全体として推進されている事業等を行なうことになっており、
合わせて当院の社会的使命を全うする方策であると判断いたしました。


215 :勉強会:2009/10/14(水) 03:09:36 ID:THRRUSba0
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれれば、また、死ぬまで
やってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが
物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝には
どうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、
やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)の
おくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉な
わけで、ようするに(能などに対して) 正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在で
あったはず。そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代もそういった
若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて市民権を得て、いつのまにか歌舞伎
こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまでには、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜ
ならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたり
したのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの
違いはなんでしょう?ビートルズの場合、影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところに
あると思います。でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表している
でしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ求めていってしまったため、たしかに
若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて市民権を得て、いつのまにか歌舞伎
こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまでには、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜ
ならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたり
したのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの

芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのでは
ないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノンなんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たて
まつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄ってジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えて
いいのか、どうか。


216 :勉強会:2009/10/14(水) 03:10:24 ID:THRRUSba0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った文法
を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)といい、言葉
のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった国文法や高校の
英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを間違う人がいる。
例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと
書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー
(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は
「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向
を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や
芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔
言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)
というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のこと
のように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では
逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者の
フランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。


217 :勉強会:2009/10/14(水) 03:10:27 ID:JWMidHhWO
うるせえ黙れ偽キチガイ


AVは体に下着の跡が残ってると綺麗に見えないから、撮影の日、
女優は前の晩から下着を着けないように指示される。
だから、レイプもの、痴漢もの、ナンパもの、盗撮もので
下着脱いでも下着の跡がついてないのは全部フィクション。
じゃあ、あえてリアリティを出すために下着ずっと着用して、ってのが出てきそうなもんだが、それはないんだな。
「藤がつく学生グラドルは年齢詐称」と同じように、業界標準のサインなんだよ。
「造りですよ」ってサイン。
だから、万が一下着脱がしたときに、クッキリ下着の跡がついてる女が出てたらホンモノ。
オレは一度もお目にかかったことないけどな。

218 :勉強会:2009/10/14(水) 03:11:59 ID:THRRUSba0
うっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃ〜! きちがいになりすますのも疲れるぞ〜。しろうとさん!

胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。F1キャメルのパイロットは高い撃墜率でしたが、イギリス最高の軍事勲章であるビクトリア十字勲章
を受賞したのは、1918年3月10日に多数のドイツ機と空戦を行って3機撃墜したA・ジェラード中尉のみでした。F1キャメルのパイロットで有名な人物は、1918年4月21日
に「レッド・バロン」として知られるドイツ空軍のエースパイロットマンフレッド・フォン・リヒトフォーフェンを撃墜した第209飛行隊のロイ・ブラウンです。F1キャ
メルは夜間戦闘でも活躍しており、フランスやイギリス本土でドイツ軍の超大型爆撃機や飛行船を何機か撃墜しました。F1キャメルはドイツとの停戦後も多くの飛行隊
に配備されて続け、1922年まで使用されました。
胴体の構造は木製桁胴体に張り線付きの木製桁胴体で、主翼は上翼と下翼に同じ上反角を持たせるようにしていましたが、F1キャメルは上翼と下翼の間が一定でない
主翼構造となってました。空戦性能を高めるために武装、エンジン、燃料タンク、コックピットを前方に集中配置した結果、機体の動作は良好になりましたが、左
旋回では機首が持ち上がり、右旋回では下がるという特有の「癖」が発生し、F1キャメルを操縦するパイロットはスピンを避けるためにラダーを多用しました。この
癖のため、熟練者には最高の戦闘機でしたが、初心者には不向きで事故も多く、訓練での死者も多く出ました。ヴィッカース製の7.7mm機銃を2挺を搭載するために、
前方のフェアリングを大きくした結果、その外見から「キャメル」=「らくだ」と呼ばれるようになりました。F1キャメルには夜間戦闘機型もあり、標準型との違いは
上翼に旋回可能なルイス式機銃を2挺装備したことでこれは、フェアリング配置では射撃の閃光で目がくらむのを考慮した結果でした。第一次世界大戦が始まって1916年
の中盤になると、イギリス軍はそれまで使用していたソッピース・パップやソッピース・トライプレーンに代わる戦闘機をソッピース社のハーバート・スミス氏に指示
しました。F1キャメルによる初の実戦参加は、1917年7月4日に16機のドイツ軍のゴータ爆撃機を迎撃したのが最初です。この戦闘ではダンケルクの戦闘機隊5機が迎撃に
舞い上がりましたが、戦果はありませんでした。戦果なしのデビュー戦の後、F1キャメルを装備する部隊は18飛行隊から25飛行隊まで増強させ、1918年3月21日のドイツ
への大攻勢には、生産数もイギリスで最多の状態になってました。


219 :勉強会:2009/10/14(水) 03:13:31 ID:JWMidHhWO
うっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃ〜!
うっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃ〜!
うっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃ〜!

ボスザル乙

220 :勉強会:2009/10/14(水) 03:14:30 ID:THRRUSba0
女に声もかけられねぇ小心者がキチガイのフリしてさぞかし疲れんだろうなぁ。俺を見習うんだwww。

毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
政権を武装奪取するという道を切り開くことに成功した。毛沢東は中国革命の新たな道を理論的に論証し、「書物主義」への反対と、マルクス主義を中国の実情に
結びつけることを強調した。毛沢東思想が正式に形成された。土地革命戦争後期(遵義会議後)から抗日戦争期にかけて、毛沢東を代表とする中国共産党員は、
中国革命と抗日戦争の経験を理論の面から系統的に総括し、教条主義の誤りを分析・批判した。特に中国の新民主主義革命の基本理論・基本路線・基本綱領を系統的
に詳述し、民主革命期における党の政策と策略を明晰に論述した。毛沢東思想は多方面から展開し、成熟へと向かった。1945年の第7回党大会において、毛沢東
毛沢東を中核的代表とする中国共産党員は、マルクス主義の基本理論と中国革命・建設の具体的な実践との結合によって毛沢東思想を打ち立て、マルクス主義思想
と中国の実情の結合という、初の理論的飛躍を実現した。党創設と大革命の時期、党はまだ系統的な思想・理論を形成していなかったが、中国で民主革命を進める
思想は党の指導思想として確立された。解放戦争期と新中国成立の後、毛沢東を代表とする中国共産党員は、人民民主独裁理論・社会主義改造理論・社会主義建設
基本策をさらに提示し、マルクス主義思想と中国の実情の2度目の結合の任務を打ち出し、中国の状況に沿った社会主義建設の道へのたゆまぬ探求を行った。毛沢東
思想は引き続き探求の中でたゆまぬ発展を遂げた。毛沢東主義、マオイズム、Maoism)とは、毛沢東の雑文や発言集を、政治思想の態を装って体系化したもので、
中国共産党の指導理念の中心とされた。中国共産党が政権を獲った後の中国では、毛沢東への個人崇拝の根拠として用いられた。毛沢東の出現を、伝統的な易姓
革命の概念に基づく天命を受けた皇帝として捉えた大衆の支持を受け、軍閥の割拠によって長く分裂状態にあった中国統一の実現に大きな役割を果たした。
しかし、毛沢東自身の暴力的思考を体現していた毛沢東思想には弊害も大きく、中国の発展を長期にわたって阻害した。このため中国共産党は毛沢東死後の1981年
に、毛沢東思想の名称だけを残して、その内容と大部分の解釈を変更し、まるで異なる理念として再構築したものを継承し、今日に至っている。過去の個人崇拝・
ための基本思想を徐々に打ち出し、反帝国主義・封建主義の民主革命綱領を制定し、中国社会の性質、中国革命の性質・対象・動力・前途に対して、一連の正しい
認識を獲得した。毛沢東思想の萌芽が始まった。土地革命戦争の時期、毛沢東を代表とする中国共産党員は、井岡山を根拠地とする農村によって都市を包囲し、
大衆操作(マインド・コントロール)の影響と、伝統的な神仙皇帝への崇拝感情から、民間信仰としての毛沢東への崇拝は今日でも中国国民の間に受け継がれており、
その御利益の範囲は交通安全・財運向上(この信仰の存在から現在の人民幣は全て毛沢東の肖像入りとなっている)などとされており、他宗教を圧倒して中国最大の
信者を有しているほか、西側先進国におけるコミューン運動や、各種の的なカルト宗教の出現にも大きな影響を与えた。また、現在の中国企業にまま見られるコン
プライアンシーの欠如に、毛沢東思想の暴力性や攻撃性が中国人の思考に与えた悪影響を見る視点も存在する。


221 :勉強会:2009/10/14(水) 03:16:27 ID:JWMidHhWO
>女に声もかけられねぇ小心者がキチガイの俺を見習うんだwww。
>女に声もかけられねぇ小心者がキチガイの俺を見習うんだwww。
>女に声もかけられねぇ小心者がキチガイの俺を見習うんだwww。

ワロウイッシュ

222 :勉強会:2009/10/14(水) 03:28:03 ID:THRRUSba0
↑さぞかし疲れるの「本質をついた」箇所が抜け落ちてるぞwwwwww。しっかりキチガイ演じろよw。

>>253 さあ、よく読み返してみろ! 全ての文にメッセージがあるぞ。縦書きなんて幼稚なもんじゃないがなwww。

猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。

さあ、わかるまで読み返すんだ。解読できたら褒めてやるよ。わかんねぇだろうけどwwww。


223 :勉強会:2009/10/14(水) 03:29:03 ID:THRRUSba0
>>253 さあ、よく読み返してみろ! 全ての文にメッセージがあるぞ。縦書きなんて幼稚なもんじゃないがなwww。

猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。

さあ、わかるまで読み返すんだ。解読できたら褒めてやるよ。わかんねぇだろうけどwwww。


224 :勉強会:2009/10/14(水) 03:29:35 ID:JWMidHhWO
はい、どうぞ

275:勉強会 :sage:2009/10/14(水) 03:25:09 ID:JWMidHhWO
同じコピペしか貼れない低脳偽物ワロス
276:勉強会 :sage:2009/10/14(水) 03:26:18 ID:JWMidHhWO
だいたいテメーはキチガイを語ってるわりに甘すぎんだよハゲ



225 :勉強会:2009/10/14(水) 03:33:54 ID:JWMidHhWO
やったー!!
偽物勉強会に勝ったー!!
やっぱり真の勉強会は無敵だな!!

もう早く寝なさいよ!!

226 :勉強会:2009/10/14(水) 03:35:37 ID:JWMidHhWO
うっきゃっきゃっきゃっきゃっきゃ〜! 

227 :勉強会:2009/10/14(水) 12:07:15 ID:THRRUSba0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で習った文法
を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive grammar)といい、言葉
のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。中学で教わった国文法や高校の
英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教えるものではない。これを間違う人がいる。
例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと
書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー
(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は
「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向
を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということになるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や
芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
ハヌマーンは文法学の九人目の執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が
同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿
にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されていると
いう。「猿の頭は円満具足にして、聖典(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。
自然言語を生得的にもっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔
言語運用performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法(induction)
というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)で考えた。当たり前のこと
のように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考えられていなかった。もちろん、今では
逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値がなかった。イギリス古典経験論の創始者の
フランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問である」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、
一般的な法則を見つけることは難しかった。


228 :勉強会:2009/10/14(水) 12:08:02 ID:THRRUSba0
人間国宝とはなにか。文字どおり、人でありながら国の宝だということですが、通例でいえば、歌舞伎や狂言なんかは、そういう家元というか宗家に生まれれば、また、死ぬまで
やってれば、そのうち国から人間国宝なる立場がもらえるわけです。決して楽な人生だとは言わないが、、それが宝物?う〜ん、なんか変だ!歌舞伎などの伝統芸能は、それが
物品であったなら国宝級のシロモノだ、というのに文句はありません。しかしそれを今現在やっている人達までもが、国宝だとは私には到底思えないのです。では、人間国宝には
どうやったらなれるのか。調べてみると、おおまかにいって(1)日本の伝統芸能で(2)引き継ぐ芸があって(3)弟子がいる、というのが条件にあるようです。ということは、
やっぱり、その人の「内なる芸の素晴らしさ」よりも、その人が「伝統芸の系譜」というライン上にいることが重要なわけですな。歌舞伎は、もともと室町時代に出雲(いずも)の
おくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉な
わけで、ようするに(能などに対して) 正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在で
あったはず。そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代もそういった
若者に受ける芸は大流行するもので、伝統をやぶったこの歌舞伎は、古き良きを楽しむ人には見下されながらも、庶民に浸透していき、やがて市民権を得て、いつのまにか歌舞伎
こそが日本の伝統のような扱いを受けるまでになりました。ただ、考えてみると、そんなふうに古典芸能になるまでには、何百年なんてスパンは必要ないのかもしれません。なぜ
ならビートルズだって彼等が本当に活躍していた頃は、「ビートルズの音楽」なんて不良が聞く音楽とされ、真似をしてギターを持つ人はそれだけで不良とレッテルを張られたり
したのですが、今やビートルズはクラッシック音楽の一つのような扱いになっているでしょう。では、ビートルズと歌舞伎がそれぞれクラッシックになっていく過程での扱いの
違いはなんでしょう?ビートルズの場合、影響を受けた人々が数多くあらわれて、やがてビートルズが思いもしなかったであろう新しい音楽やスタイルをつくっていったところに
あると思います。でも誰もビートルズを見下したりはしません。ビートルズの音楽を聞かなくなっても、音楽業界の人々はいつまでもビートルズを忘れずに、敬意を表している
おくにという女性が創始した芸で、当時の武士の間で流行していた能などの舞をパロディにしたもの。歌舞伎という言葉も、もともと「傾く(かぶく)=かたむく」から来た言葉な
わけで、ようするに(能などに対して) 正常でないもの、正統でないもの、という意味だといいます。まず、そう考えると「国宝」などというものとは、もともと真逆の存在で
あったはず。そういう御大層なものに対抗して、アンチとしてあらわれたのが歌舞伎(傾き)であったのです。もともと反逆の芸、不良の芸だった。ただ、いつの時代もそういった

でしょう。しかし歌舞伎は、次第に継承していく芸として、幼少の頃から仕込んで、普通の人ができないものにしていくなど、内に内にのみ求めていってしまったため、たしかに
芸は高度になったかもしれませんが、ほとんどの人がよく分からないもので、多くは歌舞伎に対する敬意もなく、はっきりいって何一つ生み出してない現状にあると言えるのでは
ないでしょうか。歌舞伎をビートルズでたとえるならば、十六代目ジョン・レノンなんて人が、例の丸メガネをかけて、ジョン・レノンの血を引いた人だけが宗家として、たて
まつられて、小さい頃からビートルズの歌ばかり唄ってジョン・レノンのしぐさを舞台で真似てるようなものでしょうか。はたしてこんなものに「人間国宝」なる名称を与えて
いいのか、どうか。


229 :勉強会:2009/10/14(水) 12:12:48 ID:THRRUSba0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


230 :勉強会:2009/10/14(水) 12:13:36 ID:THRRUSba0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


231 :勉強会:2009/10/14(水) 12:15:02 ID:THRRUSba0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


232 :勉強会:2009/10/14(水) 12:16:01 ID:THRRUSba0
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。
薬害エイズや薬害肝炎、民事係争中の肺がん治療薬イレッサなど、国の不作為が健康被害を拡大させた薬害の歴史と同様、森永ヒ素ミルク事件は近年多発する食品偽装など
「食害」の原点として、戦後最大級の食品公害事件と位置づけられている。「14年目の訪問」は、医師が国や加害企業に対峙して被害を暴いたという点で、40年の時を
超えて教訓を投げかけている。事件は昭和30年8月に発生。森永乳業徳島工場で生産された粉ミルクに大量のヒ素化合物が混入した。アルミ精製時に出た副産物が流通
過程で食用に使えるとされ、同社が十分な確認をせず乳質安定剤として使用したのが原因で、徳島工場製造課長が業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた。松岡さんらと
ともに自主検診を続けた医師たちの中には、当時、胎児に深刻な影響を与えるとして社会問題になった睡眠薬サリドマイドの健康被害に取り組む開業医もいたという。
14年目の訪問を契機に、被害者団体が再結成され、不買運動や訴訟などを経て、森永乳業と厚生省は全面的に責任を認めた。一方で被害者団体は大阪など各地で起こして
いた民事訴訟をすべて取り下げた。49年には、被害者も参加する救済専門の財団法人ひかり協会が設立。ヒ素中毒と症状の因果関係にとらわれず医療費を補助するなど、
恒久救済は今も続く。松岡さんは岡山大医学部を卒業後、水島協同病院(倉敷市)で勤務していた昭和42年、被害者35人を自主検診した。当時は、全員治癒したと
いう厚生省(当時)の見解によって事件は風化し、親たちがいくら対応を望んでも行政や医療機関は検診に応じなかった。松岡さんはこうした状況を「放ってはおけない」
と自主検診を決意。松岡さんが診た被害者は中学生なのに身長や体重が小学校低学年並みだったり、知能が低かったり。目や耳が悪い子供もいた。しかし、当時はヒ素
中毒の研究が進んでおらず、ヒ素ミルクの後遺症と断定できなかった。それから2年後、丸山教授の指導で、保健師や養護教諭らが被害者60人以上の家庭を1軒ずつ
訪問し、成長過程を聞き取り、50人に何らかの異常が認められたとする調査結果が公表された。松岡さんは「調査をみて反省した。私たちの自主検診後、14年目の
訪問までの2年の空白が、被害者にとっては貴重な年月だったから」と語る。


233 :勉強会:2009/10/14(水) 13:21:19 ID:THRRUSba0
また、昔は有限マルコフ過程という方式で人間の言語を解明できると考えていたのだ。これらのモデルでは自然言語(人間の言語)の創造性をうまく説明できない。
これはチョムスキーの“Syntactic Structures”(1957『文法の構造』研究社---いい訳とはいえない)を読んでもらえばいい。有限の規則で無限の文を創造する
能力を説明するためには生成文法で、変形文法というものが必要だったのである。例えば、次の二つは同じ表層構造を持っていて、ブルームフィールドの方法では
区別しにくかった。*は非文。John is eager to please.←*It is eager to please John. John is easy to please.←It is easy to please John. また、次の文
は「訪れた親戚はつまらない」と「親戚を訪れるのはつまらない」と両義的(ambiguous)だが、表面的な分析だけだと区別をつけることができない。Visiting
relatives can be boring. Flying planes can be dangerous. そのために深層構造を持ち出さなければならなかった。かのガリバー旅行記の第3編は天空の城ラ
ピュタの話である。ラピュタの支配下にあるラガード大研究院で知識製造機が作られる。簡単にいえば、言葉をランダムに組み合わせることで次から次へと文章
を生み出す機械である。実験を主導する教授はこれを駆使してあらゆる知識を総合する完璧な百科全書を作ろうとしている。ランダムに組み合わせただけで知識
は生まれない。狂人的な文を生むだけである。チョムスキー自身もこれに気付いていて、“Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の考えが怒って
眠っている)という文は文法的だけれど、逸脱しているというように考えていたはずだ。これを続けていけば、レアリアをどのように理解するかという認識の
問題にまで発展すると思う。ところで、有限の規則で無限の文を作る能力が人間にあるとしたら、どういう形でどこにあるのだろうか?具体的にはまだまだ解明
できていない(と思う)。脳科学や分子生物学の発達で、これらがいつか統合される日が来ると思うが…。チョムスキーのモデルは「原理とパラメータのアプロ
ーチ」(Principles and Parameters Approach)と呼ばれ、言語能力はモジュールとして埋め込まれていることになる。原理というのはヒトが持っている普遍的な
文法であり、パラメータ値というのは個々の言語によって変化しうる可変部である。子どもは誕生後にその値を周囲の状況に合わせて設定するのである。言語を
操る能力はヒトに特有なものであり、他の認知行為からは独立したモジュール(構成単位)を形成している。したがって、他の生物にはない、ヒトに固有な言語
をつかさどる脳の特徴が必ず存在するはずである。これをパソコンに喩えていえば、言語能力を人間が持っているということは脳の中にハードウェアがあって、
そこにソフトウェアがあることになる。スティーブン・ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)に詳しい【ただし、邦訳は作家のアーサー・ケストラーが「ライ
ター」になっていたり、「ウォーリーを探せ」が「ウォルドーを探せ」になっていたり、で“変形文法”になっている】が、彼の考えの一つは、心の仕組みを
計算機としてみる「心の計算理論」である。なぜモジュール型なのかと考えると、心を働かせるコンピュータ、つまり人間が進化の産物であり、進化的適応の
結果心が生れたからだと思われるというのが第2の主張である。第1は認知科学、第2は進化心理学と呼ばれる分野の問題である。進化についてチョムスキーは
カタツムリがゆっくりと動くように徐々に言語能力が生まれてきたとは考えず、ある日突然生まれたと考えている。進化論の異端児グールドも同じ考えで、
「我々の脳は言語を保つために作られた、だから我々には言語があるのだ」という主張は「我々の鼻は眼鏡を支えるために作られた、だから眼鏡というものが
あるのだ」と考えるのに等しい、と批判している。従来の心理学が、知能はIQ、知覚は刺激というように、心のはたらきに直接は迫らずに心への入力と出力
だけを見ていたのに対し、「心の計算理論」は、なんとか心そのものを知ろうとして、心が扱うシンボル(心的表象)とそれにアクセスするプロセスが課題
だと考えている。この見方で脳を調べた結果、脳が扱う表象に4種類あることが分かる。視覚イメージ(モザイク画のようなもの)、音韻表象(電話をかけ
る時、調べた番号が頭の中で鳴っている例)。


234 :勉強会:2009/10/14(水) 13:22:12 ID:THRRUSba0
デカルトが言語に関してどれだけ言及しているか知らないが、次のようなことを書いている。カササギに、もしその女主人が現れたらこんにちはと言うように教えてアト
しても、それはただ、その言葉を発することがカササギの情念のどれかひとつの動きを表すようにしているということでしかありえません。つまりそれは、たとえばその
言葉を言うと何かおやつが与えるようにしてしつけた場合には、食べるものを手に入れられるだろうという希望を表す運動になっているわけです。そして、同じように犬
や馬や猿たちをしつけてやらせるようにすることは、どれもこれも、彼らの恐れだとか、希望だとか、喜びだとかの動きを表しているにすぎないのです。つまり、彼ら
がまったく思考を持っていなくてもできることなのです。ニューカッスル公爵宛1646年11月23日付けの手紙(ロベール・マッジョーリ『哲学者たちの動物園』白水社・
國分俊宏訳から)この流れにデカルトがいて、チョムスキーがいる。チョムスキーがデカルトを出した、というのはアメリカの中では特異だった。というのも、それまで
の構造主義言語学者は新しい理論だけが正しいと考えていて、ヨーロッパの伝統を顧みなかった。チョムスキーは心理的な言語学を標榜するにあたって、ポール・ロワイ
ヤル文法、ヘルダー、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトなどの伝統を復活させた。科学者には「コト派」と「スジ派」がいる。前者は一次データを採るのが得意で、
後者はこれを料理して面白い話に作り上げるのが得意だ。目の前にあるもので料理をする人と、こんな料理を作りたいと思って素材を集める人といってもいいかもしれ
ない。もちろん、チョムスキーは後者なのである。自然科学的な手法を大いに取りあげた点もチョムスキーの貢献である。例えば、作家の文章を全部集めて「ノボル」
と「アガル」の意味を考えることもできるが、「*二階にノボル」「*山の頂上にアガル」などという文を使って、話者の言語直観(linguistic intuition)から文法を
研究することを可能にした。理科系のような「実験」が可能になったのである。なお、「変形文法」(transformational grammar)という言い方もあるが、これはチョ
ムスキーの理論が変形を伴うものだったので指すのであって、(可能ならば)非変形の生成文法もありうることになる。変形といっても、言葉を駄洒落で変形すること
ではない。例えばソシュールはアナロジー(類推)で文法が説明できると考えていたが、文法現象の複雑さはとてもアナロジーでは説明できない。例えば、子どもに
『スター・ウォーズ』のジャバ・ザ・ハットの人形を見せて、"Ask Jabba if the boy who is unhappy is watching Mickey Mouse." (つまんないなと思っている男の
子がミッキーマウスを見ているのかどうか、ジャバに聞いてごらん)と尋ねるという実験で、子どもたちは"Is the boy who is unhappy watching Mickey Mouse?" と
文法的な文を作り、決して"Is the boy who unhappy is watching Mickey Mouse?"という非文を作らなかった。the-boy-who-is-unhappy というのをひとまとまりの句
として考えていたのである。これはアナロジーでは説明ができない。ところが、未だにソシュール止まりという人も多くて、例えば、森有正は『遙かなるノートルダム』
(筑摩書房)の中で「経験の積み重ねが文法となったのである。日本人にはその経験がない」とまで書いている!チョムスキー以前の学者、例えば、ブルームフィー
ルドなどは言語をS→R反応(刺激→反応)という、当時の行動主義心理学の考えで説明しようとしていた。しかし、人間の反応は当たり前だが、一応ではない。
オウムだってある程度、状況に合った言葉を話すことがあるが、無限に話せる訳ではない。ただ、先日、話せるハトと公園で出会ってしまった。面白いのでパーティに
おいでと招待したのはいいけれど、なかなか来なくて焦ってしまった。終わり頃にベルがなって玄関に行ったらハトが待ってて「いい天気で、月がとってもきれいだった
から歩いてきた」と言い訳した。


235 :勉強会:2009/10/14(水) 13:23:04 ID:THRRUSba0
このギャップをどう説明すればいいのだろう?その前に、「文法」には2種類あることに注意してもらいたい。学生時代、「生成文法をやっている」というと「高校で
習った文法を今更何だ」という人がいたが、これは「教室の文法」と「研究室の文法」の違いが分かっていないからだ。教室で教える文法は規範文法(prescriptive
grammar)といい、言葉のあるべき姿を教える。研究室の文法というのは記述文法(descriptive grammar)と呼ばれたもので、言葉のあるがままの姿を研究するものだ。
中学で教わった国文法や高校の英文法というのは規範であって、あるがままを教えようとしたのではない。高校生までは規範文法が重要である。言語学は規範を教える
ものではない。これを間違う人がいる。例えば、渡部昇一という英文法家は『英文法を知っていますか』(文春新書)でアメリカ構造主義言語学者や生成文法学者を
批判して「規範文法しか役に立つ文法はない」などと書いている。それは当たり前のことで、研究というのはそこから先のことなのだ。あるがままの姿をいかに記述
するかということが、言語学の役割なのだ。さて、チョムスキー(Noam Chomsky)は人間というものが生得的(innate)に言語を扱う能力を持っていると考えた
(ここではイルカの言語などは考えない)。当たり前のようだが、昔は言語は「本能」に逆らうものだと考えられていた。それをチョムスキーは「本能」だというのだ。
チョムスキーはそれまでの言語学の主流だったブルームフィールドの行動主義的な傾向を批判しているが、行動主義の考え方では行動は経験から生まれるということに
なるからだ。行動主義心理学のワトソンは「1ダースの健康な赤ん坊を与えてくれれば、医者や芸術家、泥棒など、どのようにも育ててみせよう」と豪語していた。
コンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンの明らかにした動物行動学(ethology)はチョムスキーと同じように、ハイイロガンやコクマルガラスやイトヨなどの
行動は生得的だと考えている。既に埋め込まれた行動が、解発(release)されると考えるのである。もちろん、猿にも文法家がいた。オクタビオ・パスが『大いなる
文法家の猿』という本を出している。この本の引用によれば、インドの古典『ラーマーヤナ』には次のように記されているという。「猿の頭は円満具足にして、聖典
(サーストラ)に通暁し、その修学研鑽と正確無比な解釈(あるいは意のままに動き廻ること)にかけては、彼の右に出る者はない。ハヌマーンは文法学の九人目の
執筆しであったことでもよく知られている」(ジョン・ドーソン・M・R・A・S『古典インド神話学辞典』)ここで、チョムスキーは人間が自然言語を生得的に
もっていることを具体的に示すために「生成文法」(generative grammar)という形で考えた。有限の規則で無限の文を作る言語能力(competence⇔言語運用
performance)を考えることにした。ここで書いている文は僕自身初めて書いたものだが、初めて読んだ読者も容易に理解できる。言われてみれば当たり前のことなの
だが、チョムスキーはこれを解明しようと考えた。それまでの言語学は言語資料(コーパス)を集めて分析していけば言語は解明できると考えていた。これを帰納法
(induction)というが、これに対してチョムスキーはまず説明するためのモデルを考えて、それと言語資料とすりあわせをして考えていこうと演繹法(deduction)
で考えた。当たり前のことのように見えるが、それまでの言語学は「経験科学」と呼ばれ、既にある資料から考えるものであって、実験を伴うような自然科学とは考え
られていなかった。もちろん、今では逆にコーパス(言語資料)を利用することも多くなったが、コンピューターのない時代に集めて分析できる資料なんてあまり価値
がなかった。イギリス古典経験論の創始者のフランシス・ベーコンは『新オルガノン』で「科学とは観察や実験から得られた知から、より一般的な法則を導く学問で
ある」と書いているが、言語資料をどれだけ集めても、一般的な法則を見つけることは難しかった。そこで、チョムスキーは「デカルト派言語学」(Cartesian
Linguistics)を標榜する。つまり、経験論ではなく合理論に則った言語学を展開するという意思表示である。ギリシャの哲学者の言語への興味は語源などが多かったが、
中世のスコラ哲学を経て、17世紀にはパリ郊外に創設された尼僧院ポール・ロワイヤルを中心に形成された僧院共同体で、修学士たちが言語の問題をとりあげ、文法理論
を作った。これが『ポール・ロワイヤル文法』と呼ばれるものだが、言語には共通性があり、人間の思考にも普遍性があるはずだ、と考えた。


236 :勉強会:2009/10/14(水) 13:27:58 ID:THRRUSba0
猫の生態については、私も含めて、知っているようで知らないことが沢山あると思います。猫の生態を知った上で、猫ちゃんと付き合うと、よりいっそう可愛くなりますよ〜。
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
目が顔の正面についているので、視野は100度あります。一番良く見えるのは2〜6mで、その中で動くものは蟻であっても逃しません。 猫のヒゲ→ヒゲの根本には神経や
例えば、猫の骨の数は、人間の骨の数より20%も多いそうです。だからあのような「しなやか」な動きができるんですね。猫の耳→人間の耳は2万ヘルツまでで聞こえるが、
猫は5万ヘルツまで聞こえる。人間が聞こえない超音波や、犬が区別出来ない音も正確に聞き分ける事が出来る。音がしている方向・場所・そこまでの距離を正確につかむ事
が出来る。耳の筋肉も人間は9個ですが、猫は27個もあります。猫の目→大きくて丸い。また、暗くてもよく見える夜行性動物の特徴を持っている。物の距離や高さも正確
に見る事が出来る。人間の目では全く見る事が出来ない暗闇の中でも、猫ははっきりと見える。人間の5倍もの明るさで見えているが、視力は人間の10分の1しかない。
血管が通っている。ヒゲの先に触れたり、振動するだけで敏感に感じ取り、空気の動きも感じ取る事が出来る。ヒゲがアンテナの役割をしている。暗い所や狭い所を走り抜ける
時に、いちいち見なくてもぶつからないように体の位置を調節している。ヒゲを切ってしまうと危険を察知する事が出来なくなる。また、バランス感覚を失ってしまう。猫の舌
→ギザギザの突起が、口の奥に先端を向けて生えている。骨に付いた肉をなめ取ったり、体をなめる時にクシとして使う。舌を使って液体を包んで運ぶ事も出来る。何回かに
分けて液体を口の中に運び、一気に飲み込む。猫の爪→前足に5本、後足に4本ある。狩りに使うのは前足だけなので、爪とぎは前足だけする。尖らせた爪が擦り減らないよう、
普段は引っ込めておく。猫の爪とぎは本能である。体調が悪いと爪とぎをしない。爪とぎによって、古い爪を抜き取る。爪切りをしても3日程度で尖る。前足の尖って湾曲した
カギ爪は獲物を押さえ込むためのものです。できるだけ足を開いて爪をむき出しにし、目標を周りから取り囲むように爪を向かい合わせるのです。そうすると獲物は逃れられず、
猫はガッチリ押さえてから牙を獲物の急所に当てます。猫の尻尾→急に体の向きを変える時や高い場所を歩く時に尻尾を使ってバランスを取る。気分が高まった時に尻尾が勝手
に動く。親しい猫や人に甘えたくて近づく時は尻尾を上に立てる。驚いた時や喧嘩する時には、立てた尻尾の毛が膨らむ。猫の味覚→水の味を感じる器官が多いため、水には
こだわりを持っている。少し甘みが分かる程度だが、刺激にはとても敏感です。猫の身体→人間や犬と比べると胴体が長くしなやか。猫の骨が軽くて強く、非常に柔軟なので
曲がったり、ねじったりが出来る。骨の数が人間より20%も多く、脊髄の関節がこのような運動を可能にしています。猫はお腹の部分が胸の部分より長くて体の表面と内側の
筋肉も他の動物より柔らかい。お腹や胸の壁も薄いので、しなやかに伸び縮み出来ます。腹膜内の臓器が自由に移動できるので、内臓も身体の動きやねじれに従って位置が
変わり、身体の動きで内臓を痛めないように出来ている。


さあて、このスレも3日で終わっちゃったなぁ。いやぁひとり2役のキチガイは楽しかったぁ〜wwww。

クソガキ共がみんな翻弄されてたなww。誹謗中傷文が続く限りキチガイ様は参上するぞ!!

謝罪文待ってるぞ! 縦書き野郎wwwww。なにビビッて雲隠れしてんだよw。

237 :勉強会:2009/10/14(水) 13:30:33 ID:THRRUSba0
郡山も一人2役で頑張るぞ〜!

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